20 君の名を


 季節が夏だから、まだ侘しさを感じずにいられるが、冬になったらソリエスで自炊をしていた頃の料理がひどく恋しくなるだろうと思えた。唯一救いなのは、薬草だけは変わらず豊富に準備されていることだ。薬を作る傍ら、休憩時間に余った材料でお茶を淹れることは黙認されている。
 換気のために開け放った窓からは、囁き声をよく耳にした。最近の戦争の行方について案じる声や、それを咎める声。王の名前。
 王に関しては特にこのところ、噂話が増えたように感じている。戦争に関する噂ではなく、その容貌についての言葉がほとんどだ。曰く、ウォルドはかつての面影を失うほどに痩せこけ、顎と頬骨が浮き出したせいで顔が三角に尖って、ずいぶんと人相が変わってしまったのだという。異様に上気した頬の上で、青い眸がぎょろぎょろと動いており、齢六十にしてすでに骸骨のようだと言っている者もいた。
 その兵士は純粋に王の体を案じて言ったようだったが、すぐに相手の兵士に止められ、きつく叱責されていた。しかしその叱責もまた、口にした兵士が罰を受けるのを案じてのことであるようで、城内に陰鬱な緊張が満ちているのが伝わってくる。
 看守の二人にそれとなく訊ねたところ、王が痩せ細ってしまった噂は本当であるようだった。戦争中とはいえ、彼の食事は少なからず配慮されているはずだ。精神的な困憊が大きいのだろう。今は彼の息子である皇太子たちが、四六時中傍についている状態で、会議から出てくる姿も二人に両脇を支えられるようにして歩いているという。
 求められるならば、眠りや食欲を促進するハーブティーを差し入れたいと思った。だが城内の雰囲気を見る限り、そのような申し出を言い出せる様子ではなく、王もまた、薬草魔女とはいえ囚人の差し入れを口にする余裕などないのかもしれない。ユーティアはもどかしさを覚えたが、今は黙っていることが賢明だった。
 黙々と食べ終えた食器を鉄格子の外へ出し、時計を見る。時刻はもうすぐ夜の七時を回ろうとしていた。いつもならシャワーを浴びにいくのだが、今日はサボが来る予定なのだ。
 彼はユーティアが調合の仕事を始めてからというもの、夕方か早朝に立ち寄ってくれるようになり、手紙を兵士に預けず必ず手渡しするようにしてくれていた。昨日の夕方に手紙を届けに来てくれたので、今日、返事を預かっていってくれることになっている。同じくらいの時間に来るよ、と言っていたのだが、昨日彼が来たのは六時ごろである。
 仕事が忙しいのかしら、と首を傾げて、ユーティアは今日の日記をつけ始めた。机の上には母へ渡す手紙が、サボの用意してくれたクリーム色の封筒に入ってじっと横たわっている。

 三十分が経ち、一時間が経った頃、石の塔の重い扉が開かれた音がした。ベッドの上に寝転んでいたユーティアは慌てて起き上がると、手紙を掴んで鉄格子へ駆け寄った。
 だが、やってきたのはサボではなかった。ティムとレドモンドが、そういえばもう二人が来る時間だったかと、瞬きをしたユーティアに苦笑する。
「何だよ、ぼけっとして。もしかして寝てた?」
「人使い荒いだろ、城の奴ら。適当にしておかないと、倒れるぞ」
 二人はユーティアが疲れて眠っていたとでも思ったのか、寝起きをからかうように口々に言いながらやってくる。レドモンドが入り口にランタンを吊るそうと、腕を伸ばした。金色の光が広がって、書き物机の蝋燭以外、明かりのなかった室内を照らす。
「あれ、風呂は?」
「あ、ごめんなさい。まだ」
「俺に謝ることでもないと思うけどね。さっさとしないと、明日に響くだろ」
「ええ……、でも、ちょっと」
 面会が許されているのは、原則として八時までだ。多少の前後は許されるが、八時以降は城内の兵士がほとんど部屋に帰ってしまうので、付き添いに当たれる人数が揃っているかどうかによる。
 歯切れ悪く入り口のほうを見つめたユーティアに、レドモンドが「ちょっとって」と訊いた。
「人を待っているの。今日、面会にくる予定だったんだけれど……」
「面会?」
「ええ、ちょっと恰幅のいい、赤毛の、私と同い年くらいの男の人。見かけなかったかしら」
「さあ……特には。入れ違ったんじゃなくて?」
「それはないと思うのよ。もう何度も、夕方に来てくれている知り合いの郵便配達員なの。私の戻る時間も、知っているはずなのだけれど」
「配達員……?」
 壁際に座ったティムが、呟くようにそう言った。レドモンドが振り返ると、二人は顔を見合わせて沈黙する。
 ユーティアは一瞬、彼らに母と手紙をやり取りしていることを咎められるだろうかと思った。だが、そうではなかった。二人はわずかな沈黙のあと、何かを思案するような目をして訊ねた。


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