21 夜に追われて


 セリンデンは数日間、威圧するように国境付近を飛行機で飛び回った。そして四国に対応の手がないことを確信すると、本格的な、空からの攻撃を開始した。
 あえてアルシエの、それもセリンデンと面した東側だけに対象を絞って、昼夜を問わず突然の爆撃が行われる。他の三国に手を出さないことで、アルシエ以外の戦意を削ごうというのだ。
 あからさまな作戦だが、アルシエの惨状を目の当たりにした三国には少なからず効果をきたした。北部の戦いでは活躍を見せたが、元々国民そのものが少なく、戦力として低かったエンデルなどは特にそうだ。エンデルは自国の国民が出征を続けることで、国内に被害がこれ以上広がるのを避けたいと、かつて頑なに拒んでいたセリンデンとの貿易交渉を受け入れるか否かを悩み始めていた。
 ウォルドはこれに、今から交渉したのでは降伏と同じであり、条約をいいように結ばされるだけだと経験を踏まえた反対の姿勢を見せたが、エンデルの王には思ったように響かなかった。アルシエはむしろ、味方を失うまいとして躍起になっているような印象を持たれ、リュスの協力もにわかに離れ始めている。東のレイスだけは空爆に対抗できる力を持とうと、武器の生産をますます急いでいるが、空からの攻撃に地上で守りを固めたところで、効果のほどは薄い。
 アルシエは日毎に奥へ奥へと侵攻され、二週間と経たないうちに、とうとう北部が攻撃を受けた。首都コートドールからいくらか離れ、武器の輸送も追いついていなかった北部は一晩のうちに崩され、戦況は一気に悪化と呼べる範囲を超え、転落した。
「あれは……」
 ごう、という耳鳴りのような音に、顔を上げる。長袖を着ても肌寒さの感じられる、落ち葉の香りの深い、晩秋の午後だった。ユーティアは調合室の窓から、空を旋回する黒い飛行機を見た。鉄屑を寄せ集めた、玩具の鳥のような、がらくたのような。
 けれどもう、今はそのシルエットに愛らしさなど、感じられるはずもなかった。
 こんなに近くまで来ているのか、と凍りついたユーティアの視界を、飛行機はゆっくりと通過していく。どうやら小型のそれは爆弾を積みこんではおらず、上空にしばらくごうごうと飛ぶ音を響かせたあと、どこかへ消えていった。

 事態が一変したのは、早くもその日の夜のことだった。牢へ戻り、食事を終えたユーティアがシャワーの用意をしていたときだ。
 唐突に、地面がどっと跳ね上がるような振動があった。
 轟音を耳が認識できたのは、一瞬あとになってからである。立て続けに響く爆発音の間に、あのごうごうという、飛行機が空を飛ぶ音が聞こえてきた。空爆だ。
 塔の外が騒がしくなったのが分かる。だが、塔に外から鍵をかけられている以上、動けるのは鉄格子の内か外かだけだ。ユーティアはせめて、倒れそうになる蝋燭の火を消してグリモアを掴んだ。ちょうどそのとき、石の塔の扉が勢いよく開けられた。
「セリンデンの空襲だ!」
 ティムの声だ。駆け寄ると、明かりが消されていることに気づいた彼らは扉を開けたままにして、ユーティアの牢の鉄格子を押し上げた。薄い月明かりと、それを凌駕する明滅が部屋に入り込んできて照らす。兵士の何事か叫ぶ声が聞こえて、塔の前を数人が慌ただしく駆けていく。
「コートドールを焼き尽くす気だ。すぐに逃げるぞ」
「逃げるって?」
「ウォルド王の命令だよ。選ばれたグリモアを持つあの魔女を逃がせ、って」
 ユーティアは驚いて、両目をいっぱいに開いた。
「この爆撃に紛れて、町に敵兵が入ってきてる。急ぐぞ、本当に必要なものだけ持て」
 抱えていたグリモアを見下ろし、これだけでと言いかけて、ユーティアは机の上のノートにも手を伸ばした。全部で十冊以上ある。持っていけるだろうかと逡巡すると、レドモンドがこれを使えと、ベッドのシーツを剥がした。急いで包み、引き出しから取り出した母の手紙も一緒に入れて、こぼれないように両端を結ぶ。
 片腕にそれを抱えるや否や、空いたほうの手を引かれて、ユーティアは短い廊下を走り石の塔を飛び出した。
 眼前に、見たこともない赤と黒、金の炎が上がっている。
 空を舐めるように燃え盛る根元は、当然、町についているのだ。木々の向こうに見えたその光景に、頭が真っ白になったユーティアの手をレドモンドが引き、彼の走る道筋をティムが先行した。どう、と大きな音が轟いて、行く手に新たな炎が上がる。振り返れば、城の向こうにも点々と赤い光が散っていた。
 前庭の柔らかな芝を駆け抜けて、城門を出る。城の外へ足を踏み出したのは、実に三年ぶりのことだった。城門を真横に見たその一瞬に、三年間が脳裏を染め上げたように思う。目の前に広がる町は、ユーティアがいつか帰ろうと決め続けていた町とは別物のような姿に変わっている。


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