2 魔女の店


「元気でね、ユーティア。……それじゃあ、また」
「うん、また。電話するから」
 駅まで見送りに行きたかったのだが、昨晩届ききらなかった家具が朝のうちにくることになっている。ユーティアはドアの外まで両親を見送り、父と母、それぞれに元気でと挨拶をした。
 二人は何度も振り返りながら川沿いを歩いていき、橋を渡って見えなくなる前、大きく手を振った。ユーティアが振り返すと、母が足を止める。彼女は口の横に手を当てて、まだ静けさの残る朝の町を起こすような声で、明るく叫んだ。
「頑張りなさい!」
 ユーティアが大きく頷くと、二人は顔を見合わせて笑い、父が促すようにして母を連れて角を曲がった。二人の姿が見えなくなってからも、そこに流れていた空気が風にさらわれて感じ取れなくなるまで、ユーティアはずっとドアの傍に立って見送っていた。
 やがて風が完全に、静けさと水の匂いだけを運んできた。
 ドアを閉めて家の中へ戻り、テーブルに積まれたサンドイッチを一つ口にする。昨日のブルーベリーを煮て、母が作っていったジャムサンドだ。ユーティアは二杯目のミントティーと共にそれを飲み込むと、階段を上がって屋根裏へ行き、カーテンを開けた。
 書き物机の前の窓は、東を向いて朝の光を取り込む。埃を被った鍵を拭いて手をかけ、その窓を広く開け放った。
 遮るものの何もない、まっすぐな光が眸の中に降り注いでくる。川のむこうに家々の屋根と通りが望めたが、そこを歩く人の一人一人までは分からず、アパートがいくつか間にあって駅までは見通せない。
 ユーティアは机の上にあった小物入れから、貝の細工が施された髪留めを取り出した。長い髪の両側に三つ編みを作り、後ろ髪と一つにしてうなじで一本に結ぶ。
 気持ちがすっきりと落ち着いて、背筋が自然と伸びる心地がした。どこからか荷馬車の進む音が聞こえてきている。見下ろせば川沿いの道を、大きな布に包んだ荷物を引いた家具屋の荷馬車が、住所を書いたメモを片手にこちらへ向かっているところだった。さて、とエプロンをつけて、ユーティアは階段を下りた。

 魔女の店〈ソリエス〉が開店したのは、ユーティアの引っ越しから一週間後の金曜日のことだった。
 しばらく使われていなかった家を隅から隅まで掃除して、ドアを新調し、上半分がガラスになって店内の様子が見えるものに付け替える。裏庭の一角だけ草を抜いて、ローズマリーやミント、セージなどサロワの自宅から持ってきたハーブを何種類か挿し木した。
 コートドールの駅前へ出向いて、買い物ついでに市場のありかを探し、庭に植えたハーブが根づくまでの間の商品に使えそうな薬草と果物を調べる。夏の間に植えられる花や野菜の種も買い揃え、商店街を回って問屋で小瓶や紙袋を集め、埋もれるような荷物を両手に石畳の道を歩いた。
 そうして最後に買った看板を、ゆっくりとドアノブにかける。「オープン」の面を上にして、ユーティアは一人、胸の前で両手を握り合わせた。
 晴天、午前十時。〈ソリエス〉開店の瞬間であった。

 裏庭の果樹に水を遣り、市場で用意した木苺でシロップを作り、そうこうしている間に昼がきてサンドイッチを食べた。帽子がないので日よけにスカーフを巻いて草を抜き、草むらに埋もれた古い蛇口を発見して捻ってみる。しばらく濁った水が出てきたが、次第に透明になり、使えるようになった。ブルーベリーを両手に収穫して、手の中で濯ぐ。
 ジャムにして保存を効かせるため、綺麗に煮沸した瓶と砂糖を用意し、鍋を火にかける。焦げつかせないように煮ながらラベルを作って、瓶の蓋を黄緑と茶色の紙で包んで少し華やかにした。
 戸棚を開けてローズマリーのオイルの出来を確認し、それにもラベルを書いて首にリボンをかける。フレッシュローズマリーを一本その結び目に挿せば、一気に印象がしゃんとして、品物らしい姿になった。
「よし」
 最初にしてはいい出来でしょう、と自分を励ますように頷いて、ユーティアはそれを店のテーブルに並べた。サロワにいた頃もロメイユで一人暮らしをしていた頃も、ハーブを使ったオイルや植物を使った軟膏は作り続けていたので、中身にはそれなりの経験が詰まっている自負もある。ただ、外見を飾るという発想は、コートドールに来て初めて学んだことだ。


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