V.魔界


「あれは正真正銘、私がかつてロダンに依頼した、魔界と地上を繋ぐ門なんだ。人間の魂は体から抜け出すと、最初に神界、……イメージがしづらいか。天国を目指す」
「ふうん?」
「昔は何はともあれ地獄、なんて時代もあったんだがな。最近じゃ、天国も大分ゆるい。普通にしていれば、大体は検問に引っかかることもないはずなんだ。ただ、中にはどうしても受け入れようのない悪人もいて、そういう者には然るべき罰を受けさせるため、天国がこの魔界、君たちの認識でいうところの地獄へ送りつける」
「……」
「その通り道に使われているのが、〈地獄の門〉だ。日本だけでなく、世界のあちこちに存在していて、正しい手順で送られた者は通常、門からこの〈裁きの間〉に直接降り立つ」
 なんだかそれでは、私はものすごい悪人だったみたいではないか。無愛想な顔をした私に気づいたのか、ゼンさんが小さく咳払いをした。また無礼者扱いを受けるのかと身構えたが、どうやらルクに「言い方がまずい」と伝えたかっただけのようだ。
 咳払いを聞いたルクが、ぱっと顔を上げる。反応の速さからして、こういう助け舟……もといコンタクトが、日常茶飯事である可能性が窺えた。
「無論、君の場合は特殊だからな? 今のはあくまで、君に〈地獄の門〉と、この世界のことを説明しただけだ」
 よく分からない身振り手振りを加えてもらったところで、はあ、としか言いようがない。ちらりと横目にゼンさんを見れば、彼は気まずそうに横を向いた。
「その、特殊な状態に君が陥った理由だが」
 私の話を一通り聞いて何か分かったのか、ルクが本題を切り出す。私もそれが知りたい。
「〈地獄の門〉は、そこへ触れた人間の抱える罪の大きさに反応して開かれる。君の場合、罪悪感が門を開かせてしまったんだろう」
「罪悪感?」
「あの門を傷つけてしまうかもしれない、という罪悪感だよ。転んだ瞬間に、一生かけて償わなくては、と想像したと言っていたな。恐らくはその瞬間、君の中に、一生消えない罪の意識が仮定されたんだ。あの門は、罪の内容までは見定めない。この年齢にしてこれだけ大きな罪悪感を抱える人間ならば、さぞかしの悪人であると思って、君を通してしまったのだろうな」
 目の前に〈地獄の門〉が迫ってきたときの、胸がひやりとした感覚を思い出して身震いする。やってしまった、と思った。確かにあのとき、あらゆるものに対して「ごめんなさい」と心の中で叫んだ覚えがある。
 まさか、その素直な気持ちが仇になろうとは。どうすればよかったのだろう。「ごめんなさい」ではなく、「クソッタレ」とでも思えばよかったのだろうか。無茶だ。
「……加えて、君はそのとき、あまり精神的に良い状態ではなかったのだな」
「へ?」
 顔を上げた私に、紫の視線がじっと注がれていた。ゼンさんがルク様、と小声で何かを言おうとしたが、彼は片手でそれを遮る。
「先が長くなるんだ。今、吐き出しておかないと、後から塞ぎ込む原因になりかねない」
「は……、失礼しました」
「何? なんの話?」
「ああ、すぐに話す。その前に、名前をまだ聞いていなかったな」
 にこりと、ルクは初めて会う少年のような笑顔を浮かべて言った。魔王というにはあまりに真っ当で、一瞬、自分がどこにいるのか忘れてしまいそうになるその表情に、肩の力がすとんと抜ける。自分がずっと、緊張していたらしいことに初めて気がついた。
 ルクはそんな私の驚いた顔を見ても、何も言わずに返事を待っていた。
「真希。……高倉、真希」
「そうか、じゃあマキ」
「ちょ、なんで勝手に呼び捨てにするのよっ」
「君だって、どうせ私をルクシオン様とは呼ばないだろう。ルク、と略すのが目に見えている。二文字と二文字で、平等だと思わないか」
 図星をつかれて、ぐっと言葉に詰まった。何が平等なのかは分からないが、先ほどから心の中ではとっくに「ルク」と呼んでいる。そういえば魔王様とも呼んでいないし、フルネームの終わりのほうに至っては忘れてしまった。
「ゼンも、本名はもっと長いんだぞ」
「えっ」
「ゼークシュトラウム=グレンダン=デッケン。……と、申します。始めと終わりをとって、日頃はゼンと名乗っておりますが」
「な……っが。しかも、どこもあんまり言いやすくない」
「魔族は皆そうなんだ。魔界では、名前など仲間内で呼びやすく決めておくに越したことはない。君もそう呼ばれていたほうが、安全だろうしな」
「え?」
 言葉の終わりは私というより、ルクとゼンさんの間で交わされたものに近く、よく聞き取れなかった。まあ、考えてみれば高倉と呼び捨てにされるよりは、マキのほうが愛称的で良いかもしれない。高校の友人たちと、まるで変わらない呼び方だ。
 と、胸の奥がふいに虚しくざわめいた。あの〈地獄の門〉の傍へ行く前に感じた、抑えていたはずの寂しさが顔を覗かせる。
「マキ。君は、落ち込んでいたんだろう?」
「え……?」
「親しい人間からのそっけない扱いに、気分が落ちていたんじゃないのか。先ほどは軽く話していたが、待っていた気持ちをぞんざいに扱われて何とも思わない者はいまい」


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