そうやって自己紹介をしたかと思えば、白崎さん――――恐らくあの日いた仮面の人であり、あの人の第一の部下だ――――彼は、何の感情も顔に浮かべぬまま、怒涛の勢いで言葉を吐き始めた。


もちろん、ノンブレス。



「いやはや、貴方たち、とんでもないことしてくださいましたね。このままでは私が大変な目にあうじゃないですか。まるで断崖絶壁に立っていたかのようなボスの背中を押すようなことを、貴方たちはすこぶる的確にやってくださいましたよ。ハイカングリーン……いえ、緑川さんでしたっけ? 貴方のせいでボスはボスではなくなってしまった。私は貴方を恨みます。ハイカンレッド、もちろん貴方もです。そもそも貴方がいたから、ボスは変わってしまったんですから。黒瀬カンパニーはどうにかするとしても、我々の本来の組織はもうおしまいです。どうしてくれるんですか。ああもう本当にどうしてくれるんですか。貴方たちに言っても意味はないとわかっているんですが、八つ当たりくらいさせてくださいね。私もストレスくらいありますので。それに、その子を人質にするなんて個人的に大変遺憾です」


「え、ちょ、何この人」



戸惑いを隠しもせずに桃城さんが白崎さんを指差す。僕もなにがなんだかわからなくて首を傾げてみせるが、他の仲間なんか、赤星さんはぽかーんとしているし黄戸くんも同じ感じで、青木さんに至っては状況がわからないからか不機嫌そうに眉をよせていた。みんな似たようなものだ。白崎さんの言葉が僕らには理解できていない。



ただ1人、いや、1匹か?

とにかく、芋虫状態の怪人だけは話を理解できたようだった。



「えぇぇええ!? 白崎さん、本当ですか!? ボスがボスじゃなくなったって!」

「おや、さすが私の部下ですね。ハイカンジャーの方々と違って理解力があるようです。察しの通りですよ」



す巻きされたまま、慌ただしく身体を悶えさせる怪人を、白崎さんは相変わらず無感動な顔で見つめていた。



「どどどどうするんですか!? 黒瀬カンパニーは!」

「まぁ、既に手続きは終えているので実質特に問題はないのですが」

「あ、そうなんですか。なら安心………か?」

「社員への給与は今後も特に変わりはありませんよ。あと、ボスはあまり顔出しもしてませんから代表者の変更が周囲に与える影響は少ないと思います」

「よかったぁ!それを聞いて安心しました!給料に変更がないなら大丈夫です!」

「貴方の不安は給料だけなんですか」



なんだお前ら妙に仲良しだな。いや黒瀬さんから聞いてて知ってたけどさ。そんなどうでもいい感想を抱きつつ、僕は彼らの会話から得られた数少ない情報を整理するため、脳をフル回転させる。




ボスがボスじゃなくなった。


代表者の変更。




これらの情報から導き出される解答に、僕はサッと血の気がひいて、その後すぐに急速に頭に血がのぼり、視界が真っ赤になった。



「まさか……黒瀬さん、社長辞めちゃったんですか!?」

「ああ、やっと察しましたか」



しれっとした顔でそう返してきた白崎さんに、僕は怒っていいのか困惑していいのかわからなくて、なぜか視界が滲みだす。正直、自分が混乱の極地にいるのだと理解はしていた。だけど、感情の振れ幅が広すぎて自分じゃコントロールできなくて僕は唇をわなわなと震わせる。


「じゃあ、……じゃあ黒瀬さんは今どこにいるんですか!? 僕が今日人質まで使って呼び出した意味はなかったんですか!?」

「はっきり言わせていただきますと、そうです。意味はなかったですね。あなた方が人質を使い総帥を呼び出した時、既にボスは本当の意味ではボスではありませんでしたので」

「おい!さっきから話が飛躍しすぎててわけわかんねーよ!ちゃんと説明してくれよ!」



赤星さんが僕と白崎の間に割り込むように口を挟む。そんな赤星さんに白崎さんは仏頂面をしかめっ面に変え、苦々しそうな視線を送る。



「ハイカンレッド、ずっと思っておりましたが貴方は本当に馬鹿ですね。それでも正義の味方のリーダーなんですか?」

「なんだと!? ずいぶんな言い草じゃねぇか!」

「ああもう、そんなに喚かないでいただきたいものです。今からちゃんと説明しますから」



ゴホン、とそこで咳払いを1つ。歪めた表情を再び無に戻し、白崎さんはよく通る声を出すべく口を開く。




「我等が悪の組織は、解散秒読みなのです。総帥である黒瀬様が社長の座と総帥の立場を先ほど完全にお捨てになってしまったため」






刹那、一瞬ばかりの間の後。



『はぁぁぁあぁああぁぁぁあぁああ!?』




事務所内に響き渡る僕以外のハイカンジャー全員の腹の底から出したような声。



その気持ち、わからなくもないけれど今の僕はそれどころじゃなかった。




だって、辞めたのなら、もう総帥でないのなら、





今、黒瀬さんはどこにいる?




混乱しかもたらさない事実を口にした白崎さんは壮絶な雨の降る嵐を、僕の心に巻きおこす。

しかし、それを見越していたのか白崎さんはふいに仏頂面を崩し、フッと口元を緩める。



「貴方にこれを差し上げます」




そうして、僕に一枚のチケットを差し出してきた。


わけがわからなくて茫然とそれを見つめれば、白崎さんはため息をついて僕の手に無理やりそれを握らせる。
諦観にも似た感情を表情に浮かべ、白崎さんは僕を見つめ、やがて訥々と語りだす。



「ハイカンジャー……。あなた方に出会ってから、ボスは変わってしまいました」

「……どういうことぉ?」



怪訝そうに桃城さんは眉をよせる。白崎さんは相変わらず冴えない表情のまま彼の方へ小さく顔を動かす。



「そのままの意味ですよ。初めてあなた方を見た瞬間、ボスはハイカンレッドに一目惚れ。そこから我等がブラック団は名ばかりの悪の組織に変わり果て、ボスは悪事なんて働かなくなりました」

「えぇ!? 一目惚れ!? そうだったのか!」


そうだったなぁと懐古じみた感慨を僕が抱くと同時に、赤星さんが目を丸くして驚きを顕にする。しかし、その隣で青木さんは不機嫌そうに目を細めているのに僕は気付き、生唾を飲み込む。怖っ。青木さん怖っ。


「ボスは人生で初めての恋に大変困惑しておりました。そこにかつての悪のカリスマの姿はありませんでした。私はもうボスに悪の総帥として期待はしないことをしました。早くこのヘタレの恋を叶えてやろう。そうして純粋に黒瀬カンパニーの経営に集中させようと決意したのです。そうして、進展がなく焦るボスへ貴方との交流をすすめました」


そこで白崎さんは一旦言葉を切り、僕へ向き直る。




「ハイカングリーン……貴方ですよ。緑川さん」





そう告げられた瞬間、僕の脳に走馬灯のように過去の記憶が駆け巡った。



初めて出会ったあの暗い場所。

縋りついてくる勢いで頼まれた恋の応援。

イケメンのくせにヘタレなところが見え隠れする黒瀬さんの言動。

正義とか悪とか関係ないって言いながら一番気にしてしまう僕らの会話。



そして、僕はいつも二人で酒を酌み交わしたあの居酒屋を最後に思い出す。





「ボスは、前々から悪の総帥を辞めたがっていました。しかし、様々な事情や柵からボスは総帥を辞められずにおりました。しかし、緑川さんと交流するうちにボスは徐々に悪と正義について深く考えこむようになりました。そうしてハイカンレッドに失恋して、ボスは自らの立場を完璧に捨てようと決意したのです」

「なんで、そんなこと」



僕は自分のことを棚にあげ、無意識に白崎さんへ訊ねていた。自分のアイデンティティーを僕だって捨てようとしているのに。




自分が一番、そんなこと知ってるのに。





白崎さんはそんな僕に向かって、まるで親愛の情を抱いているかのように優しく笑みを浮かべて口を開いた。


「悪とか正義とか関係なく、あの居酒屋限定の仮初めでもなく、本当に、ただの黒瀬として貴方と話をしてみたかったんじゃないでしょうか」

「え……」

「ただの推測、なんですけどね。あの方は、言動とは裏腹に案外そういった本当に深い所を女々しく気にして落ち込むことが多いですから」




それは、よくわかる。


わかりすぎるほど、僕は黒瀬さんを知っていた。


あの人がどんか考え方を持ってるか、あの人がどんな価値観を持っているか、あの居酒屋で僕は何回も話をしてちゃんと理解していたんだ。




なのに、なんで僕はこんなに気付くのが遅いんだろう。あんなにずっと、時間はあったのに。






正義も、悪も、関係ない。


ただの緑川と黒瀬という人間として、あの人は僕と向き合いたがっていたじゃないか。





「……僕も、ハイカングリーンじゃなくて、ちゃんと、ただの僕としてあの人に会いたいんです」



真っ直ぐ白崎さんに視線を送り、僕はそう口にした。


僕の本音。僕の気持ち。

人質を使ってまで呼び出して、僕は黒瀬さんに直接それを言いたかった。


しかし、凪いだ海のような気持ちで僕が落ち着きを取り戻すと、優しげな表情を白崎さんは一変させる。


「ならば、今すぐ外に待たせているタクシーにお乗り下さい。お金はこちらが用意いたしましたので」

「は?」

「ああもうそんなぽかーんとしていないで、早くしてください。こうして時間を浪費していくうちにあの方の、海外への逃亡計画は着々と進んでいますよ」

「え、ちょ、どういう……」

「まだ説明が必要なんですか!仕方ないですね!」


タクシーやら海外逃亡計画やら、急な展開に戸惑いを隠せない僕を見兼ねてか白崎さんは舌打ちをしてから口を開いた。


「あの方は、ご自分の立場を全て捨て、今まで会社経営で儲けたお金と、株で儲けた個人の資産で今後の人生を福祉の充実したスウェーデンで過ごすとか言って空港に行ってしまったんですよ!」

「なんで!? なんでそこまで話が飛ぶんですか!? 僕と会うんじゃないんですか!?」

「大方、またふられるのは怖いとかそんなくだらない理由ですよ!貴方と会うのが怖いんでしょうね!女々しいですよね!私もそう思います!……さぁ、あの方と会いたいなら早く行ってください!そしてこれ以上私の手を煩わせないでください!これから私、会社関係で色々忙しくなるんですよ!ホント、恨みますからね!」



鬼気迫る勢いの白崎さんにびびり、僕はやっぱり混乱しながら事務所を飛び出す。その際、くるりと後ろを振り返り僕は『仲間』に一礼するのを忘れない。



「よ、よくわかりませんが、とにかく、僕、あの人に会いに行ってきます!」



すると、やっぱりみんなも混乱していたけれど笑顔を浮かべてくれた。



「おう!行ってこい!いつでも帰ってきていいからな!」

「なにやらよくわからないが、落ち着いたら一度連絡してくれよ」

「よ、よくわかんねぇけど、さっさと行けよ!早くあいつに会いに行け!今度は逃がすんじゃねぇぞ!」

「最後までドタバタするなんてスマートじゃないけどぉ、緑川らしいってゆーかなんとゆーか……。まぁ、行ってらっしゃぁい」



癖のある面々を僕は改めて一人一人見つめて、今までのことを思い返し、満面の笑みで手を振った。




「それじゃあ、お世話になりました!ハイカングリーン改め……――――緑川、行ってきますね!」



そうして、僕は事務所から出る。




楽しいこと。嬉しいこと。悔しかったこと。喧嘩したこと。悲しかったこと。


それでも大切だったこと。



いろんな思い出がつまった職場を後にして、白崎さんの言っていた通り外に待っていたタクシーに乗り込む。



「すみません!空港までお願いします!」



僕は万感の思いを込めて、そう口にした。



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