].帰還


 私の四ヶ月は、行方不明で留年どころか、家に帰って、夕食の時間に十分間に合う程度の話だったのだ。なんだかいよいよ嘘のように呆気なくて、都合がよくて、笑いが止まらない。掠れた声で一人笑いながら、私は両手で瞼を覆った。
 なぜだろう、先ほどからずっと、嬉しいのに涙が止まらないのだ。嬉し泣きの温かく、潤うような涙ではなくて、流した分の何倍にもからからに渇いていくような、そんな涙が。
 ハンカチを出すことさえ思いつかず、引っ切り無しに溢れてくる涙を手の甲で拭う。頬がぐちゃぐちゃに濡れていて、このまま乾いたらひどい痕になって、顔を洗ってからでないと帰れなくなってしまいそうだ。魔界にいたときでさえ、こんなに泣いたことがあっただろうか。寂しくて不安で仕方なかったはずなのに、こんなに、声を殺して泣きすぎて、苦しさで胸が痛くなるほど。
「私……、私は……」
 濡れた手を拭こうとして、バッグを開ける手間さえもどかしく、コートの裾へ押しつけるように拭う。冬用の柔らかいコートは水気を吸わずに弾いて、私はそれさえ気づかないふりをするように、躍起になって拭こうとした。その手に、こつりと何か硬いものが触った。ポケットに手を入れて、それを取り出してみる。
 透明の、左下に銀のインクでサインの入れられた、ポイントカードが残光に透けた。五千の数字は〈地獄の門〉を通ってもそのまま、まるで私が許されたことを証明し続けるかのように、しっかりと刻み残されている。
 ゼロの向こうに、ふと石の柱が見えた気がして、ばっと顔を上げた。西洋美術館の入り口が、そろそろ閉められようとしているところだった。こちらに気づいていない様子の警備員が、ロープの渡されたポールを動かして、出ていく人たちに会釈をする。
 震える息を吐いて、私は手の中のカードを強く握りしめた。幻などでは、なかったのだ。あの世界は、誰が何と言おうと確かに存在していた。
「……っ」
 全部。初めから終わりまで、本当のことだった。あの場所で過ごした時間も、重ねた思い出も、見たものも聞いたものも、何もかも。そして。
『――マキ』
 貴方が、傍にいたことも。
 バッグを抱えて立ち上がりながら、私は留まる気配のない涙を片腕で拭って、しばらくぼうっと藍色に変わっていく空の下に居続けることしかできなかった。


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