最悪だ。
その一言に尽きる。
「泣きやんだ?」
「……泣いてねーよ」
「まあ、そういことにしておいてあげるよ」
少年は笑って俺の顔に手を伸ばす。なにをする気かと見守っていれば、彼はそのまま俺の頭頂部まで探り探り手を動かし、ぽんぽんと俺の頭を撫でた。
なんだこいつ。
「触るな」
「嫌だった? ごめんごめん」
ひらひらと手を振って、もう触らないとアピールするように少年は俺の頭から手を離す。
「泣き止んだから、偉いなーって思って」
「だから、泣いてねーよ!」
「あ、そうだったね」
からからと笑う少年に、俺はチッと舌打ちする。あまりに一般の生徒たちと違う少年の態度に調子が狂う。
あれから、沈黙する俺に戸惑いながら、少年は「まあ、落ち着くためにどこか座れるところに移動しよう?」と提案してきた。
俺はその案に、仕方ないな、なんて言って賛成した覚えがある。
目の見えない少年を休憩用として道端に設置してあるベンチに俺が案内し、そのまま二人で腰をおろした。
すぐに少年がポケットからハンカチを取り出して俺に渡してきたが、俺はそれを頑として受け取らなかった。当然だ。だって使う意味がない。泣いてないし。
しかし、少年はまあまあとなだめてハンカチを俺の手に押し付けてきた。そのあと、渋々とその手触りのいいハンカチを握り、俺はまくし立てるように全裸の理由を説明した。
その説明に少年は納得したようだった。
「じゃあ会長は、透明人間になってて、全裸だから今は誰にも見えないんだ?」
「まあ、そうなる」
「よく全裸になろうとか考えたね。変態だよ、それ」
「……わかってる」
「ってことは、俺は全裸の会長を押し倒したのかー。わー貴重な体験」
「……」
「全裸の会長なんて、きっと親衛隊の人とか垂涎ものレベルなんだろうな」
「……」
「なあ、外で全裸ってどういう気分なんだ?」
いちいち全裸全裸言いすぎだろ、こいつ。
「最悪だ」
「へえ、開放的ってわけじゃないのか」
ふむふむと興味深そうに少年は頷く。からかっているわけでも、こちらに気遣かって会話を盛り上げているわけでもない少年に、俺は居心地が悪くなる。
てゆーか、こっちは全裸なんだから早く帰らせてくれ。
「透明人間ねえ……、俺には会長がわかるのに、みんなはわからないとか変な気分だ」
そういえば、こいつはなぜ俺の存在が認識できたのだろう。
不思議がる俺の態度に気づいたのか、少年はああと声をもらす。
「俺、かなり小さい頃に失明してさ。それから人の気配とかに敏感なんだ」
「…俺のことが大柄ってなんでわかったんだ?」
「足音が重かったから。小柄な人は足音が軽いんだ。ごめん、俺、間違えた? 会長、大柄じゃなかった?」
少年は心配そうにこちらに顔を向ける。それが俺の視線にある程度合っていて、気配に敏感という言葉は本当なんだなと実感する。
「いや、大柄だ。間違ってねーよ」
「そう、よかった」
ホッとしたように少年は口角をあげる。
「俺が会長ってのは、なんでわかったんだ?」
ついでにと質問してみると、少年は少し考えるそぶりを見せたあとうーんと唸って、口を開く。
「それは……、えっと、会長がよく朝会とかで挨拶したりするから、かな?」
「声、覚えてるのか」
俺の声なんて、そんなに特徴があるわけでもないと思うのだが。
「まあ、よく聞く人とかは、ね」
「すごいな」
少年は俺の賛辞に苦笑する。
「そうでもないよ」
感覚が一つ遮断されると、他の感覚が鋭くなると言う話があるが、そういうものなのだろうか。
俺はぼんやりとそんなことを考える。
そのあたりで、少年が立ち上がった。
「会長、そろそろ帰りたいだろ?」
少し忘れかけていた。
そうだよ……全裸だったよ、俺。
「そうだな」
立ち上がり、俺は少年のほうをちらりと見遣る。少年はしっかりと白い杖を握っていた。
「俺のことはいいから、会長は一人で行っていい。服、早く着たいだろ?」
「いいのか?」
「だって他人に見られたら、困るのは会長じゃん」
少年を補助していれば、たしかに他人に全裸でいることがバレるかもしれない。それもそうかと俺は納得する。
「じゃあな、会長」
少年が杖を握っていない方の手を振る。まるで白い鳥が羽ばたくみたいだった。俺は名残惜しいな、とその白い手を見つめる。
無意識に、口が動いた。
「名前」
「うん?」
「名前、なんて言うんだよ」
刹那の沈黙のあと、少年が笑う。
「一河だよ。一河明。学年は会長と同じで三年」
同い年。
それで、俺が会長とわかってから敬語が途中で抜けた理由がわかった。
「俺の名前は……」
「知ってるよ。会長有名だし」
そんなこと、いつもなら当たり前だろと一蹴するのに、なぜか今はできなかった。
ただ、知ってるよという言葉に安堵して、俺は口元を緩める。
「そうか」
すっと胸が軽くなる。
「二葉透、だろ?」
少年、いや、一河が俺の名前を笑いながら口にする。
妙に気恥ずかしくて、俺は一河を直視できなかった。
「よくこの時間に帰るのか?」
「そうだよ」
一瞬躊躇って、俺は言葉を探す。
でも、結局うまい言葉は見つからず、ふて腐れたようなそぶりで地面に視線を落とし、俺は小さく喉を振るわせる。
「また、来る」
返事は聞かなかった。
俺はすぐにその場から立ち去り、一河を振り返ることもしないで歩いた。
なんであんなこと口にしたんだ。あいつが話しやすい相手だったからか。
でも一般生徒だぞ。美形ってわけでもないし、一河なんて家名は有名なわけでもないから家柄が特別いいってわけでもない。
あんなこと言ったが、別に待ってろとは言ってないから、行かなくても構わないよな。
いやでも、ならなんであんなこと言うんだよ。最初から言わなきゃいいだろ。
てゆーかなんだよ恥ずかしいとか。おかしいだろ。いつもの威風堂々な、不遜な態度の俺はどこだ。
自問自答しながら歩いていると、手の中の存在に俺は気づいて立ち止まる。
「ハンカチ……」
返さないと。
反射的にそう思う。俺は白いハンカチを見て、ひらひらと振られた一河の手を思い出す。
また、あいつに会わないといけない、よな。
確認するみたいに自分に言い聞かせる。ハンカチを返さないといけないから、なんてどこか言い訳めいているということは自覚できていた。
ため息をついて、止めていた足を動かす。
なんだか気分が昂揚しているようで、足取りは軽かった。
そういえば、透明人間になってから初めて普通に他人と会話したかもしれない。
END
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※会長は始終全裸です
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