プリズム | ナノ




『――待って―、たしが――ど、ま――』
『――らず、――って来…――であた――が――しを守―』
『頼み――よ、―――。』
『いって――い、―――お――ま。』



「………っ!!!!」
勢いよく上体を起こした。ぼーっとする頭で周りの景色を確認して漸く自分の部屋だとわかると一気に強ばっていた身体の力が抜けた。ふ、と額から頬にかけて違和感を感じて触れてみると汗が流れていた。もう季節は夏に入ろうとしている、そのせいで暑かったのかもしれないと解釈して服で汗を拭った。けれど違和感は消えなかった。ふと、目尻に手を伸ばせば涙の流れた跡が残っている事に気付き、思わず小さく声が漏れた。泣くなんていつぶりだろうか。いやそれよりも何で泣いていたんだろうか。上手く思い出せない。暫くうろ覚えの夢を思い出そうとしてみたけれど霧に包まれるようにどんどん頭から消えて行きもどかしさに僅かな苛立ちを覚えた時、目覚まし時計が響き渡った。私は小さく息を吐き大きな音で鳴り響くアラームを止めてベッドから起き上がった。

「!っ……」

刹那、景色がグラリと歪み激しい立ち眩みが私を襲った。目を開けているにも関わらず蛍光色の光が広がって行き視界が真っ白になった。思わず目を瞑り壁にもたれかかった時、瞼の裏側に前に見えた女の人の顔が浮かんだ。優しげな笑顔を湛えた彼女の隣に、少し幼い少女の姿が見えた。風に靡くレースの純白のカーテンが亜麻色の光に照らされて優しい空気に満ちている。ふわり、と風が大きくカーテンを揺らした時、彼女の隣に立っている少女の顔が見えた。少女はその年齢に相応しくない程張り詰めた雰囲気を纏っていた。

「………わ、たし…?」

次第に視界がクリアになってきて、グラグラと回っていた脳が正常に戻った感覚を掴みゆっくりと瞼を押し上げた。もう、立ち眩みは襲っては来なかった。ほ、と息を吐いた時リビングから母の声が響いた。

「碧ー!!早くしなさい!遅刻しちゃうわよー!」
「あ…。今行く!」

あの映像は何だったのだろうか。まるで映画のワンシーンを切り取ったような景色だった。私は今朝の事が忘れられずどこか上の空で何時ものように学校へ行く準備をして、母の鼻歌を聞きながら朝食を摂り、遅刻ギリギリで席に着いた。
ドサ、と鞄を机に下ろしよろり、と席に座ると腕を鞄の上で組み突っ伏した。深呼吸をする私の後ろの席から南が少し声を弾ませて言った。

「今日もギリギリだったね。」

組んだ腕の隙間から少し頭を動かして後ろ覗き見てみれば南がいたずらっ子のような笑顔を浮かべていた。

「変な夢見たからねー…」
「…どんな?」
「…………」
「碧?」

南が不思議そうに聞いてくるのも気付かずに、私は今朝瞼の裏側に浮かんだ映像を思い出していた。少女の面影は、まるで鏡に映った自分自身を見ているようだった。夢だと、思う度違うと否定する自分がいる。では何だと言うのだろうか。あれはー

「碧!」
「?!な、何?」
「もう、さっきから呼んでたのよ?ぼーっとしてどうしたの?」
「ご、めん。」

まぁいいけどね、と眉を下げて息を吐いた南は次の瞬間思い出したように明るい声を上げた。

「それより、今日終業式よね!夏休み入ったら海行こうって言ってたわよね!」

そう言えば春休みにそんな話をしていたな、と記憶を手繰り寄せた私が、いつにする?と南に聞くと、南は思い付いたように、はっ!と目を見開いた。そしてあたしの手を握るとキラキラした笑顔で口を開いた。

「私の別荘に泊まりに行こうよ?!」

南の目に映る私はきょとんとした表情をしていた。今南が言った単語がぐるぐると頭の中を回っている。
別荘、別荘、別荘。

「…別荘?!」
「海に近いのよ!一日中遊び放題!」
「行きます!」
「じゃあ日にち決めなきゃね!」

南とあたしはスケジュール帳を取り出して計画を立てた。
持ち物は着替えだけで良いと南は言った。忘れがちだけどやっぱり南はお嬢様なんだ、と改めて思い知る。放課後水着を買いに行く約束をしてまだ来ない夏休みに色めき立つ私達はHRの時間だというのに先生の話はそっちのけではしゃいでいた。

「決まり!一週間後の日曜日、駅に待ち合わせね。」
「すごく楽しみ!」
「ねぇ、せっかくだしスリーライツも誘って来なさいよ。」
「…え?」
「頼むわよ碧!」

にこり、と南は有無を言わさない黒い笑顔を浮かべた。