第七幕


 もうずいぶんと古びて色褪せるところは褪せてしまっているが、金の土台に緑と青で、蔓草の紋章が描かれていたのが分かる。アレステア王国の紋章だ。
 ハイエルはライラの眼差しに、彼女がそれに触れたのは偶然ではなかったことを確信すると、決まりが悪くなって少しばかり早口に言った。
「私から聞かなくとも、充分、ご存知ではないですか。私のことなど」
「でも、貴方の言葉で聞いてみたかったのです。何もかもを分かっているようで、本当は何一つ分かってなどいないから」
「最初から、その話をしたかったのだと言ってくだされば良いのに。……貴方には、何もごまかせませんね」
「そうかもしれません。少なくとも、私が物心ついてからのことは」
 正装の胸元に、いつも変わらずつけているもの。ハイエルのそのブローチは、彼が十四のときに、アレステア流剣術の大会で二位を取った記念の品である。主催は王家で、ブローチも王の手から直接授けられた。
 並み居る大人たちを倒して表彰台に上り詰めた彼は、当時まだ訓練生で、騎士の階級を与えられてすらいなかった。後、十五歳となったときに、このときの功績が認められて階級を授かることとなる。
 一位はハイエルの父であり、彼はその大会で五回連続の優勝を飾り、栄誉賞を賜ってその後は出場を辞退するようになった。城での勤務そのものは引退した今となっても、王とは個人的な親交を持ち、城外での仕事には同行することもある。
 三年に一度、定期的に開催される剣術大会での優勝候補はハイエルに代を変え、現在四連勝を。グラン家としては九連勝を守っているところだ。
「このブローチを父から授かったときの、今の私より若かった貴方の喜びは、この川岸にいても伝わってくるものがありました。心密かに、おめでとうございますと言祝いだものです」
「光栄です。……さぞかし、川辺の賑やかさに呆れられたのではありませんか」
「とんでもない。もっと素直に喜ばれたら良いのにと、私が代わりに両手を上げて喜ぼうかと思ったくらいです。だって、とても素晴らしいことでしょう?」
 ライラは初めから、これを口にしたかったのだ。
ハイエルは上手く話を誘導されていたことに気づいたが、不思議とあまり悪い気分にもならなかった。政治的な謀の絡んだ誘導ではないからか、あるいは彼女があまりにも、やっと言えたと安堵したような顔をしているからか。
 いつからそのつもりで話を運んでいたのだろうと、気づきもしなかった自分の無防備さに苦笑する反面、この胸を占めているのは妙に温かな気持ちだ。歳こそハイエルのほうが上であっても、彼女はずっと、トコロワから自分の成長を見つめ続けてきた。誰にも晒さなかったはずの苦悩や喜びも、流れる記憶となって、彼女には知れてしまっている。
「フェアじゃありませんね」
「だから、九年という差があるではありませんか」
「それを差し引いたとしても、勝てる気がしません」
 困ったような言葉と裏腹に、ハイエルはそう言って笑った。誰の威光を借りたわけでもない、頑張ってきた貴方を、私は知っている。言外に伝えられたその言葉が持つ力が、大きすぎて持て余してしまいそうだ。強く正しくあろうと背筋を伸ばした心の奥にいる、時間の止まった少年を包み込む。
「……あまり私を、甘やかさないでください。この気持ちもいずれ、トコロワに流れ着くのかと思うと、意地でも薄れさせないように覚えていたいとすら思います」
「今さら、隠さなくても良いのでは。認められる権利は、誰にだってあります。たまたま、私は貴方にそれを伝えただけのこと」
 伽羅の香りが強くなってくる。些細なことのようにそう言って微笑むライラに腕を伸ばし、薄紫に包まれた体を岩から下ろすと、ハイエルは少し言い難そうに礼を言った。アイスブルーの眸が、ぼんやりと滲んでゆく。慣れた目覚めの感触に、引き寄せられる。


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