麗しき人魚の哀哭
もし、時間を戻せるなら何年前まで戻れば良いのだろうか?
そう、自問自答してみたけれど結局答えは出なかった。春先の小春日和に、彼の金髪と純白のタキシードがよく映えた。そして、隣で笑う私の親友はとてもとても綺麗だった。
「おめでとう」
人生で一番綺麗に笑ったつもりだった。
その実、その笑顔が一番嫉妬にまみれた汚い笑顔だったと思う。
ありがとう、と笑う二人の幸せをぐちゃぐちゃにしてやりたい衝動に駆られた。
でも、やっぱり大事な幼なじみと親友の結婚式だから。
咲き始めた桜がふわりふわりと舞う中、永遠のキスを交わす二人。永遠の純白の中で、彼らは生涯を契った。ただ、一人、私だけを残して…
麗しき人魚の哀哭黄金色の綺麗な液体がグラスの中で揺れた。シャンパンの小さな泡が、キラリと光っては消えていく。
声の届かなかった人魚姫は、王子が結婚した時こんな気持ちだったのか。
泡が一つ、またひとつと浮かんでは消えていった。けれど、口からこぼれたため息はひとつ。
宴もたけなわを迎え、青峰くんのやる気のないスピーチにさつきが大泣きしていた。それを横で優しく見守る涼太の顔を見ては、また目をそらした。
「苗字」
不意に声をかけられ顔を上げると、あの頃と大して変わらない緑色の髪と不敵な目つき。
「緑間くん」
なあに、と目をそらして一口シャンパンを口に含んだ。
「いいのか?」
「なんのこと?」
「お前は、昔から…」
「黙っててよ」
自分で聞き返したくせに、続きを遮った。
すまない、と申し訳なさそうな緑間くんの声が聞こえた。恋愛経験など殆どないに等しい彼に悟られてしまったのは中三の春。
キセキの世代として持て囃され、負けることを知らなくなった涼太が調子に乗ってまた女遊びを始めた頃だった。
図書室の一番窓側、特等席。
そこから女の子達と帰る涼太を見て、勝手に傷ついて。読書にも身が入らなくなっていた。
「そこで何をしているのだよ」
ある日声をかけてくれた、この緑色の変人。なんでも、と泣きそうになりながら返した私に彼は綺麗なレースのハンカチを差し出してくれた。
「お前がここにきているのを知っているのは俺だけだ。今此処にいるのも俺だけだ。」
窓に手をついて、今流行りの壁ドンに近い体勢で私を隠してくれた彼の優しさに甘えて、私は泣いた。
それから、なんとかして彼を忘れようと自分なりに努力をした。
高校は神奈川に行った涼太を追いかけることはせず、秀徳へ。
神奈川へ行かないと言った時、涼太が悲しそうな顔をしてくれたのが嬉しくて、それでも自分で決めたことだから突き通した。なのに、高校に行っても大学に行っても彼と疎遠になることはなかった。
高校へ行けば、勉強ができないと泣きつかれ教える羽目になった。大学へ行けばなぜかインカレのカラオケサークルに連れて行かれた。
そして、大学を卒業する一ヶ月前。
彼は私に、知りたくもない事実を突きつけた。
「俺、桃っち…いや、さつきと付き合ってるっス」
何がどうしてそうなったかは知らないし、聞きたくもなかった。はにかむ涼太の笑顔が今まで遊んでいた彼とは比べものにならないくらい、優しい表情をしていた。
息が詰まった。
「お、めでと…」
そう言い終わってからの記憶はあまりない。
気がつけば自分の家にいて、洗っていたはずのコップを割っていた。
欠片を拾ったときに指から溢れた赤い血をみて、このまま身体中の血液が流れ出せばいいと思った。
声の出せない人魚は、恋した王子が結婚する時どんな気持ちだったのか。
幼い頃はまるで分からなかったけれど、今ならわかる。私はまるで人魚姫。いや、そんな悲劇のヒロインにすらなれないのだ。だって、誰もが振り向く美貌も美しい声もなく、愛する人に愛されようと努力をしなかった。
幼なじみというポジションに甘えていただけだった。
後悔の念は消えない。
歯を食いしばって耐えた。
「お前は、馬鹿なのだよ」
突如腕を掴まれ、緑間くんが歩き始めた。
パーティー会場を抜け、向かった先はまるでお城のような噴水のある庭。
お伽話から出てきたようなアンティークなベンチに座らされて、ハンカチを手渡された。
あの時と、同じ、白いレースのハンカチだった。
「今、此処にいるのは俺だけだ。」
青峰くんの余興に、会場が笑いの波におおわれている。
そのざわめきに、報われなかった恋の壊れる音はかき消された。
馬鹿だと、分かっていた。
そこに行く勇気もないくせに、一丁前に夢ばかりみる、自分のことを。
それでも、夢をみていたかったと言ったら彼は、神は笑うだろうか?
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