26 移りゆくもの


「元気にしてるの? もう一人も」
 カードを覗き込んで、ベレットが訊ねた。ナッツの載ったクッキーを一枚渡して、自分も一枚取り、ユーティアはええと笑顔で頷く。
 ティムは、あれからも頻繁に連絡を取り合っている。サロワの家に馴染み、仕事を覚えた彼のことは、ゴードンが亡くなる直前にハーツ家の養子として迎え入れた。戸籍上の父は、長男のホセである。彼らは互いに、快く親子として縁を結んだようだ。
「最近はすっかり、従兄弟たちのほうが助けられているみたい。ティムはあの農場を継いでくれる気みたいだし、一人じゃ寂しいでしょうから、そのうち結婚でもできるといいのだけど」
「できるんじゃない? あんたの話だと、しっかりした子みたいだし。子って年齢ではないか。まあ、いい人にはいい人が現れるわよ」
 そうね、と頷く。あらこれ美味しい、とベレットが上機嫌にクッキーを称賛した。今度ティムに、レドモンドとは連絡を取っているのか訊いてみよう。もしあまり接点をなくしているようなら、次回の贈り物はサロワに送ってくれるようにと、レドモンドに手紙を出してみるのもいいかもしれない。
 互いに環境は大きく変わった。まだまだ慣れずに、忙しない日々も続いていることだろう。それでもあの二人には、長く交流を続けてほしいと願う自分がいる。
「従兄弟たちはどうなの?」
「ああ、あの人たちは変わらないわ。みんな元気よ。一昨日だったかしら、リヨンが電話をくれたの。蜂蜜を送るって」
「蜂蜜? 果物じゃなくて?」
「あの人は昔から、何でもやりたがりなのよ。今は養蜂」
 クッキーを缶に分けて一つをベレットに渡し、せっかくだからスコーンを昼食に出そうと、合わせるメニューを考える。ジャムは戸棚にたくさんある。何種類か選んでくれるようベレットに頼み、ユーティアはハーブをたっぷり使ったソーセージのスープと、林檎のサラダを作り始めた。
「昼食が終わったら、薬を作ろうと思うんだけれど、あなたはどうする?」
「ああ、私も一緒にやるわ。そろそろ寒くなってくるから、咳止めを作っておかなきゃと思ってたのよね」
 スープに入れるニンジンを刻みながらそれとなく訊ねると、ベレットは毎年のように、そう答えた。じゃあ、一緒にやりましょうか。材料はあるの、と訊けば鞄の中に、必要なものは一通り揃っているというから、午後の予定はすんなりと決まる。いつもと変わらない、昔と変わらない、この店で過ごす午後の時間の使い方。
「風邪が流行る季節だものねえ」
 互いに背中を向けたまま、独り言のように零されたベレットの言葉に、うんと答えたユーティアの声もまたどこか独り言めいていた。
 薬草魔女がもう、時代に取り残された仕事であることは自覚している。でも、今さらこの日常を棄てて、違う生き方を選ぼうとすることは、自分が自分であること、それ自体を放棄するようで変えられない。
 そう思うのはきっと、私だけではないだろう。
 ユーティアは手のひらの水気を拭きながら、横目でベレットを見た。彼女は今も、新しく整備された市場ではなく、すっかり寂れてしまった旧市場の片隅で店を開いている。並べているのは素朴な苦い薬と、ここで共に作った果実酒たちだ。週に五日、ワゴンを出している。旧市場の営業料は、新市場に比べれば破格に安い。
 長い月日の中で弛んで、今にも抜け落ちそうな螺子のようだと、ユーティアは自分たちの近頃の様子を思い返して考えた。もう役割を果たしていないのに、この世界という板に刺さって残っている、落下しそうな螺子。支えにはなっていないし、もう働きを求められているわけでもない。それでも潔く抜け落ちることはできないで、日々少しずつ弛んでいく。
 けれど、それでもいい。
 戸棚を開けると、何種類ものハーブが目に入る。皆、ここにあるのは料理用で、薬草としての役目を負っているものは別の棚の中だ。触れると、香りに胸が高鳴る。指先に馴染んだ植物の感触が、これを忘れて生きていくことなど今さらどうしてできようかと、何度も何度も想いを新たにさせる。
 そう、例え、この国が自分たちを過去のものにして、最後の魔女と呼ばれる日が来たとしても。
 私は私として、この場所で生きているだろう。


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