八章 -ウェストノールの風-


「一気に上がるから、掴まってて」
「うん」
 風の根を少しでも早い段階から捉えるために、東を目指すより先に飛行艇を上昇させていく。大地はあっという間に遠ざかった。低い積雲を越えて町がその下にちらつき始めると、自分たちが今、空の領域に入っていると感じる。
 セネリにとっては、きっと想像もつかなかった高さだろう。怖がってはいないかとさりげなく振り返って様子を見てみれば、彼女はシートの真横を雲が横切る光景に見入っていた。案外平気なようだと安心したあとで、もしかしたら現実味がなくて落ち着いているだけなのかもしれないと思い当たったが、それならそれでとテオは何も言わずに高度を千六百まで上げていく。いらぬ恐怖を自覚させるような真似は、何もこんなときにしなくていい。ゴーグル越しに腕時計を見て、後ろへ声をかける。
「カルドーラの通過予定って、明け方から朝にかけてだったよね。大体、何時くらいかな」
「竜巻と相まって、予想がつけにくい風だから具体的には……、でも、五時くらいだと思うんだけれど」
「じゃあ、ちょうど今くらいのはずだな。後ろから、ちゃんと見えてる?」
「大丈夫」
 カルドーラの竜巻は、北から流れてきた風に包まれてその渦が見えにくい。近づくまでほとんど目に映らず、だからこそ地上では話題になりにくいというのが実態だ。セネリは航行に気を配るテオに代わっていち早くそれを目に留めようと、東の彼方に目を凝らしている。頬に当たる風はまだそれほど強いものには感じられないが、吹き止むことがなく、一定の力を保って常に向かってきていた。まるですでに大きな手のひらの末端に呑まれているかのような、これまでに経験のない感触に、レバーを握るテオの手にもわずかに緊張が走る。
 カルドーラの通常、通過していく場所は上空千八百メートルくらいだ。縦に長い、楕円の繭を作ってそこからおよそ二千メートルまでの間をゆっくりと上下して移動する。テオは飛行艇のメーターを確認した。高度は千四百、速度は時速百二十キロ。まもなくウェストノールを抜けて、王都の上空へ入る。
 セネリと事前に話し合い、まずは風の神殿の真上を目指すということに決まっていた。カルドーラがもし本当に神殿へ引き寄せられているのだとしたら、そこから東を向いた場所に根があるはずだ。
 針路を定期的に確かめながら進むテオの肩を、しばらく黙っていたセネリがぎゅっと掴んだ。アイボリーのジャケットに溶けそうな、淡い色の爪が目に入る。短い間だけ片手を自由にして、その指先を軽く叩いた。ずっと遠くを見ていたから、高さを実感してきて怖くなったのだろうか。たずねればセネリは小さく首を左右に振って、懇願するような声で言った。


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