五章 -ブラウン・カフェ-


 恋人に、見られているとしたら。おそらくそういうことだ。
 気づいてみれば確かに、この状況は周囲から見ればそう思えるのかもしれない。縺れた紐を解くように、セネリの言い連ねていたことがようやく理解できた。恥をかかせていたら、と言う。
 石畳を抜け出した足で所在無さげに傍らへ立ち、自分の爪先へ目をやっている彼女を見下ろした。どこか懐かしい硬い生地のワンピース、使い込まれていないのに古めかしく思える鞄。偽物がいくらでも手に入る時代に、髪を飾る葡萄石は本物だ。紺色の靴のリボンは、今日の服の丈に合わせて足首を一周してから小さく結んである。どれもこれもが、賑わう観光地区から取り残された絵のように郷愁を抱え込んでいる。けれど。
「じゃあ、こうでもしようか」
「え……っ、あ、あの」
「オレが、そんなの全然気にしてないって証拠にさ」
 それが、いいんじゃないか、と。テオはわざと子供が子供を遊びに誘うような笑い方をして、セネリの右手を自分の左手で取った。途端に、沸騰したように赤くなる顔が面白い。その素直さが、少し羨ましいときもあるくらいだ。飾り気がなく正直で、職人気質で世間のややこしい部分に疎い。ごまかすところのない一枚布を大きく纏ったような、内面の滲む彼女の格好が、結構嫌いではなかった。
「こうしてれば、周りにだって分かるよ。オレのほうがあんたを誘ったんだって」
「で、でも」
「それに、ほら」
「え?」
「あと何回躓いても、手繋いでたほうがまだ転ばずに済むだろうし」
 ぽかん、と。まさしく呆気に取られた顔になったセネリを見て、堪えきれずに噴き出す。そのときになってやっと冗談を言われたことに気づいたセネリは、テオ、とからかったことを咎めるように口を開いたが、結局くすくすと笑い出してその先に何かを言いはしなかった。
「……楽しみ、だな」
 煉瓦色のカフェの看板が建物の間から覗いてきたのを発見して、小さな声は嬉しそうにそう呟く。テオは左手の両端に、わずかに握り返す力を受けて思わず隣を見た。それから少し考えて、そうだね、とだけ答え返す。
 焦香に縁取られた淡い色の輪郭は、夕日に照らされて橙を纏い、カフェの方角を見つめている。素知らぬ顔をしていたが、目が合うとふわりと下を向いて微笑んだ。白と茶で統一された石造りの街並みが、遠ざかる夕日を受けて琥珀色に染まっている。もっとずっと、長い道を歩いてきたと錯覚しそうな夕暮れだった。紺色のヒールがリボンの下で、こつ、こつ、と音を響かせる。


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