第三幕


 受け入れられるか、拒まれるか、ハイエルにはどちらにも予測がつかなかった。
「……身勝手な理由で、貴方に会いにきたのです。私は」
「身勝手、ですか?」
「はい。私自身の決断のために」
 ハイエルは躊躇いながらも、七夢渡りに踏み切った事情を正直に明かした。こうしてライラが応じてくれた以上、ただその喜びと感動で胸を満たすばかりではなく、果たすべき目的が自分にはある。
 以前から何度となく考えたことはあったこと、自分がそろそろ周囲からも結婚の話が上がる年齢に達していること、そしてカナリーのこと。それらの決断のために、自分自身の過去に囚われた部分と向き合いたくてここにいること。未来の選択をするために、会いに来たのだということ。
「はい、知っております」
「え……?」
「貴方の思いも、葛藤も、私に会いたいと思ってくださった願いも。すべてこのトコロワまで、聞こえておりました」
 打ち明けるようにすべてを話したハイエルに、ライラはただ、しっかりと頷いた。顔を上げた彼に、穏やかな声で続ける。
「貴方は、自分のこれまでの日々に。もっと遡れば、私の婚約者に選ばれたことに。それから今日までの様々な思いを抱いて過ごしてきた日々に、はたして意味はあったのか、価値はあったのか。それを知りたいのですね」
「……そこまで分かっていて、貴方はここへ来てくださったのですか。この立場にあるまじき、身勝手な理由だと詰られないのですか」
「なぜ、私が貴方を詰る理由がありましょう。……ハイエル様」
 薄紫を緩やかに纏った白い腕が、ふわりと伸ばされる。そしてライラはまるで戦いから帰った者を労わるように、あるいは形ある幸福を歓迎するように――ハイエルの額に、その黒髪の上から口づけを落とした。
「貴方と出会うことのできなかった私ですが、こうして貴方の計らいにより、果たせなかったはずの出会いを果たすことができました。七夢渡りの七日間、私が貴方の力になれるというのであれば、協力を惜しむつもりはありません」
 迷いのないその言葉が、鼓膜から染み渡ってゆく。ハイエルは初めこそ返事さえ忘れたようになっていたが、やがてその胸にせり上がって来る言葉を抑えきれなくなって、体を離したライラを見つめ、叫ぶように言った。
「なぜ……!」
「ハイエル様?」
「なぜ、そのようなことを言ってくださるのですか。貴方にとってはまるで他人の私に、そのような口づけをなさるのですか。私は十八年間、一人トコロワで暮らす貴方に、結局のところ何もして差し上げられたことなどないというのに」
 アイスブルーの眸が、大きく見開かれる。ハイエルはそれに耐えかねたように、視線を逸らした。
 十八年という決して短くない月日を、ライラという存在を心に抱いたままで過ごした。けれどそれはハイエルの一方的な思いの話であって、事実としてライラに何かを与えられたことなど、本当は一度もない。
 ライラは、生まれなかったのだから。世界を違えてしまってはどれほど思ってもできることなど何もなく、十八年という孤独を、彼女は一人で乗り越えてきたのだ。そこに自分が関与できたことなど、一度たりともなかった。
 だが、ライラはハイエルの吐露した積年の苦悩を聞くと、その目をますます大きくして、ぱっと細めた。
「……ふふ」
「ライラ様?」
「ハイエル様、それは貴方の誤解です。何もいただいていないなんて、とんでもない。私は貴方から、たくさんのものをいただいているのに」
「そんなはずは」
「……ない、とお思いですか? この言葉も、ただの慰めだと」
 ハイエルが、ぐっと返事に詰まる。その通りだ。優しい慰めでなくて、何だというのだと思っている。だが、彼には到底、ライラに対してそれをぶつけるような無謀とも言える弁えのなさはない。
 反応が予想通りだったのだろう。彼女はそうして、どこまでも温かく笑った。
「それは、間違いですよ」
 その笑顔に、ハイエルは刹那、目の前の少女がトコロワの者であることを忘れてしまいそうになった。感情の込められた、生きている人間と何ら変わらない笑顔だった。
 だからであろう、彼は驚きのあまり、どうしてと訊ねるのがほんの一瞬、遅くなった。
 そして我に返って口を開きかけたそのとき、ふいに強くなった伽羅の香りに包まれて、目の前が真っ暗になっていった。


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