Z.冥夜祭


 ダンスの経験などないし、舞踏会のマナーをあまり分かっていないから出ていきにくい、というのももちろんある。ただ、それを心配する以前に、私には魔界でダンスに誘えるほど気の置けない関係の男性がいない。それが何よりの事情だ。
 ダンスとなればさすがに、女同士というわけにもいかないだろう。男性を選ばなければならないが、仕事で多少の面識があるという程度の相手では、何分間か知らないが、向かい合って手を取って踊るのは気まずい。
 諦めて、見学を楽しめということなのだ。本音はほんの少しだけ、届きそうで届かないような惜しさがあるけれど仕方ない。
 苦笑した私に、ゼンさんは二度、瞬きをした。そして何でもないことのように、さらりと言った。
「お相手なら、いるではありませんか」
「え?」
「隣に」
 となり。言われて、今度は私が瞬きをする番だった。ゼンさんは私の隣ではなく、斜め前に立っている。
 思い当たる位置にいるのは、一人しかいなかった。そんなまさか、と思いながらも、右肩の上にある顔を見上げる。横顔に当たるかと思った視線は、同じように私を見下ろした、紫の眸にぴたりとぶつかった。
 途端、彼は我に返ったようにはっとして、シャンデリアの金色の光の下でも分かるくらい、真っ赤になった。
「な……っ、ゼン! どうしてそこで私に振るんだ」
「なぜ、と言われましても……私の見ている限りでは、お二人とも、結構親しくされているように見受けられましたので。ああ、もちろんマキさんが乗り気でないのでしたら、聞き流していただいて構わないのですよ」
「いや、あのっ、あの。待ってゼンさん」
「はい?」
「ええと、乗り気じゃないとか、私がどうとかじゃなくて! その……なんかおかしくない? ルクが、私と踊っちゃったら」
 隣に、と提案された相手から慌てて目を逸らし、私は何度か言葉に詰まりながら、やっとの思いでゼンさんに自分の考えを伝えた。真面目できちんとした人かと思えば、突然なにを言い出すのか。
 言われてみれば確かに、私がこの城で一番親しくしている男性はルクかもしれない。彼とだったら、妙な緊張や沈黙もなくて、楽な気持ちで向かい合えそうだ。ただ、いかに日頃の関係がラフなものであったとしても、彼は城主なのである。一介のメイドが、親しいからとダンスの相手をしてもらうには、どう考えたって選択がおかしい。
「つまり、個人的に嫌というわけではないですが、立場を考慮して遠慮されたいと?」
「まあ、あの。そんな感じ、です」
「ふむ。……だ、そうですが」
 ゼンさんのような立場の人に、それが分からないわけがないと思う。もしかして、今のは舞踏会ジョークというやつだったのだろうか。何言ってるんですかウフフと、笑って返すところだったのかもしれない。しかしゼンさんは至って普通の顔で、今度は私ではなく、ルクへ目を向けた。
「だから、どうしてそこで私を見る」
「彼女の意見は、いま伺いましたので。貴方もそう思って、私の提案にお返事をしてくださらなかったのかと」
「別に、そういうわけじゃない。私は別に、内輪の舞踏会で、立場も何もないと思うんだが……」
「そうなのですか? では、単に彼女がお相手では気乗りしないという――」
「違っ、そういうわけでは……! ああもう、ゼン。お前、楽しんでいるだろう」
 吐き出すような溜息と共に、ルクは気まずそうに髪をかき上げた。申し訳ありません、とゼンさんが呆気なく、からかったことを認める。どうやら最初から私ではなく、ルクの反応を楽しんでいたようだ。変わった主従関係だなあと、改めて思いながら納得する。
「……まあ、そうは言ったところで。どうされるのですか」
「え?」
 ゼンさんがぽつりと、ルクを見下ろして呟く。
「私のことはさておき、こういった場合、あまり戸惑って有耶無耶にしてしまうのは、女性の方に失礼かと思いますが」
「そ、そうなのか?」
「ええ。お誘いするにせよ、しないにせよ、貴方が意思表示をしないままでは、彼女は身動きが取りにくくなるばかりです。貴方との約束がどっちつかずの状態では、もし他の者から声がかかったとしても、彼女も出て行きにくいと思いますし……ねえ、マキさん?」
「はっ? え、ああ……っと」
 終わったつもりでいた会話がこちらに振られるとは思っていなくて、すぐには上手い答えが返せず、口ごもってしまった。ねえ、と言われても、そもそも私には声をかけてくる予定の人もいないのだが、その点についてはもう一度ご説明が必要だろうか。自ら「寂しいです」と公表するようなものなので、できれば何度も口にするのは避けたいのだが。
 どうしようかな、と思い、何も言わないゼンさんではなく、ルクに視線を向けてみる。彼は、私と目が合うなり――まるで自分がすでに重大な失礼を働いたかのような、私の次の言葉を待って、とてつもなく緊張している顔をした。
(これは……)
 ふつ、と胸の奥で、悪戯心が湧いてしまう。怒った女の先生を目の前にした、小学生の男の子のような態度だ。怒られるのが嫌だ、できればこのまま怒らずに済まされたいという思いと、自分が何をしたのか、頭の中で必死に省みているのが手に取るように伝わってくる。


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