Toshi | ナノ
誕生日の夜はあけておいて、とそう言ったのだけれど忙しいあの人があけてくれるわけはなかった。二人分のケーキは冷蔵庫に鎮座しているし、腕によりをかけて作った料理もすっかり冷めてしまった。プレゼントは未だ渡し主が来ないため私の鞄の中。
「はあ」
ため息が溢れてしまったのは許してほしい。付き合って10年。それこそ、高校時代まで遡る付き合い始めは受験勉強も今日だけは、と二人で出かけた。大学時代はどちらも多忙だったけれど、その気になれば1日くらいサークルをサボったり、講義をすっぽかしたり、バイトを入れないようにしておけばなんとかできた。けれど、お互い就職してから5年。
私の彼は信じられない速さで出世して、もう課長職である。
「忙しいのは分かってるけど、ねぇ…」
誰に言うでもなく溢れた言葉を許してほしい。幸いにも明日は休日だけれど、今日祝いたかったのに…
「もしかしたら、違う女の人のとこ、だったりして…」
仕事で忙しいけれど、要領のいい彼のことである。もしかしたら、と思わなくはないのだ。
高校時代、大学時代と恐ろしいくらいにモテた私の彼、歳三もといトシはそれはそれはイケメンを通り越して美しい顔立ちをしている。彼女がいる、と言っても一晩でいいから抱かれたい、という女の子も多数いたほどだ。事実私と会う前は2ヶ月ほどで彼女をとっかえひっかえしていたのに、私と付き合うようになってからは何故か女遊びをぱったりとやめてしまった。
「けどもう10年だからねえ…」
別に顔がいいわけでもない。何故か私といると毎日笑えるから、と隣に置いておいてくれているけれどそれも飽きたのだろうか。そりゃあ10年も続けば嫌にもなるだろう。あー、飽きられたかなあ。
バイブしない携帯。
遅くなる、という連絡が来たときには既に夕食は準備した後だった。あー、失敗した。
とりあえず、居ても邪魔な気がする。
最近はトシの部屋に来ても抱かれて、寝て、気がついたらトシは仕事してるからおにぎりとつまみやすいものを作って、少し会話をして邪魔にならないように帰るだけ。
やっぱり疲れて帰ってきているのに、邪魔するのも悪いかな。
オシャレしたり、見られてもいいように気を使って下着を選んだけれど、こればかりはしょうがない。
書き置きをして、イヤフォンを耳に突っ込み、トシのマンションを出る。
バスなんてもうある時間でもないから、タクシーをつかまえようと大通りに出た。
「えっ…」
反対側の歩道に見えたのは可愛らしい女の子と歩いている自分の彼氏だった。ああ、やっぱりか、と思いながら女の子を凝視してしまう。茶色のくりくりした瞳、黒い髪が上品だ。ちょっと幼顔だけれど、やっぱり若くて可愛い。背は私より少し高いくらいか同じくらい。
「なんだ、そーゆーこと。」
ポツリと口をついて出た言葉は、やけに私の胸に響いて見たくなかった現実を直視させる。あー、誕生日プレゼントなんて置いてくるんじゃなかった。ありがた迷惑であろうに。
女の人がこっちを向いた。
あ、まずい。
目をそらして慌てて歩き出す。二人の邪魔をするわけにはいかない。早く、タクシーを見つけて帰らなきゃ。いや、それよりも駅に行く方が確実かも。駅なら2人が歩いていった方向、トシの家とは丁度反対方向だ。そうだ、そうしよう。
ちょっと下品な曲をかけてヘッドバンキングしたいぐらいな気分だ。
いっそカラオケにでも行こうか、とウォークマンの音量を一つ上げた。
遊ばれているかもなんて、今更分かっていたことでしょう?あの人に愛を囁かれなくなってもうどれくらい?分かりきっていたことが形になっただけで、なんでこんなに…
胸が痛いの?
唇を噛んで込み上げてくる何かを堪えたその瞬間、肩が強く引かれた。
「ひゃっ…」
驚いて振り向くと其処には息を切らしたトシが居た。トシは乱暴に私のイヤフォンを外すといきなり怒鳴り始めた。
「おいバカっ!!待てっつってんだろーがっ!!」
「え、知らないよ。聞こえなかったもん。」
「だからいつもイヤフォンの音量を落とせっつってんだよっ!!」
「いや知らないよ。何をそんな怒ってるのよ。」
なんとか涙をこらえようとするけど、それは無駄な努力であった。そして気がつけば口から言葉が勝手に漏れ出していた。
「何、誕生日のデートを邪魔されたのがそんなに悔しいわけ?気にしなくてもいいわよ。トシはああいう可愛い子が好みだったもんね。ほら早く行きなさいよ。」
鞄から合鍵を取り出して、本気で投げつけた。
「今まで茶番に付き合っていただき、どうもありがとうございましたっ!!」
半ば叫ぶようにそう言ってトシの腕を払った。あー、終わっちゃったなあ。
そう思ったら勝手に涙が溢れた。
けれど、今度はさっきより強く肩を引かれて身体をひっくり返されたと思ったら真剣な瞳と目があった。
「すまねえ」
その言葉と一緒に彼に引き寄せられる。
ぎゅっと、強く抱きしめられて優しく頭を撫でられた。
「すまねえ、仕事ばっかでほっといて。お前は絶対離れていかないって勝手に思い込んで、お前の我慢に甘えてきた。」
「べ、別に、そんなこと…」
「さっきのは職場の後輩だ。確かにお前と会うまでずっと遊んできた。けど、これだけは言える」
俺は、お前になんか飽きられねえ。
「大体遊びだったら10年も続けねぇよ。」
「そんな、だって…」
「頼むからっ!!」
反論は叫ぶような声に阻まれた。
「俺から離れないでくれ」
掠れた声で、今度は力任せに抱きしめられた。ああ、暖かい、トシの体温だ。
「トシっ、おねがっ…1人に、しないでっ…」
寂しいと、ずっと言えなかった。
甘えたいと思っても、できなかった。
愛しているの、とずっと聞けなかった。
「お願いだからっ…あいしてっ…」
逞しい背中に手を回して、しがみつく。
「ああ、悪かった。」
「トシっ…」
腕の中から、するりと抜けだして、笑顔を作った。化粧はぐちゃぐちゃだけど、絶対変な顔だけど、それでも笑顔で言いたかった。
「お誕生日おめでとう」
1分遅れの愛しい日ーside girlー
貴方が生まれてくれたこと、私を見つけてくれたことに、最上級の感謝を
1分遅れの愛しい日ーside girlー
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