※「フラインフェルテ」シリーズより



 ここだけの最悪な話をしよう。私は時々、将来というものが自分にあることを忘れそうになる。未来というものがいつか現在になることや、今自体がいつかの私から見れば、とっくに未来であること。私の時間は進んでいて、いつか大人になるということ。
 それがいつか特別になった、本当に特別な誰かと歩むことだと、昔は信じて疑わなかったような気もするのに。
「寝ないんですか、師匠」
「まだいい」
「もう二時ですけど」
 窓の外を、白い稲光が駆けていく。ざあっと強い雨風の音が、壁を叩いて跳ね回った。嵐の夜に交わす声は、いつもより通りにくい。酒焼けなのか元からなのか、只でさえ掠れた低い声に片耳を澄ます。
「お前こそ、そろそろ寝ねえと縮むぞ」
「余計なお世話ですー、あたしだって眠くない日くらいありますから」
「へえ、そりゃ珍しい」
「……本読んでるんだから、ほっといてくださいよ」
 ソファーに座って雑誌と煙管を手に、いつまでも部屋へ帰る気配のないその声に。雨は時々掠れる。風だけが唸って、弱々しく木々を揺らす。
 本、と彼は愉快げに、笑った。
「たまには真面目にみてやろうか」
「え、何をです」
「弟子の勉強をちっとな」
「……は?」
「気が向いた」
 立ち上がって、テーブルについた師匠を呆然と見やる。師とは呼ぶものの、この人に本を広げて魔法を習うなどいつ以来になるだろう。記憶にある限り、半年は前だ。最後に何を習ったか、もう覚えてすらいない。
「酒は明け方に飲むのが一番美味いんだよ。ちょうど時間が空いてんだ」
「なんですかその理由」
「何だっていいだろうが。ほら本開けろ」
 煙管をくわえたままそう言われて、私は適当なページを開いた。欠伸まじりに読んでいた魔法書は、内容など大して頭に入っていない。適当なところを指すと、適当な解説が始まった。何とはなしに、せっかくなので耳を傾ける。
 雨の音が、外側の出来事になる。
「――で、こうだから、――ってな具合にな」
「……」
「……おい」
「……聞いてますよ」
「ならいい。続けるぞ」
 ここだけの最悪な話をしよう。私は時々、将来というものが自分にあることを忘れそうになる。大人になるということを。いつか変わるということを。
(……気が向いた、ですか)
 ただ普通に優しくすることも、どうでもいい嘘をつくことも下手な、そのくせ奔放なところは根っから自由な、この人を見ているとたまに気がつく。
(ばーか、……)
 未来のことを、今ここにある生活を離れることを、さほど考えていない自分に。気まぐれに流れていく時間を、あとどれだけここで浪費しようとも、構わないような気がしている自分がいることに。



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