Epilogue -巡るものたち-


「行くぞ、ルーダ」
 飛行石が眩い青を光らせて、飛行艇は短い休憩から起こされて舞い上がる。涼やかな秋晴れの、心地の好い午後だ。ブラウン・カフェの広告が貼り出された大通りの曲がり角を越えて、運河を見下ろすいつもの針路で、慣れた空の道を行く。
 上等飛行艇士の仕事に就いて、早五ヶ月が経とうとしていた。日々の細かな出来事を上げれば色々なことがあったが、ウェストノール飛行艇士管理所所属の飛行艇士としては、概ね良好な評価を収めてきている。近頃では利用者の中に顔見知りもできてきて、大陸を飛び交う飛行艇士の一員として、それなりに安定した生活を送る毎日だ。
 幼いころに憧れたあの飛行艇士のような、遥かな高さを飛ぶ仕事はそうそう入らないが。それでも定期的に入る航空写真を撮影するための航行を、この秋から任されることが決定した。カルドーラを突っ切ったというあの出来事は、図らずもテオの上空一千メートル以上での航行技術と咄嗟の判断力を証明する功績となり、ウェストノールの管理所にはそういった依頼が度々舞い込むようになったのである。
 三つ目の橋を越え、レバーを右へ傾ける。路地を囲んで家が並ぶ古くからの住宅地を進んでゆけば、煙突が立った焦香の屋根はもうすぐそこだ。
 ざあ、と草が飛行艇の起こす風に煽られて波打った。その庭先に出て空を見上げている少女の姿を目にして、テオが片手を挙げる。地上で手を振って応え、少女は飛行艇が着陸できるようドアのほうへ離れていった。肩にかけられた淡黄のショールが、ゆるりと大きく翻る。
「お帰りなさい、テオ。お疲れさま」
「ただいま。もしかして、待っててくれた?」
「一時すぎには着けるって、昨日言ってたから。ちょうど休憩にしたかったし、もしかしたらそろそろ来るかなって」
 飛行艇のエンジンが止まったことを確認して、駆け寄ってきたセネリを軽く抱き締める。帰還を労う挨拶の形が、彼女とだけは少々変わった。カチューシャの上からキスを落とすと、くすぐったそうに笑う。五ヶ月前には想像もしていなかった日々も、今ではすっかり日常の一部に溶け込んだ。
「今日は何?」
「マゼリとドライオレンジのお茶」
「あ、いいな」
 蘇芳の暖かそうなワンピースに身を包み、革のブーツを履いたセネリはもう秋の装いだ。石造りの彼女の家は、このところの気温でも些か冷える。体温を上げる効果のあるマゼリの葉を使った飲み物が、近頃の彼女には手放せないらしかった。冷えがちな指に袖を掴まれて、植物の香りの漂う部屋の中へ入る。テーブルの上のラジオからは、昼のニュースが流れていた。


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