CHAFTER | ナノ




白の貴婦人と最後の嘘
 温室にアデルを招き入れてから、ルーナは迷う。
 仮にも、貴族の屋敷だ。使用人が一人も見受けられないのは、不自然だろう。
 しかし、勘当されてこっそりと身を寄せている事など、数年ぶりに再会した相手に告げる事ではない。
「丁度良かったわ、今日はほとんどの人が出かけているの。羽の生えた男の人なんて見たら、みんな驚いてしまうもの」
 苦し紛れに出てきたのは見栄を張った言葉で、ひどく惨めな気持ちになった。
 気持ちを切り替える為に、羽をしまった彼に大袈裟な反応を返す。
 思えば、彼には嘘をついてばかりだ。
 自分でも驚く程まずい紅茶を振る舞われて怒鳴る彼を見ながら、僅かな自嘲を込めた笑みを浮かべる。
 目の前にいるというのに、未だに彼に再会した事が信じられない。
 何としてでももう一度会って、犬のアデルを取り戻したいと思っていたあの頃を懐かしく思った。
 再会を強く望んでいたあの頃では無く、彼の存在を素直に信じられなくなってしまった今になって現れるとは、何と皮肉なのだろう。
 しかも、ルーナにとっての数年が、彼の感覚では数日だったという。
 時の流れが憎い。心配してくれたらしい彼の優しさが、少しだけ辛い。
 会話が途切れた折に、小瓶を手渡される。
「ただの砂糖だけど、お前にやるよ。結婚と、出産祝いだ。」
 その言葉に、言葉にできない感情が込み上げた。
 周囲には反対されていたから、祝いの言葉などほとんど貰った事が無い。
 それに、彼は知っているのだろうか。
 異世界の住人とは、相手の世界の一部――例えばその世界にしか存在しないもの――を持っていると、交流がしやすくなる。
 その世界との繋がりが出来る為だ。
 自分達を祝福してくれる彼は、また会いに来てくれるという事だろうか。
「ありがとう、アデル。……鈴と、交換ね」
 大切に持っていた鈴が、彼の手の中で涼しげな音を立てる。
 小さな、しかし確かな繋がりを得た彼は、ほんのりと笑みを浮かべていた。

 自分の世界に帰った彼を見送ってから、ルーナはそっと息をついた。
 テーブルに置かれていた小瓶を手に取り、そっと蓋を開けてみる。
 目の前にあった紅茶に少しだけ入れてみれば、とろりと溶けて金色の渦が生まれた。
 送り主を彷彿とさせる色合いに、しばし見とれる。
 その時だった。
 不意に、目の前が暗くなる。
 手から力が抜けて、ティーカップがカシャンと音を立てるのが聞こえた。
 テーブルに手をついて、倒れそうになるのを防ぐ。その際に他の茶器も落とした気がしたが、かまっていられなかった。
 まただ。
 何とか治まってきた目眩に安堵して、ルーナは嘆息する。
 貧血気味なのか、最近はよく目の前が暗くなる。
 出産を終えれば治まるだろうと医師には言われたが、一人で過ごしている時に目眩を起こすと、非常に辛いものがあった。
 目眩が治まってから、ルーナは閉じていた瞳を開く。
 そして、顔を歪めた。
「うそ……」
 床に、茶器の破片と金色が広がっている。
 慌ててテーブルの上を確認すれば、彼から貰った小瓶は無かった。
 泣きそうになりながら、小瓶の破片を拾い上げる。
 その際に、指を切ってしまったのだろうか。
 指先にぷくりと浮き上がった血の玉が一粒だけ、涙の様に床に落ちた。

***

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