Z.冥夜祭


 臙脂のカーテン、いつもより少しだけ丁寧に磨かれたグラス、長いテーブルをたっぷり覆えるこの日のためのテーブルクロス。目の眩むような絢爛さはないが、どこか「特別」なものたちが一週間で次々に運び込まれ、閑散としていた大広間を別物のように作り変えていった。
 そして、八日目の今日。いよいよ、城の冥夜祭が始まる。
 事前に聞かされていた通り、朝からまるで真夜中のように真っ暗だった今日は、城中に明かりを灯して午前中だけ仕事をした。洗濯や料理など、冥夜祭といっても外すことのできない仕事はある。私も洗濯担当として、兵士さんたちが持ち出してくれた明かりを頼りに、皆で洗濯をした。
 空は底無しの夜のように黒く、明かりがなくてはほんの数メートル先にいるシダさんの顔さえ見えなかったくらいだ。私のこれまでに体験した、どんな夜よりも暗く――点々と灯された明かりの下の、全員がこの先に訪れる時間を期待して微笑んでいる、そんな昼だった。
 ブツン、とどこかでマイクのスイッチが入れられた音がする。真っ暗で、何も見えない。ざわめいていた室内が、その音に耳を奪われたように、一斉に静かになった。私も、誰とも分からない誰かと誰かの間で、その音を聞いて顔を上げた。
「そろそろ皆、集まってくれた頃だろう」
 正面の、何も見えない暗闇の向こうから。マイクを通したルクの声が、会場に響き渡った。
「毎年のことながら、時間のない中、これだけの準備をしてくれたことに心から感謝する。今日の舞踏会は君たちが用意したものであり、君たちのための、一年に一度の祭りだ」
 会場が、息を呑む。一人一人の胸の高鳴りが、大きな鼓動になって、風船のように宙へ浮かんでいく心地がした。
「心ゆくまで、楽しもう。――冥夜祭の、始まりだ」
 わあっと、その風船が弾けたように歓声が上がる。想像以上に多くの人が周りにいたことが分かって、私もわっと小さく声を上げた。ほとんど同時に、真っ暗だった大広間が一瞬にして明るくなった。天井に並ぶシャンデリアのすべてに、明かりが入れられたのだ。こぼれる滴のような光が、魔界のどんな朝より明るく、冥夜を金色に照らして辺りの景色を見せてくれる。
 人垣の向こうに、私たちの準備した長いテーブルが整然と並んでいた。その上に、一目見たくらいでは収めきれない数の料理が載せられている。奥は大きく空けられていて、隅にはピアノを始めとするオーケストラで使うような楽器が並べられていた。臙脂のカーテンに、黒のピアノは影絵のように立派に浮かび上がって見える。
 最奥の小さなステージで、ルクがマイクを高く掲げた。見る間にそれが紙吹雪となって、会場に舞い散らばっていく。皆の視線がそちらに向いているうちに、ルクはローブを翻してステージを降りた。短い挨拶の終わり。それは、この舞踏会の始まりを意味する、本当の合図でもある。
 大広間の一角に固まっていた人の海が、あちらからこちらから、編み物をほどくようにぱらぱらと会場へ散らばり始めた。と思った次の瞬間には、波のような勢いに押されて、私も一斉に動き出した皆と一緒に大広間へ歩き出していた。後から後から、足音が雨のように響いて、隣をどんどん人が通り過ぎていく。見知った人も見知らぬ人も、数え切れない横顔がテーブルへ向かっていった。
 自由参加というから、もっと小規模なものを想像していたのだけれど。大広間に溢れた人の数を見る限り、全員ではないのだろうが、それに近い人数が参加しているようだ。高校の全校集会で集まる数が、ちょうど四百くらい。それよりやや多い数の人が、集まっているように思える。
「マキさん!」
 賑わいに思わず足を止めてしまっていると、一つのテーブルから私を呼ぶ声があった。
「テティさん?」
「はい」
 こっちですよ、と片手を挙げてくれる。見れば、周りにも何人か顔見知りのメイドさんが集まっていた。
「一瞬誰かと思っちゃった! 綺麗……」
「そんな、とんでもありません」
「謙遜しなくたっていいじゃない。ほんとに似合ってる」
 隣へお邪魔して、その輪に入れてもらいつつ、私はテティさんを頭の先から足の先まで一頻り眺めて言った。彼女は、眸と同じ深いブルーのドレスを着て、銀の靴を履いていた。装飾が控えめで作りが細く、袖の部分がシースルーになったドレスは、メイド服でも伝わっていたテティさんのスタイルのよさを一層引き立たせる。
 ハニーブロンドというのだろうか、白が多くて柔らかい金の髪も、普段は固くお団子にしているのを今日はほどいて背中に流している。ありがとうございます、と少し照れたように俯いたときでさえ、その髪がさらりと揺れるのが美しかった。
「何か、飲みますか? お酒でないものも色々とありますよ」
「あ、うん。一応ノンアルコールで……勝手に取っていいの?」
「ええ、今日は日頃、給仕をしているメイドたちも楽しむ側です。飲み物も食事も、会場にあるものは、自分たちで自由に取って構わないんですよ」
「そうなんだ。なんかいいね、舞踏会っていっても気さくな感じで」
「内輪ですからね。お客様がいらっしゃると、そもそも私たちはテーブルにつくこともできませんけれど、今日は特別です。どうぞ」
 いいなあ、染めなくても綺麗な色で。
 ぼんやりと見惚れていると、テティさんは私に空のグラスを手渡した。瓶を開けて、グレープフルーツジュースを七分目まで注いでくれる。慌ててお礼を言って、私も彼女のグラスを満たし返した。テーブルの向こう側に立つ人が「乾杯」といって、見ず知らずの人も大勢いるのに、グラスが自然と中央へ集まる。シャンデリアの光が、縁に当たってこぼれた。


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