23 農村の日々


 サロワに来てから、彼はまるで思い立ったように、料理をするようになった。どうやら元々、生活のためにする程度の自炊は身についていたらしい。
 叔父を筆頭として、男ばかりの家だ。ホセは妻を若くして亡くしているし、リヨンとジェスは結婚していない。女手の求められそうな家事はユーティアの母が担っていたが、膝を悪くして以降は、ほとんどゴードンとリヨンが何とかしていたようである。ユーティアも今は手伝っているが、キッチンを借りたいというレドモンドの申し出は歓迎された。ゴードンもリヨンも、パンを焼くのは上手い。裏返せば、それ以外のメニューに関してはことごとく「何とかしていた」くらいなのである。
 才能とは、外から見ただけでは分からない部分に眠っているものだ。
 つくづくそう思わざるを得ない、とレドモンドを盗み見て、否、そうでもないのだろうかとユーティアは思案した。看守だった彼を知っている自分には、レドモンドがハーブを調合したり、トマトの缶詰を開けて野菜を煮込んだりしているのを見ると、違和感があって仕方ない。
 だが、看守であったと知らないで見たとすれば、彼はすらりとした背丈と、人目を引く金の髪を無造作に靡かせた若者である。サロワでは相変わらず少し浮いてしまう、飄々とした都会的な雰囲気も、容貌に似合っているといえば似合っていた。いつの間にそれほど慣れたのか、器用に果物を薄く切ったり、適当な組み合わせで味つけしたソースを確かめたりする姿も様になっている。
 彼は時々、ユーティアにハーブのことを訊ねた。ユーティアは薬草魔女として分かることを、答えるようにしている。レドモンドはそれを踏まえた上で、ユーティアの思いがけない料理を出してくることが度々あった。彼の手にかかると、ハーブは薬草ではなく、調味料なのである。
 朝、皆で朝食を摂り、外へ出て果樹園と菜園を回る。状態の確認だけ済ませるとユーティアは家で食事の片づけや洗濯をし、昼過ぎに農場の仕事を終えた皆が戻ってきて、テーブルを囲んで軽食を摂る。日が落ちるまで、ゴードンは休み、ホセとジェスは外での仕事を続ける。ティムがそれについていく。リヨンが買い物へ行ったり、畑に撒く種の準備をしたりして、レドモンドが三時ごろ、夕食を作るのを手伝いにやってくる。
 季節の巡りと共に太陽と土の匂いと過ごす生活は、ユーティアに懐かしい安息をもたらした。それはどうやら、サロワのような田舎で育ったことのない二人にとっても同じだったようだ。
 私たちには休息が必要だったのだ、とユーティアは実感した。戦争に遭い、その中で出会い、戦火の中を駆け巡り、三人で三つの命だけを抱えて、遠くへ遠くへとここまでやってきた。コートドールのことや残してきたものを忘れることはできないが、記憶の少し彼方へやって、今はただ、サロワで静かな日々を過ごして心を宥めたい。
 冬が過ぎ、夏が来て、また過ぎた冬が訪れようとしている。気づけばそうして何かを埋め合わせるように、二年近い月日が経とうとしていた。あれほど見ていた石の塔の独房も、記憶の中でうやむやに掠れてくる。殺風景な場所だった。サロワの、単調に広がる緑の殺風景とはまた別の意味で。
 ふと、ソリエスの光景が鮮やかに甦った。
「母親の調子はどうなんだ?」
「え?」
「あとで顔を出そうとは思っているが、今日はまだ起きていないんだな」
 一瞬、魂がその景色の中に取り込まれていたように思う。今ここにいることを忘れ、ティーカップを手にしたまま、意識を遠くへやってしまっていた。ティムの声がそれを、唐突に引き戻した。
 顔を上げると、レドモンドも返事を待つように目を向けている。
「ええ、今日はまだ眠っているわ。一応、起こしてホットミルクを飲ませたりはしているから、大丈夫だと思うけれど。少し眠りたいっていうから、そっとしているの」
 ユーティアは答えて、そういえばそろそろ、また飲み物を持っていく時間だと思い出した。七十七歳の誕生日を目前にした母は、このところ体調が思わしくない。
 特にどこが悪いというわけではないのだが、脚を悪くして、あまり動けなくなったからだろう。人間は動かなくなると、弱々しくなる。以前は杖をついて、誰かの手を借りて散歩に出ることも時々あったが、膝がいよいよ悪化してから、母は外に出られなくなった。
 太陽の差し込む部屋でカーテンを開けて、日がな一日、本を読むか眠るか、ぼんやりと過ごしている。もう母が自力でできることは多くない。カーテンを開けるのも、本を読むために枕を積んで、体を起こしてやるのもユーティアだ。ほとんど付きっ切りで面倒を見て、食事も夕食以外は部屋へ運ぶ。
 ユーティアは母が食べられるように、皆の夕食とは別にいつもリゾットを作った。味つけは薄く、すった野菜が入っている。肉は好んで食べなくなってしまったので、もっぱらチーズだ。近所でゴードンの古い知人が、牧場を営んでいる。そこから買わせてもらう。
 ティムが窓の向こうへ目をやり、思い出したように口を開いた。


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