刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 00.忘れるにはまだ遠い(1/1)

なにか冷たいものが頬に触れた。我知らず立ち止まって見上げる。空を鈍色の雲が重い蓋のように覆い、そこからゆっくりと白が舞い下りる様子が見える。するとまるで冬を今思い出したかのように身が竦み、氷のような地面から肌を伝って冷気が体を迸った。

「あ、雪」

新八が声を上げる。真っ先に反応するのは神楽かと思ったが違ったようだ。新八もそう思っていたようで神楽に声をかけるが、

「アタイはさ、雪なんかではしゃぐようなお子様じゃねーのさ……」

とかよく分からないキャラになっていたので新八が面倒くさそうな顔をしてああ、そう、とおざなりに返していた。どうせ積もった頃には自分の発言もコロッと忘れて近所のガキどもと雪だるまでもつくってるんだろう。そういう奴だ。

「……ックシュン、あ゙あ゙」

ところでくしゃみの後に風呂に浸かったおっさんが出すような声が出てしまうのは何なんだろうか。くしゃみの後声を出すのもおっさんだからおっさんみたいな声が出るのはおっさん特有の現象なのだろうか。

「銀さん寒そうですね」
「作業着に裸足だからなァ……」

ジャスタウェイだかジャストミートだか知らないが爆弾を永遠作らせられたロクでもない工場は今考えると暖房がある分万事屋より良心的だった。あと一日一回自動的におやつが出てくるのも良かった。ジャスティンビーバーの生産量が多いほどパフェとかケーキとかおかしランクが上がるのも良かった。……次期工場長就任、考え直しちゃダメかな……今からじゃ遅いかな……?

「というかなんで裸足なんですか。たしか工場長に捕まってたときは履いてましたよね?」
「よく覚えてねえ……ノリかな」
「大変! 銀ちゃんまた記憶喪失アルか!」
「あれ、ちょっと、なんで北斗百裂拳の構えしてるのこの子」
「ハアアア」
「やめて、そんな気合入れないで。叩いて直るのはカラーじゃないテレビだけなの、銀ちゃんの頭iPhoneの画面並みにデリケートだからやめてってェェェェ」
「あたたたたたたたた」

怪鳥音とともに繰り出される拳を避けながら二人で走り回る。追いつかれる、と思ったとき、服を下に引っ張られて思いっきり尻餅を付いた。

「ぶっ」
「ほがっ」

潰れた豚のような悲鳴に後ろを向けば神楽がうつ伏せで地面に伸びている。足を滑らせたなこの馬鹿。人を巻き込みやがって。だが助かった。

「まったく、二人して何やってるんですか……」
「俺じゃなくてこいつに言え」

新八によると俺は90%自分が悪くても残りの10%に全身全霊をかけて謝らない男だそうだが今回は全面的に神楽が悪い。神楽が地面に転がったまま顔を上げた。

「銀ちゃん銀ちゃん、本当に記憶全部戻ったアルか?」
「あ?」
「確認させてヨ。忘れられてたら困ることたくさんあるアル。記憶なくす前の銀ちゃん、私にふかふかのベッド用意してくれる言ってたネ。あの屋根とかカーテンとかついてるやつ」
「ああん? あんな狭い押入れに天蓋付きベッドなんか入るわきゃねーだろ」
「なんで押入れに入れることになってるアルか! テメェの寝てる部屋に置くんだよ!」
「あのなァ神楽よく考えろ? あれだけ便利で万能で道徳的なド◯えもんでさえ何十年も寝床を押入れから変えてもらえねーんだぞ。下ネタ漫画の下っ端キャラが押し入れ卒業なんざ百年早ェってんだよ」
「誰が下っ端だァおらァ!! こちとら引く手数多☆ 私はあの人に振り向いて欲しいだけなのに…☆ な一途で純情な乙女を売りにしてる清楚系ヒロインアル!!」
「ヒロインアル? あれ? そんな役あった?」
「臭っせェ野郎どもで埋められた紙面に数少ない可憐な花を飾ってやってる貴重な存在アル! 銀ちゃんはもっと私を敬ってもいいと思うヨ」
「ホラそういうとこ」

神楽は一応ヒロインの位置にはいるがヒロインになりきれない何かでしかない。たかがヒロインもどきに譲り渡してやるほどふかふかのベッドは余っていないのだ。

「この業界はシビアなの。お子ちゃまが考えてるほど甘くねーんだよ」
「いやなんの業界?? 寝る場所を決めるの変えるのも古参とか新参とか関係ありませんよね? むしろ今の時代ワンクリックでベッド含め寝具一式揃っちゃいますし」
「フザケンナァァァ!!」
「ブホァッ!」

すかさず新八の顎にアッパーカット。新八は吹っ飛んで宙でイナバウアーしてから雪の上にドスンと落ちた。

「ドラえ◯んの謙虚さを見習え!! 奴は寝床としての押入れを受け入れているわけではなァい! いつもいつも『押入れはやだなあ』って思いながら口に出してないだけだ!!」
「はぁ!!?」
「そうネ新八ィィ! 奴の天敵は何アルか? そう、ネズミ!! 毎晩ネズミの恐怖に苛まれながら逃げ場のない空間で夜を過ごしてるアルよ奴は!!」
「それでものび家にベッドを要求しないのは!! ひとえに家計の為……ママさんの為だろうが!!」

新八がハッ…とした顔をした。「そうか、そうだったのか……!」うわ言のように呟く。俺と神楽は頷いた。

「「気づいてやれ、のび太!」」
「いやのび太じゃねェよ!!!!!!!」

のび太が反抗期を迎えたようだ。あの生臭が反抗期まで迎えてしまったらのび家は相当荒れるんじゃなかろうか。ママさんの苦労を偲び、熱くなった目頭を抑えて空を仰ぐ。

「あれ〜? ちょっとのび太雰囲気違くなァい? あ、分かった! メガネ変えたアルか?」
「雰囲気とかメガネ変えたどころか別人だからね」
「あれ〜? ちょっとメガネ雰囲気違くなァい? あ、分かった! 新八変えたんでショ〜?」
「新八変えたってどういうこと!? なんでメガネにスポットライト当ててんの!?」

ぎゃーぎゃー騒ぐ声が煩くて耳障りで、だがどこか心地良い。瞼に当たる雪が溶けて蒸発するような感覚がした。視界に広がる灰色がどこか虚しく見えるのは、それがアイツの眼に映っていた世界だからだろう。降りしきる雪の中へ、そっと言葉を紛れ込ませる。

「大丈夫だ」

思い出した、すべて。転げ回る俺に手を差し伸べてくれた人を。作りたての料理は温かいのだと教えてくれた人を。一緒にイタズラを仕掛けた同門たちを。背中を預けあった悪童共を。俺の心にズカズカと入り込むこのガキ共のことを。

冷たい銀世界に一人佇む男のことを、どうして忘れていたのだろう。

「全部覚えてる」

ひとつひとつ、脳裏に描いて、確かめて。抜けているところなんかないかと見渡して。しっかりと捕まえるように、右手を強く握った。拳に触れた雪がそっと肌へと染み込んでいく。



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