刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 07-幕間(1/1)

ごろりとオレンジが地面の上を転がっていく。誰の手に拾われる気配もないので、新八は駆け寄ってオレンジを捕まえ、立ち尽くす人影を見上げた。傾き始めた陽が作る翳りにじっと目を凝らし、あっと声を上げる。

空っぽで覇気のない双眸が新八を映して、どこか曖昧な笑みを零した。






ふ、と睫毛が頬に影を落とす様子を、字面でなくこの目で見るのは初めてだった。普段適度におちゃらけて忙しなく動いている人は、こうして見ると恐ろしく整った顔貌(かおかたち) をしているのだと気付く。寂れた公園でビニール袋片手にうなだれているだけでずっと眺めていられそうだ。作り物めいたうつくしさというのは、きっと彼のようなことを指すのだろう。

「新八くん」
「あ、はい」

彫刻のような唇が自分の名前を口ずさんだので、新八は弾かれたようにたった今口を付けようとしていたカフェオレの缶から顔を離した。

万事屋で銀時の幼少話を聞いた後から董榎とは何度かスーパーで鉢合わせている。
互いの親しみやすい性格もあり早々に打ち解けられたと思っていたが、なぜだろう、やけに体が強張ってしまうのは。
放っておけば寄ってしまう眉間を意識的に引き剥がしていると、董榎は親しげに身をかがめてきた。オレンジの入った袋がガサリと揺れる。

「拾ってくれてありがとう。連れて来ちゃったけど、大丈夫だったか?」
「急いでないので、大丈夫ですよ。僕も、董榎さんとゆっくり話したかったし……あっ、カフェオレありがとうございます」
「そうなの? 嬉しいね。これもあげる」
「いや、二本もいりませんて」

銀時の師だというこの男は、新八にとって初めて会うタイプの人間だった。銀時のようにちゃらんぽらんでもなく、近藤のように変態でもなく、子供に優しく、万人におおらかで、常に余裕を持ち合わせているような大人らしい大人。

だからきっと、当たり前のように子供を慈しむものだと思っている。
銀時相手には飾り気のない粗雑な口調が、新八や神楽と話すときは語末や話し方が柔らかくなるのに、彼は気付いているだろうか。
昔の銀時を語る口よりも、こちらが恥ずかしくなるほど愛を語る瞳に、彼は気付いているだろうか。

「董榎さんこそ、大丈夫ですか」
「全然。夕飯の支度にはまだ早いし」
「じゃなくて……その、疲れてるように見えたので」

董榎は意外なことを言われたという風に、ぱちぱちと瞬いた。見当違いだったかもしれない。それならそれでいいと思いつつ、新八は頬を掻いて続ける。

「悩み事があれば聞きますよ。力になれるかは分からないけど、でもほら、僕たち万事屋なので」

なので、で視線を元に戻すと、董榎は黒々とした目を夕焼け色に染め上げて、眩しいものを見るように細めていた。

「ありがとう」と返す微笑みは幸福を噛みしめる人間そのもので、さっきのも幻だったのではないかと錯覚しそうになる──彼は本当に、あの抜け殻のように立ち尽くしていた人と同じ人なのだろうか。

「新八くんは優しいな。でも、あー……たぶん、その逆というか」

まあ、その、ね。言葉を濁しながら視線はついと宙を向く。朧げな夕陽を眺め、ぽつりと零した。

「よかったなあって思ったんだ」
「よかった?」
「そう。最近ようやく、生活に余裕が出てきてさ。落ち着いたらなんだか気が抜けちゃって、自分でも今更だと思うんだが、いろんなことが急に……」

浅く、吐いた息がしゅるりと空気に溶ける。
灼けるような空が伸びた雲の輪郭をなぞり、さざ波のように引いていく。

「銀時生きてたなあ、とか。大きくなったな、もうひとりじゃないんだな、とか。……そんなことばっか考えてたらまあ、あんな感じに」

そう、少し困ったように笑うから。ああ、このひとは。

──その時ふと、数日前に董榎を見つけた銀時の、泣き出す寸前の幼子のような顔を思い出した。
戸惑いと恐怖と怒りと喜びと、今まで見せたことのないその表情。彼がどれだけあの人にとって大切な存在であるかは一目瞭然だった。聞けば十数年ぶりだというけれど、安否の知れない人の帰りを待つ辛さは、よく分かる。

だから新八が彼を待ち続けるように、銀時が董榎を待ち続けたように──このひとも遠くからずっとずっと、銀時の身を案じていたのだろう、と。

……それだけで、なんだか報われたような気がしてしまって。

「銀時のそばに居るのが君たちでよかった。あの子を支えてくれてありがとう」

まっすぐ向けられた感謝と好意に当てられる。眼の奥に蹲る熱さを逃がすために、瞼をふるわせた。「こちらこそ」まっすぐ、同じように笑ってみせる。

「あの人の先生があなたでよかったです」

沈む陽が燃え尽きる前の灯火のように爆ぜると、白く滑らかな微笑みを橙色に照らした。
照れ臭そうに。心底幸せそうに。これ以上の幸福は無いとでも言うように。
足元の影を色濃く伸ばし続けるそれはやはり、嗚呼何よりも人間らしく、精巧な人形と見紛ううつくしさを保っていたのだ。



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