21 夜に追われて


 これまで、魔女に被害が及んだ例は数えるほどだった。流れ弾に当たって、あるいは薬を届けに行ったところを、砲撃に巻き込まれて。戦地にいる以上、悲しい出来事はゼロではなかったが、それでも魔女たちは森を隔ててアルシエ軍の背後に置かれており、医者と同等に守られていたのだ。負傷兵の救護施設も兼ねている魔女のテントは、森が目くらましになって、ユーティアの知る範囲では砲撃を直接受けたことはなかった。
 それがなぜ、今になってこんな多数の死者を出したというのだろう。心臓が凍りついたように冷たい。指先が血色を失って震えている。
 何度か深く、呼吸を整えて壁に寄りかかると、ランタンをかけたレドモンドが長いため息をついて言った。
「空爆が、ついに現実になったんだよ」
「空爆……?」
「空中爆撃のこと。前からいつか来るんじゃないかって、噂程度には囁かれてたけど、こっちの予想よりずいぶん早く完成したみたいだな」
 聞き慣れない言葉に、ユーティアは上手く回らない頭を傾げた。
「ようは、飛行機に乗って爆弾を落としに来たんだ。セリンデンが」
「飛行機……? あれは、不可能だって言われていたじゃない。人間が空を飛ぶ乗り物なんて、造れないって」
「それが、造れたんだよ。まったく、いつの間にあっちの国はそこまで進歩したんだかな……今日、セリンデンの上空から国境を越えて飛んできて、森を一つ焼き払っていなくなったらしい。証拠がそれだよ」
 指を差されて、手の中のリストを改めて見る。すぐには文字が頭に入ってこなかったが、レドモンドの声音に嘘はなかった。
 飛行機。ユーティアの中でのそれは、プロペラを背負って人を乗せる、鉄くずを寄せ集めたような不思議な乗り物だ。架空の大きなおもちゃと言ってもいい。決して、国を跨いで飛んできて、銃撃の届かない高さを旋回して、大量の爆弾を一方的に落としてゆけるような、計算し尽くされた完成品ではない。
 昔、セリンデンが開発していると面白おかしく話題になったあのいびつな乗り物が、まさか兵器として昇華される日が来るとは思ってもいなかった。新聞記者による手書きのスケッチが、隣国の発展の一環として描き出したその姿を、アルシエの人々は愛らしいとさえ感じて笑ったのではなかったか。ユーティアもこればかりは、不可能だろうと信じて疑わなかった。躍進するセリンデンに残された科学者たちのロマンが、夢を見る子供のようで奥ゆかしかった。
 アルシエでも真似をして製作に臨む人々が現れ、一時は飛ぶか飛ばないかと人気を得たものだったが、成功例はほとんどなく話題の収束と共に姿を消していった。
 あの乗り物の名を、こんな形で再び耳にする日が来るなんて。半ば信じられない心地のまま、両手でリストを掴んで目を落とす。彼らがこれを持ってきてくれた理由は、言われなくとも分かっていた。
「――――……」
 名前は不規則に並べられていて、一人一人、すべての文字に目を通していかなければならなかった。瞼の奥の間へ名前が通るたび、その主がもうこの世に生きていないのだという事実がユーティアの胸を重く締めつける。
 呼吸はいつからか止まっていて、最後の一行まで読み終えたとき、どっと息をついた。
 確かめるようにもう一度さらい、口を開く。
「……ない、わ。ベレットの名前は、ない……」
 消え入るような声で結論を述べたユーティアに、ティムとレドモンドが一拍あってから、全身の力を抜いたのが分かった。帽子を脱いで髪をかき上げ、レドモンドが長い、長い息をつく。ティムが吐き捨てるように笑って、そうかよとリストを奪い返した。
「忍び込んでまで持ってきてやって、損したな。返しにいくのが面倒だ」
「ありがとう、二人とも」
「別に。あんたも余計な緊張しただけだったろ」
「いいえ、そんなことないわ。この話をあなたたちからじゃなくて、お城の噂で聞いたらどうなっていたか……」
 ユーティアは亡くなった魔女たちのことを思って、声を震わせた。だがその奥では、これだけの被害があったにも関わらず、ベレットが無事でいてくれたことに安堵している自分もいる。
 誰もが誰かの愛しい存在だと頭では分かっているのに、心はただ、彼女の無事に温もりを取り戻しつつあった。彼女のことだけが気がかりで、彼女に生きていてほしい。それしか、心から願うことができない。
 ユーティアは自分も、いつかのティムのように、恐怖で子供に戻ってしまっているのだと感じた。母親と父親だけが世界の何より大切で、大地がなくなるんだよと言われたとしても、二人がいればそれで大丈夫と思っているような、狭くて純粋な愛。
 戦争なんて、もうどうだっていい。
 ベレットが無事なら、それでいい。
 一時の錯乱状態のようなものだと分かってはいるが、今はそう思うことを止められそうになかった。リストに名を連ねた同胞たちのためにできることはといえば、ただ一つ、その本心を決して口に出さないことだろう。やがて夜がいくつも明けて、彼女たちの亡骸も故郷へ帰るころになれば、自分もまた元の視野を取り戻して、彼女たちを心から悼むことができる。それまでの間、たった一人のことしか考えられない心を、どうか許してとは言わないから、誰にも見つけないでほしい。


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