※黒瀬視点
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「――――……はぁ」
ため息を一つおとす。
俺はたくさんの人が行き交う空港のロビーで搭乗時間までの長い時間を潰すように座り込んでいた。
二時間ほど、ずっと。
「はぁ………」
再度ため息。自分がどれだけ女々しいかはわかっている。俺は、ただの臆病者でしかない。悪の総帥だろうが、世界に名だたる大社長だろうが、関係ない。
いや、もう元だけど。
ただの黒瀬。それが今の俺。
望んでいたことなのに、どうしてこんなに憂鬱な気持ちになっているんだろう。原因は一つ。いや、一人か。わかってはいるんだ。ただ消化できない感情が胸に燻っている。消えてはくれない。忘れられるはずもない。あいつはそれだけ近くにいた存在で、それだけ俺の心に住み着いた存在だった。
誰かに言えば笑われるかもしれないが、失恋直後にまた誰かに恋をするなんて自分でもアホじゃないかと思っている。これでもかと自覚している。ムシがよすぎる。心の移り変わりが激しいのは、女性に多いとよく聞くが残念ながら俺は男だ。皆目検討もつかない。自分の感情だっていうのに。泣きたいほど不安定だ。
立場なんて捨てた関係が、たとえあの居酒屋限定の仮初めのものでも嬉しかった。愛おしかった。大切にしたかった。ずっとずっと、一緒にいたいと思ってしまった。そんな俺の馬鹿な間違い。
こんな馬鹿な俺は、フラれるに決まってる。
緑川、お前はこんな俺にきっと落胆するよな。友人だって言ってくれたお前に性懲りもなく恋をした俺を、お前はきっと軽蔑するよな。失恋したくせにそれを慰めてくれた変わらぬ態度の友人に恋をするなんて、自分でも不誠実なんじゃないかと思う。
それに緑川は正義の味方だ。赤星の時も駄目だったんだ。また駄目に決まってる。きっと俺は相応しくない。だって、ハイカンブルーにも疑われたように、誰も悪の総帥と正義の味方が仲良くできるなんて思わねぇだろうし。
だったら、会いたくない。もう恋の終わりを見たくないんだ。
失恋なんて、大っ嫌いなんだ。
その時、そんな鬱々と考えていた俺の耳に、全ての雑音も障害とせず鮮明に聞こえる声が入ってきた。
「――――いた!黒瀬さん!」
それは、懐かしくも思えてしまうほどここ最近は聞いていなかった慣れ親しんだ声。
いるわけない。
いるはずがない。
そう考えているのに、無意識に俺の顔は声のした方へ向けられる。
そうして目に映りこんだのは、友達にはなれそうにもなかった、正義の味方であり、俺の理解者でもあった、大切で愛しくて、申し訳なく感じるけれど正直に言ってしまうなら、俺の想い人だった。
緑色のツナギを着て、ちょっとだけ泣きそうな顔の、緑川。
「お前……、なんでここに」
表情が強張るのを実感しつつ、後退りをしながらそれだけ言うと、緑川はキッと睨み付けるように俺を見つめる。
「白崎さんから聞いたんですよ!なんで僕に会わないでどっか行こうとしてるんですか馬鹿!」
「だって、……」
「だってとかじゃないですよ!ひどいじゃないですか!僕は……僕はずっと、貴方に会いたかったのに!なんで……―――逃げようとするんですかぁ……?」
瞬間、緑川の瞳からぼろりと大きな雫が零れ落ちる。
緑川が泣いた。そう認識した途端、焦燥にも似た感情が全身を駆け巡り、慌てて俺は緑川の元へ足早に近寄る。
「緑川、大丈……」
「大丈夫じゃないですよ馬鹿ぁぁぁあぁああ!」
ぐわっと、緑川は喚くようにそう言うと戸惑う俺を構いもせずまるで捕まえるみたいに抱きついてきた。
「う、え……?」
「もう逃がさないんですからね!好きです!好きなんです!言いましたからね!僕は言いましたからね!」
「は、え、好きって」
「こうなりゃ自棄ですよ!僕、辞表出したんですよ!正義の味方辞めてきたんですよ!おかげで職無しだし、スウェーデン行きのチケットだけ持って身一つでここまで来たんですから!白崎さんもひどいですよね!もっと説明してもらいたいですよ、ホント!」
「えぇぇええ……」
大体理解できたが、あまりにも突飛な発言に俺の脳はスパークしてしまいそうだった。だがしかし、色々言いたいことはあるが、一番言いたいことはたった一つ。
「あー……、そのな、緑川」
「なんですか!」
噛み付くように反応してきた緑川に、なんだか苦笑してしまうが覚悟を決めて、俺は赤面するのを隠せずに彼の耳元へ唇を寄せた。
失恋なんて大っ嫌いだ。
勝てる勝負しかしたくないし、だからこそ人生において負けたことはなかった。
唯一と言えば、赤星のことだけ。
だから、俺にとっては恋なんて、負けが見える勝負だし、逃げ出してしまうほど怖いものだ。
でも今、泣いてる緑川を前にして、俺は逃げ出す気は失せた。
相手の気持ちを聞いて、安心してるからかもしれないし、それはそれで大変情けない男だと自覚しているけれど。
捕まってしまったんだ。
怖くは、ない。
「色々ごめん。俺も、好きだ」
囁いた瞬間、身体に回された腕に更にぎゅっと力がこめられて、なんだかもう色々駆け足で事態が進んでいったけれど、幸せならいいかと開き直るような気持ちになって、俺もそっと抱き返してみた。
かなり情けないことに、俺も泣いてしまったけれど。
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終幕、その後
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「――――えっ!こ、これって!」
東京都、某区、某所。
とある配管工務店の事務所のポストの前にて、中性的な外見の人物がミルクティー色のふわりとした髪をさらりとかきわけ、一枚の葉書を片手に目を見開く。
葉書の裏には二人の人物が移った写真。
なにやら自然に囲まれたようなところで、寄り添うようにこちらに笑顔を向けていた。
それは、とても幸せそうなニつの笑顔。
一人はとても整った顔立ちの美青年で、もう一人は素朴な顔立ちながらも柔らかな表情は和やかな気持ちを抱くようなものだった。
「み、みんなに知らせなきゃぁ!」
バタバタと足音を立て、ピンクの服を着た服装においても中性的な人物は事務所へと引き返す。
しばらく、日常の雑音が辺りを静かに包みこむ。
しかし、その音のある静寂はやがて事務所からあがった歓声によって一瞬で破られてしまった。
まるで、自分のことのように喜び、懐かしむような声。
そんな声を生み出した葉書には、写真の下に文字も添えられていた。
それは、一目で丁寧に書かれたとわかるほど整った字で、それでいた書いた人物の人柄が滲み出るような優しい文字で綴られた、たった一行の文章。
それでも、きっと、全てがこめられている大切な言葉。
『予想もできない未来、無事に手に入れましたよ!』
END
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