プリズム | ナノ





静かに流れる時の中ではるかはベッドで眠る碧の白磁のような肌に触れた。指先に感じた体温はひやり、と冷たかった。頬に掛かった絹糸のような漆黒の髪を退ければ微かに紅潮する少女の顔が目に映りどくり、と心臓が音を立てた。形の良い唇に指を這わせれば柔らかな感触に恍惚を覚える。はるかはベッドに手を掛けた。少女の額に影がかかる。少女の瑞々しい唇に誘われるように腰を屈め、互いのそれがあと数センチで重なり合うといったところではるかはピタリと動きを止めた。耳を澄ませても聞こえるかどうかわからない程の細く小さな声が少女の唇を揺らして聞こえたのだ。
「…ウ ラ ヌ ス……」
はるかは目を見開いた。確かに今碧はウラヌスという言葉を発した。遠いあの日の少女がはるかの脳裏浮かび上がる。眠る少女と同じ声で同じ笑顔で名前を呼ぶあの人の姿が鮮明に瞼の裏に焼き付いている。
「………ん…」
静寂を破り空気を振動させ聞こえた声にはるかは、はっと意識をベッドで眠る少女へと集中させた。
ゆっくりと開かれた瞳は朧気に辺りを見回している。
「碧。」
呼ばれた声に誘われるように顔を上げた少女ははるかをその丸く大きな双眼に映した。徐々に意識がはっきりしてきたのだろう、少女は顔を赤くさせたり青くさせたりと忙しなく百面相を繰り広げた。はるかはそんな碧を見つめながら堪えきれずに吹き出してしまった。
「は、はるかさん…」
恥ずかしさに顔を真っ赤にした少女は眉を下げ涙目ではるかを見上げた。
「ごめんごめん。それより、体調はどう?」
「もうすっかり元気です!迷惑かけてしまって…すみませんでした。」
「迷惑だなんて思っちゃいないさ。僕としては碧の可愛い寝顔が見れてラッキーだったかな。」
からかうように言ったはるかは顔を俯かせて恥ずかしさに耐える少女を見つめて小さく笑った。
 乱れた制服のスカートの裾を直した少女は少し跳ねた髪を気にしつつ鞄を手に持った。家まで送ると言うはるかにそこまで迷惑はかけられないと食い下がった結果、何時も会う公園まで送ってもらうという妥協案で納得してもらった。はるかは仕方ないといったように肩を竦めていたけれど碧は少しほっとしていた。今朝見た夢に出てきた女性とはるかがどうしても被って見えてしまい、戸惑っていたのだ。「はるかさんはウラヌスですか?」そんな言葉が喉元まで出かかっては飲み込んだ。一つ息を吐いた時開けっ放していた部屋の扉からはるかが顔を覗かせた。
「準備出来た?」
「はい。」
「じゃあ行こうか。」
「はい。…あ…あの、」
「ん?」
振り向いたはるかを前に少女は暫し躊躇うような素振りを見せたが、意を決したように真っ直ぐに彼女の目を見て再び口を開いた。
「私寝ている間何か…変なこと、言ってましたか?」
はるかはす、と瞳を細めて碧を見た。少女が言わんとしていることが解ってはいた。しかしはるかは首を横に振った。
「何も、言ってなかったよ。」
努めて優しい声音で吐いたはるかは安堵の色に染まる少女を見つめて胸が痛くなるのを感じた。