U.ルクシオン


 灰色髪の男が、向かい合うようにすとんと膝をついた。
「――開け」
「え……、あっ!?」
「警備の者たちが、ずいぶん手加減のない捕らえ方をしたようですまない。彼らも仕事だったんだ。何とか、許してやってもらえないか」
 鎖を握って、彼が一言命じた途端、あれほど頑丈に私の首と両手首を拘束していた金属は軽やかな音を立てて外れた。大きく開いて床に落ちたそれを、唖然として見つめる。
 手加減がなかったのは本当だが、幸い槍の柄で突かれた背中も、痛みは残っていなかった。私はちらと椅子の傍に立つ槍の男を見てから、ぎこちなく頷いた。
「あの、私、ここに侵入したとかじゃなくて」
「うん、もうそれは分かっている。大丈夫だ」
「本当に? もう疑ってない?」
「疑いが残っていたら、手錠は外さない。念のため、君からも聞かせてもらいたいことがあるんだが」
 ルク、というのだったか。灰色髪の男は、最初に目があったときよりもずっと柔らかい印象になって、枷を外したあとも私の前にしゃがんでいる。目線を合わせるような背中の丸め方に、安心させようとする意識を感じて、私は今だとばかりに弁解をしようとした。
 だが、それは必要なくなったようだった。代わりに彼は私に、一つだけ質問をした。
「君は、生身の……、生きた人間だな?」
「……へ?」
 多分、両目が点になったと思う。
 わけも分からないまま、私は突っ込みたくなる気持ちを抑えて頷いた。いや、死んでたらホラーじゃん。こんなに元気に動いて喋って泣いて睨んで、どう見たら「もしかして:死んでる」なんて可能性が思い浮かぶんだ。そんなに顔が青ざめてでもいたのか。だったら紛れもなく、あんたの後ろに控えてる槍の人のせいです。
「えええ――――!?」
 そんな私の困惑は、とうとう仕事を忘れたらしい警備兵たちの声にかき消されてしまった。あまりの声量にびくりとして顔を上げれば、ついでに槍の男も驚いているから、私まで驚いてしまう。目の前を見れば、ルクは「やっぱり」と言いつつも戸惑った表情で私を見ていた。
 生きていることの何がそんなに驚かれているのか、分からない。私から言わせてもらえば、死んでいるとカミングアウトされたほうが断然怖い。
 何だかまるで状況が掴めないが、彼らの反応を見ていると生きていることが申し訳なく思えてくる。それくらい、警備の二人は私と目が合っただけで飛び上がって騒いだし、槍の男は大切な槍を今にも取り落としそうになって呆然としているし、ルクすらも自分で聞いておきながら何も言えなくなっている状態だ。何だろうか、生きていてはいけない感じだったのだろうか、もしかして。
 いや、どんな感じだ、それは。
「あの……、ここへ入るつもりがなかったのは本当だから、良ければもう、帰ろうかと思うんだけど。なんか空気読めなかったなら、邪魔してごめんなさい」
「ああ、いや……そうだな。我々としても、生者である以上、帰らせてやりたいのは山々なんだが」
「あ、そうそう。ここ、どこなんだろうなあって。私、上野にいたはずが、気づいたら知らない場所にいて……なんて、よく考えたらそんなのあるわけないか。やっぱり、頭でも打ったのかな? もしかして夢?」
「……いや」
 彼らが何の集まりなのか分からないが、アウェイなことは明白なので、長居はせずに帰りたい。疑いが晴れた以上、ここに私を引き止めておく必要もないだろう。会話のちぐはぐなところからしても、やはりこれは夢なのかもしれない。ならば、覚めるべきときに覚めなくては。
 そう思って訊ねると、ルクは力なく首を横に振って、私の両肩に手を置いた。
「落ち着いて聞いてくれるか? これは、夢じゃない」
「あ、そう……なんだ?」
「ああ。紛れもなく、現実だ。ただ、先ほど君が生きていることに驚いたのは、ここには生きた人間がやってくることは、通常あり得ないことだからで……」
「ん?」
「あー……、もったいぶっても仕方ないな。つまり、その」
 コホン、とルクが咳払いを一つする。
 頭の中に疑問符を並べて、瞬きをしている私に、彼は言った。
「――魔界へ、ようこそ。初めまして、魔王のルクシオン・ブラグ=サイラス……です」
「まか……?」
 脳裏に、ロールプレイングゲームの最後の城が浮かんで消える。伝説の剣を握り締めて、勇者が宝箱を開けつつボスを倒しに向かった、魔王の城。ゲームのキャラクターみたい、と先刻思ったばかりの彼に、こうもりの羽と角の幻覚を見た。
 視界の隅で、槍を持った男がそっと耳を塞ぐ。
 天井が罅割れるかと思うほどの声が、私の喉から出た。


- 6 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -