Y.星読師


 かしゃんと、食器を置いた音に黙っていた母がため息をつく。
「あなたの言うことが、すべて魔術にかけられているなんて思っていないわ」
「じゃあ」
「だけど、マリア。それは本当にあなたが確かめなくてはならないことなの?」
「……え?」
ばらばらに息巻いていた思考が、真っ白になった。布巾を片手に握り締めたまま、マリアは母を見つめる。母の眸は、ただただ問いかけに満ちていた。
「彼が本当に悪い人でないのなら、あなたが証明しなくても、いつか自然と理解される日が来るわ。或いは他の誰かがもっと簡単に証明するかもしれないし、あの人自身がこちらに歩み寄るかもしれない。それを待ってはいけない理由がある?」
反対にマリアの眸は、答えではなく、疑問に満ちてしまった。確かにその通りなのだ。悪印象に巻き込まれてまで、彼の本当の姿を暴く理由は思い当たらない。そんなことをしてどうしたいわけでもないし、ましてや頼まれたわけでもないのだ。彼はいつも一人だが、それを寂しがるような素振りを見せたこともなかった。けれど。
「はっきりした理由がないのなら、もうあまり近づくのは止したらどう?あんな得体のしれない人でなくたって、付き合える人はたくさんいるはずよ」
ぷつりと、何かが切れて、そして繋がった。それが自分の中の優先すべきものの変移だと気づいたとき、マリアはひどく寂しくなると同時に、これでいいのだという安堵のほうが強く残り、微かに笑った。そうだ、初めから彼の正体を証明しようとしたわけではない。私はただ、誰に語るためにでもなく、私の中の興味と、そこから生まれた無意識の意識に従って会いに行っていただけではないか。
 気になるのだ、彼が。最後に会ってからどんな日を過ごしたのか、今度会ったら何と言って迎えてくれるのか。今、どうしているのか。ただ、それだけだった。
 「お母さん、噂はどうして大きくなれるのか、知っている?」
 「え?」
 マリアは顔を上げ、真っ直ぐに母の目を見て言った。
「それは、噂をされた本人が、仕返しをしない人だったときだけなのよ」
きつく握っていた布巾を置き、驚いたように目を見開いたままの母の横を通り過ぎて食器を棚へ片づけ、玄関へ通じるドアを開ける。
「出かけてくるわ。ジルのところよ」
振り返って言えば、母は返事をしなかった。マリアはそれを待たずにドアを閉めると、帽子かけからベレー帽を取って被り、手早く革靴を履いて、鞄も持たずに外へと足を踏み出した。
 「……お父さん」
 マリアの出て行った後の部屋では、テーブルの前に座ったままだった母が、長い沈黙を破ってぽつりと呟いた。マリアが出て行ったドアとほぼ反対の位置にある、店の倉庫と繋がっている小さなドアがキイと音を立てて開く。
「珍しく、強情だったな」
「それはあの子がかしら?それとも私が?」
「マリアのことだ」
店番をしていた父だったが、この時間は客が少ないので掃除をしていることも多い。きっと話し声が聞こえているだろうと思った母の予想は当たっていたようで、箒を置いてううんと唸り、彼はドアの外を気にかけるように抑えた声で話した。
「今までが、ぶつからなかっただけだろう。真面目に育ったお陰で身を潜めていたが、あれは結構頑固だからな」
「……」
「言い出したら聞かない。強情はお前譲りじゃあないか」
「頑固はあなた譲りでしょうね」
間髪いれず言い返された言葉に、父は声を上げずに笑った。そうしてそれからふと外を見て、駆けるように出て行ってしまった娘のちらと見えた赤毛を思い出し、しかしこれからどうしたものかと悩むように目を閉じるのだった。


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