あやかし姫 | ナノ




壱 怪しき姫
 ()(こく)を過ぎた頃だろうか。
 出歩く者が殆どいない、そこここに闇がわだかまる、そんな刻だ。
 静まりかえる都で、ふと、うごめくもの達がいた。
 彼らは一直線に、右京のはずれへと向かって行く。
 そこにあるのは、古びてはいるが、手入れの行き届いた邸だった。
 対屋(たいのや)は北、西、東とあり、釣殿(つりどの)から車宿(くるまやどり)鑓水(やりみず)、池、中島と、権勢を誇る藤原氏の邸と比べても見劣りしないかまえをしている。
 釣灯籠(つりどうろう)に照らし出される簀子は深い艶を放ち、花の香りを纏う風に揺れた御簾の先には人影らしきものが見えた。
 彼らはその邸の築地を当然のように乗り越えて、簀子まで遠慮無く入り込む。
 そして、口を開いた。
「ひーめ」
「ひーめっ」
「あやかしの、お姫ー」
 口々に名を呼んだ後、「せーのっ」と声を合わせる。
「あーそーぼーうー!」
 その声を聞く者がいれば、何事かと思っただろう。
 甲高い声から野太い声、艶っぽい声、しわがれた声が、深夜に「遊ぼう」と叫んでいるのだ。不気味以外の何物でもない。
「こんばんは、皆様」
 衣擦れの音と共に御簾が揺れ、袿姿の女が顔を出す。
 柔和な笑みを浮かべる彼女の姿に歓声を上げ、彼らはわっと駆け寄った。
常磐(ときわ)だ!」
「常磐」
「姫は?」
 常磐と呼ばれた女は騒々しい彼らを咎める事もせず、おっとりと微笑んで答える。
「今、着替えていますよ。もう少し、待っていてくださいね」
 その答えに、彼らは素直に返事をした。何が楽しいのか、御簾を揺らしてみたり、簀子に寝そべったり、高欄の上に上ったりと、落ち着きが無い。
 微笑んだままそれを見守り、常磐も簀子へと腰を落ち着けた。
 思い出したように扇を取り出して開き、顔を隠す。
「常磐、どうして顔を隠すんだい?」
 不思議そうに問われた常磐は、微笑みを苦笑に変えた。
「最近、垣間見(かいまみ)の貴族が多いので。人の世では、女人は顔を晒してはいけないそうですよ」
「人はややこしい生き物だねぇ」
 呆れたような声に頷く。彼らに、そして常磐にとっても、人の世の(ことわり)はとかく分かり辛い。
「全くです。
 玻璃(はり)が帰って来ましたら、垣間見対策の結界でも張って貰いましょうか」
 ところで、と、常磐は彼らが人を襲う計画を立てる前に話を逸らせた。
「皆様、今宵はどこへ行くのですか?」
 「姫」と呼んでいる少女が嬉々としていた事から、きっと、普段は行かないような所だ。長らく彼女に仕えてはいるが、この京の都には面白い事が多すぎて、とんと見当がつかない。
「常磐も、一緒に来る?」
 彼らの問いに、少しだけ考え込む。
「姫様はいつも、馬に乗って出掛けられますよね。わたしは馬に乗れませんから……」
「行けそうにありません」と答えると、彼らは口々に大丈夫だと告げた。
 「今日は朧車(おぼろぐるま)がいるから、乗せて貰える」
「姫も今日は、朧車に乗るって」
 その言葉に、常磐は顔を輝かせる。
「そうなのですか? では、わたしもご一緒しましょうかしら」
「そうしてくれると助かるわ。常磐にも、あの子を紹介しようと思っていたの」
 不意に響いた声音に、常磐は腰を浮かし、彼らは飛び上がった。
「姫様」
「ひーめ」
「あやかしの、お姫!」
 妻戸の方へと顔を向けると、そこから一人の少女が顔を出している。
「姫様、お召し替えは終わりましたか?」
 その声に頷くと、少女は簀子に躍り出た。
 くせのない、艶やかな黒髪がなびく。
 年の頃は、十四、五歳ほどだろうか。
 絹のように細く柔らかな黒髪がかかる肩は細く、闇夜に白く浮き上がる首筋や袂から覗く指も作り物のように華奢だ。頬に影を落とす睫毛がふるりと揺れ、その下に秘められた瞳が彼らを捉えた。
 淡く色づいた唇が弧を描く。
 そこにいるのは、まだ幼さの残るながらも、はっとする程の美しい顔立ちをした姫君だった。
 ……彼女の纏うものが水干ではなく、身の丈ほどもある髪が高い位置で結われておらず、彼ら――人ならざるモノ達と楽しそうに戯れていなければ、の話ではあるが。
「今宵は、桜を見に行くのよ。奈良の都から運ばれた桜の、桜の精に会いに行くの」
 高く澄んだ声でそう告げ、少女は己を迎えに彼らへと視線を向ける。
「さあ、行きましょう!」
 そうして、邸に集った彼ら――百鬼夜行は、少女と常磐が朧車と呼ばれるモノに乗り込んだのを合図に動き出した。

***

[*prev] [next#]
[しおり]
[ 3/3 ]
back




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -