19.決意


朝起きて最初にすることはランニング。
そのまま獅郎と剣術の訓練をして、日が高くなってくると、手騎士として精神を鍛えるために座禅や滝行をする。
お昼はお風呂に入って、少しだけ昼寝して、燐くん特製のおにぎりを食べて。夕方は射撃訓練と、詠唱術のお勉強。日によっては使い魔と戯れる時間もつくる。

全部終わった頃にはもう寝る時間。教材をかかえた獅郎と入れ替わりにメフィストが部屋に来て、温かいスープやうどんや、雑炊なんかを持ってきてくれる。レトルトだけどお金持ち御用達なのか、普通においしい。

獅郎はどれだけ忙しくても、午前の剣術と滝行の時間だけは来てくれる。でもずっとはいられないから、そういう日は一人で午後のルーチンワークをこなす。

訓練に明け暮れる日々が続いた。この世界にやってきたのは初夏だったけど、いつの間にやら秋も終わろうとしている。いつでも温かな屋敷内に季節はあまり関係ないし、訓練所へ行くにも魔法の鍵を使うので、やっぱり外に出ることはないんだけど。


この生活で一つわかったことがある。
いつからか燻って蓄積され続けてきた熱だが、激しく動いたり、或いは悪魔の召喚をするときに目減りするのだ。
だから訓練にはなるべく精力的に取り組んでいる。でも熱を大量に消費した日は、原因不明の激しい睡眠欲に襲われる。
熱を使うのは、大体が剣術訓練と悪魔召喚のときだ。普通に走っていてもあまり効果はない。射撃時も同じ。なんの違いがあるのやら。

そして現状問題。睡眠時間が足りないこと。

だから僕は1週間に一度の休みをほぼ睡眠に当てている。休みの日は獅郎の予定に合わせているから、週によってまちまちだ。おかげですっかり忘れていた曜日感覚も戻ってきた。

今週は火曜日がお休みなので、月曜の夜から眠り続けて、起きたときにはもう夕方。これでも早い方だ。いつもは丸一日睡眠に身を投じて、気が付けば次の日の夜なのだから。……よし、寝よう。

「……」

折角起きたんだし。なんて、今までなら考えられない思考が生まれるのは、それだけこの世界に馴染んできた証拠なのだろう。





窓の外を望めば、そこには学園都市が広がっている。
……都市、という設定はなかったかもしれない。
ごちゃごちゃと連なる建物のひとつひとつを見てみる。学業施設、医療施設、商業地区、果ては娯楽施設や遊園地まで……これらを正十字『学園』とひとくくりにするには無理があるのでは。学園内に線路が開通されていて、いくつかの駅があるなんて聞いたこともない。

こうして俯瞰的に見ると、正十字学園には様々な国の名所が組み込まれているのがよくわかる。それがなかなか面白い。暫く観察していれば、観察していた街並みに制服姿の少年少女が混じってきているのに気付いた。この時間なら下校中だろう。
そういえば、こうしてきちんと学園を見るのは初めてだ。


最近、新しい出会いがあった。

外界からお客さんが来た。
僕の知ってる(・・・・・・・)人だった。
その人は優しく手当をしてくれた。


だからだろうか、ふと思ったのだ。
単純な興味。あって当然の好奇心。
それがどうしてか、今までは考えたこともなかったけれど。

――屋敷の外の世界はどのようなものなのか。


「メフィスト」

ひっそりと後ろに佇む悪魔に、声をかける。

「気付いていましたか」

そう、言う割にメフィストの口角は上がったままだ。獅郎が「ぶっとばしたくなる」と形容している、いつものニヤニヤ顔。

何を考えているのかわからない、と獅郎は言っていた。
その通り。メフィストを理解するのは難しい。道化のようにころころと表情が替わる彼だけれど、それこそ道化のように、きっとその本心は厚いメイクで塗りつぶされている。

「あのね……」

でも、思うんだ。複雑そうに見えるメフィストは、本当はもっと、ずっと単純なんじゃないかって。
人間が胸の内に抱えているいくつもの想いを、メフィストも相違なく抱いていて。喜びや悲しみなんて陳腐な感情を持っていて。その発露を抑える様に、周囲に知らされないように、彼は笑顔の仮面をつける。

全部僕の妄想だ。
でも、思うだけなら勝手だ。

要は、僕は彼が“つい”本心を曝け出す瞬間を見たい。演技者のメフィストも素敵だけれど、本心から驚く顔もまた見てみたい。だから。

「一緒に……おでかけ、しない?」

ちょっとくらい近づいてみたって、いいんじゃないかな、なんて。

――メフィストはその目を大きく見開いて、それから嬉しそうに目を細めた。





おでかけしよう、とは言ったけど、その日のうちに連れ出されるとは思ってもみなかった。しかも鍵でひとっ飛びだし。これは外に出たことになるの?
でも、どこかで安心している自分もいる。いきなり外に出るのは不安だったから。じゃあ、今日は練習ということで。

メフィストが開いた扉の先は、豪奢なレストランだった。たぶん、恋人たちがちょっと奮発して行くような。まったく予想外。庶民の生活を愛するメフィストのことだから、ジャンクフード店やファミレスとやらに連れていかれると思ったのに。

従業員たちの笑顔と、きらびやかな世界に少し目が眩む。立ち竦む僕の手を、メフィストが優しく取って、テーブル席まで引いてくれた。導かれるまま僕はすとんと椅子に座る。

「すぐに料理が来ますよ」

最近わかるようになったけど、この『うきうき顔』とか、『沈んだ顔』とか、僕と一緒にいるメフィストは、わりと本心が滲み出ている気がする。執事のベリアルや祓魔師の仕事で部下と話してるときは、必要以上にハイテンションできゃぴきゃぴしていても、こんなにゆるゆるしていない。
そう、ゆるゆるだ。ゆるゆるメフィスト。

寄越される甘い視線から逃れるように、室内を見回してみる。
クリーム色の壁には黒光りする木の柱が嵌っていて、奥側は切り替わって茶色の煉瓦。モダンとレトロの調和、といった感じ。
落ち着いた内装なのにどこか格調高い雰囲気で。ターキー・レッドのカーペットには、ところどころ薔薇のような模様が見られる。そして、

「人が、いない……」

いくら平日の夜だからって、これだけ雰囲気の良い店に僕達以外の人間が一人もいないのはどういうことだろう。思わず呟いた言葉には返答があった。

「貸し切りですからね。なにせ急だったので、今日予約の入っていないレストランはここだけでしたが」

カシキリ?なにやら聞き慣れない言葉が耳朶を掠った。貸し切りか。レストランに来るのは初めてだからわからないけど、貸し切りって普通なのかな?

……違う。庶民の勘が、普通じゃないと訴えている。
知らない僕でも抵抗があるくらいなんだから彼の世間ズレは相当なんじゃなかろうか。メフィストに付き合っていくなら、こういうのにも慣れていかなきゃいけないのだろうか。
獅郎は僕のことをマイペースだというけど、僕はメフィストにはなるべく合わせているつもりだ。

メフィストがくすくす笑った。顔に出てたのかな。思わず頬をぺたりと触ってみるが変わった様子はない。まあ、獅郎にも『表情筋死んでんじゃねーの』と言われたくらいだし。
でもその僕の顔がメフィストには表情豊かに見えるらしい。現にこうして僕をからかって遊んでいる。

「……この、お店」
「はい」
「お気に入りなの?」

メフィストはぱちぱちと目を瞬かせた。

「鍵、持ってたから……」
「ああ……私はこの学園内ならどこにでも自由にいけるのです。先程の鍵はただの様式美ですよ」
「すごいね……」
「理事長ですからね☆」

理事長だからって規格外が過ぎるとは思うけど。
正十字学園は、すべてがメフィストの庭のようなものなんだ。好きなものをつくって、人を置いて、管理させて、誰かに提供して、でも一番大切なのは自分が楽しむこと。メフィストの『楽しい』が、ここにはたくさん詰まっている。きっとこの店にも。

「……いいお店」
「おや。気に入りました?」
「うん」

メフィストはいつにもなく柔らかな笑顔をみせた。やっぱり今日はゆるゆるメフィストだ。

「それはよかった。次の試験に向けて何を送ろうか迷っていたので」
「知ってたの……?」
「獅郎に聞きました。手騎士(テイマー)竜騎士(ドラグーン)騎士(ナイト)を受けるそうですね」

そう。すぐ近くに称号試験が迫っている。そこで僕が祓魔師になれるか否かが決まるのだ。獅郎は余裕余裕と鼻をほじっていたけど、果たしてどうなるか。
召喚できる悪魔は増えたし、データ的に見て射撃や剣の腕も随分上がった。勝算はある。

「ほほお、張り切ってますね!」
「……まあ」
「そういえば朔は、どうして祓魔師になろうと?」
「……」
「純粋に気になるのですよ。何事も無気力なあなたが、なぜそこまで訓練に身を(やつ)しているのか。ああ、別に、問いに答えるかどうかはお任せします」

まあ、当然の疑問だろう。僕だって真面目に祓魔師を目指すつもりはなかったし、痣だらけになるほど訓練をするつもりもなかった。どうして訓練をするのかといえば、体の熱を減らすため。ならどうして祓魔師になりたいのか。それは――

『なあ朔、祓魔師にならないか』

あのとき、僕の中に生まれた希望。
初めはただの思い付きに過ぎなかった。でも力を付けていくにつれて、もしかしたら思い付きを現実にできるかもしれないと思うようになった。
それでも今はまだ、身の丈に合わない願望に過ぎない。

だから、それを掴むために、僕はやると決めた。

「メフィスト」
「はい」
「合格したら、また、おでかけしよう」

今度はちゃんと。一日かけて、一緒にこの町を見てまわろう。



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