第十四幕


「ああ、こちらを向きましたね。まだずいぶん、お若い――」
 その指の先を、両目が捉えた瞬間。少年は自分の胸の奥が、大きく脈打ったのをはっきりと感じた。
 象牙色の、緩やかに広がる髪。歳は自分とほぼ変わらないくらいだろうか。ワンピースの上から薄紫の少し長いエプロンを着けて、爪先の丸い靴を履き、髪に靴と同じ焦げ茶色のリボンをつけていた。陰から出てきた母親らしき人と何事か話しながら、荷車に積んだ花に値札をつけていく。
「王子!」
 気がつくと、足が勝手に駆け出していた。
 従者の声が間を通る人々に阻まれて、遠くなる。目の前をすり抜けた人たちが、わっと驚く声がする。手にした篭からタトゥイが一つ二つ、零れて道に転がった。風船が遅れて追いかけてくる。
 少年はそのすべてに構うことなく、荷車の前でようやく足を止めた。
「いらっしゃいませ」
「あ……」
「どうしたの?」
 真っ直ぐに走ってきた少年に、少女が声をかける。澄んだ声だった。
 少年はすぐには答えられなくて、荷車に片手をついて肩で呼吸をしていた。道を反対側まで走っただけのほんの短い距離だったはずなのに、息が切れている。まるでもっと、ずっと長く、とてつもない距離をここへ向かってきたかのような。
「……君、は」
 心配そうに覗き込む少女と彼女の母親の前で、彼はようやく一言、口を開いた。君は。その先に何を言おうとしていたのか、何を言いたかったのか。駆けてきたのは自分であるはずなのに、どうしてだか言葉がまとまらない。
 従者が砂糖菓子を拾いながら、こちらへ向かってきている声がする。何かを言い残さなくてはならない衝動に駆られ、少年は咄嗟に、顔を上げて少女に言った。
「――僕は、カイエル・オル・アレステア。君の名前は?」
 少女の隣で、母親が驚きに声を上げる。遅れて少女も、その目を丸く開いた。アイスブルーの、今日の青天の光をよく拾う、綺麗な眸だった。やがてふわりとそれを細め、彼女は口を開く。
「私は、エイラ。……エイラ・グランと申します」
 差し出された彼女の手には、細い痣があった。右手の薬指の付け根を、囲むように一周する痣。まるでずっと、そこに指輪でもしているかのように。
 カイエルはその手を、迷わず握った。細いが、温かく握り返してくれる手だった。従者の呼ぶ声がしている。楽団がまた、春の息吹を奏でるような音楽を町に響かせ始める。
 仄かに甘い香りのする風が、荷車の花を揺らして舞い上がる。それは二人の繋いだ手を包むように、ほんの一秒そこで立ち止まり、やがて音もなく空へと昇っていった。



「七夢渡り」/終

- 43 -


[*前] | [次#]
栞を挟む

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -