小説2 | ナノ


▼ 『CLOSED』

 
「バカねえ、あんた」

 あっさりと吉村さんは言った。
 目をちょっと丸くしたぐらいで、彼の派手な顔に大した影響はない。
 別の原因で、眉間に皺は少し寄っているけれど。


 私はたったいまこの人に、振られた。
 

「ゲイって言葉の意味も、あたしがゲイってことも知ってるわよね」
「うん」
「女なんか好きになれるわけないわよ」
「うん」
「なら何なの?冗談?悪ふざけ?」

 言葉尻に皮肉以上の鋭さが混じる。

「いくらあんたでもそれは許さないわよ」
「ち、ちがうって」
「だったら何よ」

 2,3秒考えて、一つしか思い浮かばなかった言葉をバカ正直に口にした。

「…本気で」
「本気で玉砕したかったっての?」

 好きで玉砕したわけじゃないっての。


 『好きな人ぐらいいないの?』
 なんて言われて、
 人の気も知らないで、って思って、
 気がついたら口をついて出ていた。

 あの、決定的な一言が。

 しまった、と思った時には、もう手遅れだった。
 弁解するにも言葉は出てこず、かといって喋り続ける吉村さんを遮ることもできない。
 形としては会話は成り立っている、けれどそれだけだった。
 私の言葉は彼にほとんど伝わっていないのじゃないだろうか。

 それならいっそ、全く何も聞こえないほうがよかったのに。


「あんたも物好きよねえ」
「…悪かったね。物好きで」

 思わず卑屈っぽいセリフが口をつく。
 ああ…どうして私は、この人の前となると。

「自分でもおかしいと思ってるよ、こんな蛇顔の天パーメガネのどこがいいんだって。でもさ」

 気がつけばいつも目で追っている。
 自分の中で、存在がどんどん大きくなってゆく。
 それが事実なのだから仕方がない。

 どうしようもなかった。
 意味がないと分かっていても。


 大げさにため息をついて、彼は足を組みなおした。
 黒いスラックスがすらりと映える。

「あんた今、さりげなくあたしをけなしたわね」
「…あ、え?そうなる?」
「嘘よ」

 真顔で言われても分かりようがない。

「わかってるわよ、こんなときに冗談なんて言えるキャラじゃないことは」

 吉村さんは仕方がないとでも言うように少し笑った。

「洒落っ気がなくて色気もない。でもそれがあんたのいいところでもあるってこと」



「…けなし返した?」
「あら、少しは進歩したじゃないの」

 微笑みはニヤリ笑いに変わった。




 吉村さんは「自分はこうだ」というスタンスのハッキリした人だ。
 やりたいことのためなら全力を尽くすし、逆にやりたくないことははっきりと言う。
 だからどれだけ拒絶されるだろうかと、言ってしまった時から覚悟していた。

 でも少なくともこの人は、告白したとたんに態度をひるがえすようなことはしない。
 そのことがわかって、私は肩の力を抜いた。
 思ったより力んでいたことに、その時ようやく気がついた。

 それでもやっぱり、からかい顔はいつもムカつく。

「最初はただのネクラだったのに。外に連れ出してあげた効果があったってことね」
「連れ回した、の間違いでしょ」
「出不精をなおしてあげたんじゃない、感謝しなさいよ」
「感謝?私の都合おかまいなしで呼び出す人に?」
「どうせあんたに他の予定なんてないじゃないの」

 吉村さんはメガネを外し、角ばった茶色のフレームをいじりながら話す。
 私は、ただその横顔を見ていた。

 通った鼻筋が、ライトを反射して光る。
 意外とパーツは良いのだ。普段の騒がしさで気づきにくいけれど。
 そのことには連れ回されるようになってから気がついた。


「あたしもこんなだからさ、気を許せる相手ってそういないけど。あんたは心置きなく振り回せるのよねー」
「振り回すって言っちゃってるじゃん」
「だからまあ…なんだかんだ言ってさ。楽しみにしてたのよ、あたしも」


「…え」
「いくらあたしがいい人でも、ただのおせっかいで少ない休み潰すほどお人よしじゃないわよ」

 彼は照れるでもなく、いつもと同じ調子で話し続ける。

「誰かと出歩くなんて、実は今まであんまりなかったのよ。それがあちこち出かけては、たわいもない話ばっかりして、あんたと馬鹿笑いしてさ。
 人の目も気にしなくていいし後ろめたさもないし、けっこう悪くなかったと思うわ。けど」

 顔を上げると、吉村さんはこちらを見ていた。



「もう一緒にいるだけじゃ、あんたはつらいんでしょ」



 胸が波打つ。
 なんとかそれを鎮めようと、私は声を絞り出す。

「…そんなことないよ」
「今はそうじゃなくても、いずれそうなるわよ。あたしは変わらないんだから」

 変わろうとしても無理だし、と吉村さんは続けた。
 おどけたように言うその口の端は上がっているけれど、とても笑っているようには見えない。

 透きとおった瞳に、今まで見たこともない色が浮かんでいた。
 私を拒否するわけではない。
 むしろ、そっと気遣うような、切なげな色。

 私は、ある時のことを思い出していた。





『カップルでデートですか?だってさ』
『おめでたいわねー。男女二人、イコール恋愛関係だなんて』
『このご時世なのに、想像力が欠如してますね』
『そのうち差別とか言われるようになるわよ。時間の問題ね』

 声をかけてきた客引きを批判しながら、二人並んで歩く。
 たとえカップルに見えたとしても、会話には色気のかけらもない。
 ぽんぽん続いた軽口の応酬の後、ぽつりと唐突に降ってきた言葉。


『もしあたしが本当に彼氏だったら、なんて思った?』


 なんだかいつもと違う響きに聞こえて。
 まさか、とすぐに否定したが、その瞬間どきりとしたことに内心自分でも驚いていた。

 見上げると、吉村さんは何でもないような顔をしていた。
 ニイと口を持ちあげ、大げさに肩を叩いてくる。

『あったりまえじゃない!あんたなんてこっちから願い下げよ!』

 からかわれた。
 むくれた私は、その声を不思議に思ったことすら忘れてしまったけれど。





 あの時、私が見上げる直前までは、こういう目をしていたんじゃないだろうか。

 この人は、こういう日が来るのを、分かっていたんじゃないだろうか。





「ま、こんなに優しいあたしを選ぶってことは、人を見る目には自信持っていいけどね」

 いつか聞いたような調子で軽口を叩きながら、吉村さんはメガネをかけた。

「これからあんたは店に来ないこと」
「でも」
「言っちゃったからには戻れないの。そういうもんなのよ」

 厳しい言葉なのに、なんだか優しく響く。
 この人の言葉は、いつもそうだった。
 それは思いやりが内にあるからで、鈍い私がそれに気付いたのは、やっぱり少し経ってからだった。

「あんたはこれ以上、無駄なことしてる暇なんてないでしょう」
「…うん」

 無駄だとは思っていなかったけれど。
 私のために後押しをしてくれている。
 そう思えて、頷くことにした。


 吉村さんは、私の頭をぽんと叩いた。

「さ、話は終わり。どっちにしても、もう店じまいだわ」
「え、もう?」
「時間厳守。片付かないでしょ」

 そう言いながら、吉村さんは本当に閉める準備をはじめてしまった。
 カウンターに流しにとあわただしく動き、私は呆然とそれを見ている。

「でも」

 これでおしまい?
 あまりにも唐突すぎる、せめて心の準備くらい。

「また今度にしなさい」
「今度はないんでしょ、だってさっき」
「たまになら来たって文句言わないわよ」

 吉村さんはすっかり、賑やかなバーの店主に戻っていた。

「そこを絶交とか言えないのがあたしの甘いところよね。ほら、やっぱりお客様は逃せないでしょ」
「商売人だ」
「あったりまえよ。この世界厳しいんだからねー」

 冗談めいた口調でグラスを洗う彼を見ているうちに、自分の中の感覚がなんだか変わってきていた。


 振られたのに、ちゃんと笑えている。
 不思議だな。

――これならひとりで歩けるかな。



 私はドアの方を見やり、立ち上がった。

「吉村さん」
「なに。出てくならさっさと行きなさい。あんたいっつもトロいんだから」




「…ごめんなさい」




 一番言いたいことだけ言って、出口へ歩き出したつもりだった。

 突然、腕を掴まれた。
 何が起こったかわかる間もなく、後ろから私は閉じ込められる。

 彼の肩がわずかに震えていた。
 驚いて顔を見ようとしたら、更に強い力が入った。

 いま振り向いたら絶交。
 耳元で、小さい声がそう言った。


「どしたの、吉村さん」
「ほんと馬鹿ね、あんたは」




「あたしにまで、こんな思いさせるんじゃないわよ…」




 言わなくてもわかった。
 それは今私が感じていること、きっとそのまま。

 大切に思ってくれていたのに、
 一緒に居られなくて。
 辛いお別れを、言わせてしまって、



「ごめんなさい」
「謝るんじゃないの」



 本当はもう、踏み出さなくてはいけない。

 けれど今だけは、私を包む暖かい腕に、手を添えた。





End. 

→あとがき



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