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真夏の熱に、氷は溶ける

「しん」

夏の茹だるような暑さの中、一人スーツケースを片手に駅に立っていると待ち人の声がした。

声の方へ顔を向けると、麦藁帽子を左手で抑え、長い髪をあまり高くない位置で結んだ彼女が、真夏の太陽に負けないくらいの笑顔で微笑んでいる。

「お疲れ!遠かったでしょ?」

「電車は座ってきたから、それほど疲れてはいないのだよ」

「そう?さ、早く行こう!!」

冷製パスタできてるから、と彼女は言ってごく自然に緑間の片手を攫った。

彼女の細い指がキュッと緑間の指に絡まる。

真夏で暑いのに、何故かその指は冷たい。

「高校はどう?」

「普通なのだよ」

「何それ。バスケは順調?」

「順調ならここには来ていないのだよ」

「それもそっか。黒子くんに負けちゃったんだっけ」

残念だなぁ、と彼女は呟く。

「去年の全中はあんまり見応えなかったから、今年のインハイは楽しみにしてたのに」

「悪かったな」

「でも、しんとこんな時間が過ごせるから、これはこれでいいかも」

そんな事を言う彼女の横顔が綺麗で、思わず緑間は彼女から目を逸らした。


彼女は緑間の幼馴染であり恋人である苗字名前。

緑間より三つ年上の彼女は、家から遠い地方の大学に通っている。

高校生になったら告白をすると決めていた緑間。

その告白を「遠距離でもいいなら」と名前が受け入れたのだ。

そして、メールや電話のやりとりが続き、付き合い始めて初めての夏休み。

当初は名前がお盆休みを利用して帰ってくる予定だったのだが、秀徳高校がインターハイに出場できなかったことと、彼女の家族と緑間の家族がどちらも旅行に行くということで、彼女の帰省は見送られ、代わりに彼が彼女の住む家に行くことになったのだ。

「みんなは、元気?」

「黒子は合宿で何度も吐きそうになっていたのだよ」

「へえ、一緒だったんだ。他の皆は?」

「知らん。会っていないのだよ」

「そっか。」

因みに彼女は帝光中学男子バスケ部OGであり、現役のマネージャー時代はコーチより怖かったと虹村が語っている。

高校では部活に入らず、よく中学のバスケ部のマネージャー業や練習メニューの作成、進行の手伝いをしに来ていた。

故に黒子を含めたキセキの世代とは顔見知りだ。

あの頃は誰かに彼女を奪われないかとよく不安になっていたものだった、と緑間は回想する。

「ねえ、しん」

海が近いのだろうか、塩の匂いが緑間の鼻腔を擽った。

それと同時に彼女から声を掛けられる。

「少し海よって行かない?」

「はあ?なぜなのだよ」

「いーじゃん、なんとなく」

ね、と首を傾ける彼女に緑間は甘い。

ため息をついていいのだよ、と歩き出した。

五分ほど彼女に手を引かれながら歩いて着いたのは、まさに海水浴で人がごった返している海とは違う穴場というものだった。

「んー、気持ちい」

サンダルを脱ぎ、波打ち際で水に足を濡らす彼女を緑間は少し離れた距離から見つめた。

波の音と蝉の声が耳を抜ける。

その音に触発されたのか。

それとも、もういいだろうか、と思ったからか。

緑間は今まで何度も聞こうとしては口をつぐんだことをとうとう口にした。

「あれだけ教えられるのになぜ、バスケをしない」

独り言のように、けれどしっかり放たれた言葉に、名前の動きは止まった。

波の音と蝉の音が酷くうるさく響いている。

そんな中、フッと彼女は儚げな笑みを浮かべた。

「すごく、今更だね。そっか、その話したことなかったんだっけ」

海を見たまま続ける。

「そうだね、自分で言うのもなんだけど、私それなりに才能はあったよ。ミニバスも四年からレギュラー外れたことなかったし、中学上がってからも。でもさ、出すぎる杭は打たれないけど、出る杭は打たれちゃうのよ」

その横顔は、綺麗で、儚い。

「中2の頃にはチームから浮いた存在になっちゃって。だから辞めて男子バスケ部のマネージャー始めたの。でもそれからも怖くって。またあんな存在になるの。だからずっと帝光のお手伝いしてたんだ。あそこだけは私を暖かく受け入れてくれたから」

緑間の方を向いて彼女が笑う。

その笑顔は少し、歪んでいた。

「でも、遅かれ早かれやめてたと思うよ。しん達を見た時に、才能の違いっていうのが分かったから。あのまま我慢してバスケを続けていても、きっとその壁にぶつかってやめてたと思う」

彼女は、緑間にとって姉のようだった。

昔から長かった髪は年の割に彼女を大人っぽく見せていたし彼女の口調も、性格もそうだった。

そのせいで彼女は泣けなくなったのだ、と緑間思った。

周りから大人っぽいと扱われ、自分が姉のように慕っていたから、強くあろうと彼女は必死に隠して来たのだろう。

「名前」

緑間は彼女に近づき、できるだけ優しく彼女を呼んで、その長い髪を梳く。

指に髪が絡まることはなく、するりと抜けた。

「聞くのが遅くなってすまない。だが、俺とてもう子供ではないのだよ。そろそろ、頼ってくれてもいい頃ではないか?」

今度は彼女がハッとする番だった。

こぼれ落ちそうなほど見開いた目で緑間を見つめたあと、そうだね、と呟くように言って緑間の肩に顔を埋めた。

「ね、しん」

「なんだ」

「あとでバスケ付き合ってよ」

「やるからには全力でやる」

しんらしいや、と彼女は笑った。

震えているのは笑っているせいだけではないだろうけれど…

「とりあえず、ご飯食べようか」

「腹が減ったのだよ」

「はは、そだね」

緑間の肩口から顔を上げた彼女の目は微かに赤かった。

緑間の肩口も、少し湿っていた。

それでも、彼女は緑間の大好きな顔で笑っていた。



真夏の熱に、氷は溶ける。





二人並んで、手をつないで…

そして彼女と彼は溶けていく。

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