\.ブルーベリーブルー


「それにしてもさ」
「ん?」
「声紋認証がある上に、見張りの人も立ってるっていうのはやっぱりすごいね。王様の部屋、って感じがする」
 ミルクを半分注いでかき混ぜながらそう言うと、ルクはそうだなと苦笑した。
 あのとき、ワゴンにのせた二杯目のコーヒーに気づいた彼が言った言葉は、「あまり隅に置くと、落としたら熱いぞ」だった。見えにくいよう、わざとソーサーにも置かずに持ってきたのに、さっさと取り上げられてしまって内心慌てたのは言うまでもない。
 タリファさんではなく私が届けに来たことには驚いていたようだったが、呆気なく見つかった二杯目が私の分であることに関しては、ルクは私よりもずっと、何の疑問も抱いていないようだった。ワゴンを掴んだまま躊躇っている私に構わず、というか気づかず、てきぱきと席を空けてコーヒーは並べられた。
 ここでいいか、と訊ねられて、まるで初めからそのつもりで来たかのような顔で、うんと答えてしまって以来。惰性というのか習慣というのか、なんとなくコーヒーは二杯持ってきてしまう。今さら一杯だけ淹れてそそくさと帰るのも、却っておかしい気がして――というのは多分、九割が言い訳で。私はこうして仕事の終わった後に、ルクの部屋を訪れる時間が嫌いではなかった。
「大げさだと思わないわけでもないんだが、この程度は最低限だといって、ゼンが聞かなくてな。警備の者たちにも交代で眠ってくれて構わないと言ってあるんだが、彼らも仕事ですからの一点張りで、いつ見てもしっかり立っているし」
「そりゃあそうでしょう。夜中に誰か入り込んだら、笑いごとじゃないんだから。それだけ、気にかけられてるんだよ」
「そうなのだろうな。あまり心労をかけすぎても悪いし、警備と結界くらいはつけておくべきなんだろう。ただ、あの声紋認証はいずれどうにか作り直したい。少々厳重にしすぎて、私自身も名乗らないと通ることができないんだ」
 一日が終わりかけているときの、気怠く緩んで、どこかほっとしたような感覚を、窓に架かる月を見ながらぼんやりと共有する。地上にいた頃はこんな時間まで、家族以外の誰かと一緒にいたことはなかった。夜は大抵、自室に戻って宿題をするか、リビングでテレビを見るかのどちらかであった。
 一日の最後にしていることが、誰かと話すことだというのは新鮮だ。地上にも夜はあったのに、この感覚は魔界に来て初めて知ったものだと思う。ミルクの溶けた、コーヒーの香りがしている。背骨の力が程よく抜けた、ベッドに入って眠くなるのを待っている間のような、理由のない満足感。
 くあ、と欠伸が出そうになって、体の奥から昇ってくる眠気をごまかすために、辺りを見回した。涙の膜が張って潤んだ目の中で、銀色がきらきらと動いている。それは砂糖を一杯追加したルクが、カップをかき混ぜるスプーンの銀だった。瞼を擦ると、残像のような光がちらつく。
「ねえ」
「なんだ?」
「ルクって、必ずお砂糖とミルク入れてるよね。もしかして、苦いもの苦手?」
 ふと、前々から気になっていたことを訊ねてみると、スプーンを動かしていた彼の手が止まった。あれ、と思う。どうやら図星だったようだし、返事がない。
 これはあまり言わないほうがよかった類のものだろうか。口にしてからその可能性に気づいて、どうしようかと次の言葉を探しにかかった私に、ルクはいつになく挑戦的な笑みを浮かべて顔を上げた。
「そういう君も、入れていなかったことはないようだが」
「えっ?」
「苦手なのは、君のほうじゃないのか?」
 お腹の底で、ふつ、と微かな対抗心に火がついたのが分かった。
 私は別に、甘党なのが悪いとかそうでないのが良いとか言いたかったわけではない。初めがコーヒーだったから何となくコーヒーを持ってき続けているが、紅茶やココアのほうが好みなら、今度からそうしようか、と聞こうと思ったのだ。
 ルクは完全に、私の意図を誤解している。ただ、気づいてはいるが、私のほうにも妙な意地が生まれつつあって、私は誤解を解くよりも先に、挑戦を受けるように唇を吊り上げていた。
「本当にそう思う?」
「なに……?」
「ルクが見たことないだけで、普段はお砂糖もミルクも使ってないかもよ? ていうか、どっちでもいいんだよね。あってもなくても平気」
 頬杖をついて、興味などなさげにそう言ってみる。嘘ではないが、それに近い意地の張り方をしてしまった。ルクも薄々、察しがついているのだろう。彼は珍しく笑って流すことも引くこともせずに、ふうんと考える顔をして、それから思いついたように口を開いた。
「ならば、提案なんだが」
 こつん、と白い指先が、陶器のカップの縁を鳴らす。
「今からこのコーヒーを、少し前の状態に戻す」
「二つとも?」
「無論だ。どうだろう? たまにはいつもと違ったものを味わいながら、ゆっくりしてみるのは」
 それは、受けないことは不戦敗を意味することになる、選択の道は一つしかない提案だった。試してくれるじゃないか、と心の中で挑むように微笑む。私は、ルクもなかなかの甘党だろうという確信があった。ケーキよりは焼き菓子、アイスクリームよりはゼリーといったふうに、私とは少し好みが違うが、甘さのレベルでいったらたぶん結構近いところで競っている。勝ち目のない勝負ではない。


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