刀を交えて花一匁 丙 | ナノ
 04.まさかそうくるとは思わないじゃない(1/2)

「“P”?」
「ああ。絶対に傷付けるなと上からのお達しだ」

と、近藤さんが差し出した白黒の写真を受け取る。若い男だ。写っているのは首元から上で、癖のない髪を短く切り、写真の端には簡素な服が見える。顔立ちから年の頃は自身と同じくらいだろうか。その割には男臭さを感じられない。涼し気な目元は凛々しく、飾り気はないのに不思議と目を逸らせない美しさがあった。

「明らかに本名じゃないよな、訳ありか」
「うむ、上には詮索するなと念を押された」
「…黒いな」
「『殺すな』ではなく『傷つけるな』というのも気にかかる。幕府の重役かもしれん」
「そんな要人が指名手配されるか?」

近藤さんが腕を組んで唸る。犯罪者なら刑務所行き、攘夷獅子なら問答無用で切腹、機密情報が漏れたなら首を要求するだろう。幕臣の放蕩息子、重大な事件の生き証人、はたまた天人の姫に見初められた被害者かと様々な考察が俺と近藤さんの間を行き交ったが、結局これと言った答えは出なかった。

「とにかくコイツを探すしかないだろう。この写真を手掛かりにな」
「面倒くせーがやるしかねェか……というか白黒写真って一体いつの時代だ」
「稲山! ちょっと来てくれ」

廊下を通った隊士を呼び寄せ、近藤さんは屯所中の隊士の招集を指示した。勿論指名手配された人物は身を隠して過ごしているだろうし、本名も分からないのでは探すのにも苦労するに決まっている。更に無傷での捕獲ときた。――……これから忙しくなるな。溜息を吐くと、余計に体が重くなったような気がした。

のが、昨日のこと。

翌日、つまり今日、指名手配されていた男が捕縛された。翌日だ。たった一度日が落ちて登って、どうしたことか探していた男はあっさり俺たちの前に姿を現し、あっさり捕まったのだ。それも女の自殺を止めるために飛び出し、包囲された際も抱きかかえた女を守るようにして。

逃げも隠れもしないのは、余程能天気なのか、もしくは自身が指名手配されていることを知らないのだろうか。一応極秘任務としてこの話は市井には出回らないことになっているが、それにしても上層部に追いかけられているくらいだから何らかの負い目があったっておかしくないはずだ……と、俺は考えているのだが、

「さて……自分が捕まったことに何か心当たりはあるか」
「ありません」

……どうしてこの男は堂々としていられるのか。

取調室の机で近藤さんと問答する男を見下ろす。見目は整っている。写真で受けた冷たい印象が実物からは感じない。背筋はすっと伸び、言葉遣いは淑やか。どうも荒くれ者だらけの攘夷志士には思えないし、極悪人などにはとても見えない。捕まった状況からしてもたぶんいい奴なんだろうが、ただのいい奴が指名手配をされるわけもない。

「えっ、董榎さんは昨日かぶき町にいらしたんですか?」
「はい、友人の家に居候させてもらってるンです。花屋なんですが」
「おお、花屋ですか! 花といえば、最近は花粉が酷いですなぁ」
「近藤さんも花粉症なんですか」
「いえ俺は違うんですがね、ウチの隊士が揃いも揃ってダウンしてまして、全く情けない話です」
「まあそう仰らずに。花粉症って酷いと頭痛や発熱も伴うらしいですし」
「えっそうなんですか? あ、どうぞ遠慮せず飲んでください、粗茶ですが」
「あ、どうもご丁寧に……まあ俺も花粉症ではないので、実際に体験しないとその辛さは分からないんですが」
「うーむ…そうですね…」
「だからこそ周囲の人は、当人より重く物事を捉えてあげるべきだと思うんです。これは病気だけじゃなく出産育児や忌事なんかにも言えることですが」
「おお、なるほど…! 俺ももっと隊士に寄り添わねばなりませんな、ハハ」
「ああ、すみませんこんな偉そうに」
「いえ! 勉強になりました! ぜひ先生と呼ばせていただきたいくらいですよ。あ、おかわり入れましょうか?」
「あ、じゃあお願いしようかな……」

「や、近藤さん俺が入れ………じゃねェェェェ!!」

近藤さんと男がぴたりと話を止めて俺を見上げる。どちらも驚いた顔だ。いや驚いてんのこっちなんですけど!?

「何お前サラッと溶け込んでんだテメェ、そんで近藤さんはなんで世間話してんの!?  ソイツ指名手配犯! 俺たち警察!!」

近藤さんと男は顔を見合わせる。二人で頷くと、男は生ぬるい視線で、近藤さんは「仕方ないなぁ」という風な目でそれぞれがもう一度俺を見た。

「なんだ、寂しかったのかトシ?」
「違ェェェェ」
「董榎さんすみませんウチの部下が。コイツ土方って言って普段は突っ張ってるけど実は寂しがり屋なんで、よければ仲良くしてやってくれませんか? ほらトシ、こちら董榎さん」
「トシ? 土方ってあの土方? 新撰組鬼の副長って呼ばれてる? うわーマジでェ?」
「その真選組鬼の副長で合ってます」
「へえ〜! あっじゃあその上司ってことは近藤さん局長かァ! あの『近藤さん』、握手してくれませんか、ファンなんです」
「そうなんですか!? 我々の活動が地方にも伝わっているとは嬉しい限りですが……ハハ、なかなか照れ臭いものですな! ほらほらトシも!」
「『土方さん』、会えて光栄です。よろしくお願いします」
「あ、土方十四郎です。こちらこそよろしく………ってだから違ェェェェ!!」

全力で叫んだ。荒げた息を直しながら汗を拭く俺を見て、近藤さんと男はきょとんとしている。くっ、恐ろしい奴だ。近藤さんだけでなくこの俺まで引きずり込もうとするなんて……

「……あ? ちょっと待て。あんたの名前……董榎?」
「はい。どうかしました?」
「……」

近藤さんの肩を掴み、腰を折って口元を手で隠す。「……近藤さん」なるべく神妙な声音を心がけると、近藤さんも同じことを思っていたようだ、表情を引き締めて「ああ」と返された。

「似ているだけなのか……正体を隠しているのか」
「もしくは“P”っつーのがただの記号なのかもしれねーな」
「どういうことだ?」

本人が名乗る通り董榎というのが本当の名前だとする。幕府は男の本名を知らず、便宜上男のことを“P”と呼んでいるのかもしれない。そう説明すると近藤さんは「なるほど」と呟いた。男は椅子に座ってぼうっとこちらを眺めている。俺達の話を盗み聞きしようという気は見て取れない。近藤さんはそんな男の様子を横目で確認して、「ここは本人に聞こう。俺が行く」と囁き、机の上で腕を組んだ。

「董榎さん、一つお聞きしたいことが……」
「はい」
「“P”という単語に覚えは?」
「すみません、質問の意味がよく……」

男は困ったように眉を寄せた。近藤さんが俺を見上げたので小さく首を振る。男の反応では本当に知らないのか惚けているだけなのか判断できなかった。まあ、仮にも幕府に生け捕りにしろと命じられている対象だ。簡単に尻尾を出すわけもない……

「もし近藤さんの言う“P”が名前を指しているのなら、それは俺のことですが」
「そうですか、では次の質問を………、……?」

言葉を止めた近藤さんと俺の視線を浴びて男は平然と茶を啜った。しかし端正な眉がぴくりと動いたかと思うと、目線を下げて小さく溜息を吐く。再び正面へ向けられた両眼はあの写真と同じ光を帯びていた。

「迎えが来たようです」

そのとき、取調室のドアが開いた。顔を覗かせたのは山崎だ。

「失礼します! 局長、先ほど指名手配犯の件を松平長官に電話で報告したところ、なぜか幕府から官僚が押しかけて来て……ソイツと二人で話させろと喚いてるんですが、どうしましょう」

その僅か30分後、董榎と名乗る男の釈放が言い渡されることとなる。“P”の手配書は回収、機密漏洩の恐れにより供述調書が処分され、松平から真選組に向け、「国の平穏が惜しくば忘れろ」との短い指令が下された。



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