たぶん、弱ってるんだろうなあということは自覚していた。
普段ならやらない自暴自棄な行動。あれは間違いなく不安定な精神状態のせいだ。
(じゃないと、ただの変態だしな……)
しかし、まさかそんな理由でこんな状態になるとは予測していなかった。
「あ、会長?」
その日も、一河は校舎と寮の途中にあるベンチに座っていた。
「よくわかったな」
驚いて目を見張りながら隣に座れば、一河は口元を緩める。
「見えなくても、足音とか気配でわかるよ」
一河の笑顔は、なんだか暗闇の中の小さな灯みたいだ。
俺は彼の穏やかな声音と、透明人間である俺に対する怯えや同情、好奇心を含まない彼の態度に手放しがたい安堵を覚える。
一河に初めて会って以来、俺は放課後になるとこのベンチを訪れるようになっていた。
まるで彼も俺を待っているかのように、毎回そこに座っているので、約束しているわけでもないのに俺は必ず彼に会いに行く。
生徒会の仕事は、もちろんしている。
しかし、透明人間になってから仕事の量は減っていた。副会長の三上や、他の役員たちとの仲も気まずい。(最初に一河に会った日、生徒会室に戻らず帰宅したのだが、三上はなにも言わなかった。文句でさえ)
必然的に、仕事が終わればすぐに生徒会室を出て行くようになり、逃げるように彼に会いに行っているとも言える。
まあ、そんな事情はただの言い訳かもしれない。
自覚はあるのだ。俺は一河に会いたくて会っているのだと。
他人に執着なんて、あまりしない質なのに。
たわいのない会話を、無性にしたくなるのだ。一河と。
「……そんなにはっきりわかるもんか?」
俺は一河にさらに質問を投げかける。
「うーん、会長はなんていうか足取りに淀みがなくて、すっごく相手のこと威圧してるからよくわかるんだ」
「威圧なんかしてねぇよ」
ムッとしながら言い返せば、ははっと一河が短く笑う。
「してるよ。今まさに」
目が見えないのに、こちらの機嫌を察知するのが一河は上手い。
人間は、目が見えていても他人の気持ちなんてわからないのに。
「お前は……変なやつだな」
しみじみと呟くように俺が口にした言葉に、一河は首を傾げる。
「そう? でもさ、俺にとっては相手の見かけで態度を変える人たちのほうが変なやつだよ」
たしかにその通りだ。でも、この学園ではそれは通じない。
「……」
俺は、透明人間になる前を思い出して沈黙する。媚びるような目、嫉妬を隠さない目、崇拝する目、どれも俺の見かけが招いた視線だ。
あのいくつもの目は、俺の中身を見ようとしたのだろうか。
そして、なにより俺は、誰かの中身を見ようとしたことがあっただろうか。
一河は黙り込む俺を見兼ねてか、言葉を続けた。
「だってさ、外見なんてその人の『殻』でしかないんだ。器、とも言えるけど」
「殻……」
「大切なのは中身ってよく言うだろ。まさしくそうだよ」
「中身なあ……」
俺の中身はどうなのだろう。
一河のように、人の気持ちを慮ることに長けているわけでもない。
親衛隊を駒のように扱い、不遜な態度で生徒に接して、教師にも強気のまま。
生徒会の仲間にはある程度信頼を寄せていたが、透明人間になってから彼らには八つ当たりばかりしていた気がする。
まったく駄目。見かけだけだな、俺。
その見かけも今では消えてしまったのに。
俺が密かに落ちこんでいると、一河がああ、と声をあげる。
「でも、俺も人の顔くらい確認くらいできるよ」
「……どうやって?」
静かに尋ねると、一河はすっとこちらに手を出してくる。
突然のことで驚き、心臓が跳ねた。そのままドキドキしながら手の行方を見守っていると、彼は俺の顔の横、ちょうど耳あたりを触って、真剣な顔をする。
「ここが耳、ここが頬」
一河の白い手が、俺の頬を撫でていく。
「ここが目、ここが鼻」
穏やかな笑みを消して、緩慢な動きで顔を触っていく一河に、俺の心臓が徐々に大きな音をたてていく。
「ここが口。……会長の顔は傷一つないんだね」
最後に唇を触った一河は、ゆっくりと俺の顔から手を離す。
そうして、口元を緩めていつものように微笑んだ。
「綺麗な顔だ」
見えないはずなのに、まるで俺を視線で射抜くように、彼は俺の方にまっすぐ顔を向けていた。
綺麗だなんて言われ慣れているのに、どうしてか体中が熱くなっていくのが止められない。
「あ…たり、まえだろ。俺は眉目秀麗なんだよ」
なんとか平常心を保とうとしつつ返事をすれば、一河はおかしそうに吹き出す。
「ふふ、自分で言っちゃうんだ? 会長、ナルシストだな」
「……事実だからいいんだっつーの」
「はいはい」
宥めるように一河が頷く。俺はなぜか悔しくなって、彼から目をそらす。
馬鹿みたいだ。
透明なんだから、赤面している顔なんて見られるわけないのに。
第一、一河は目が見えないのに。
でも、どうしても彼をまっすぐ見つめていられないし、顔から熱は引かない。
なんだ、これ。
END
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