小説 | ナノ


▼ 乙女座の彼女

 
「エドって世話するのが好きだよね」
「うん?」
「オウムとか、猫とか連れ込んでるじゃない」
「それに君とか?」
「…思ったけど言わなかったのに」
「ほら、一口」

 彼はスプーンを差し出した。
 大人しく口で受け取る。
 ぱくん。
 プディングはいつもより味がしない。

「オウムはともかく、猫は飼った覚えはないぞ。いつの間にか居ついたんだ」
「あ、大丈夫。私は治ったらちゃんと出て行くから」
「これで終わり」

 ぱくん。
 また口をふさがれるように、プディング。

「出て行くことを考える前に治すのが先だ、風邪っぴき」
「…はーい」

 離れてゆくスプーンを目で追い、彼まで辿る。
 またヒゲを剃ってない。不精ヒゲは老けて見えるって言ったのに。
 エドは食器を片付けているのに、まるで筆とパレットで色を作っているように見えた。
 そっちを見慣れているからこその錯覚だなあ、と思う。

 彼はいつもと同じようなゆったりしたシャツを着ている。
 普段は絵の具だらけなのに、今日はなぜかきれいなままだ。

「絵は?描かないの」
「今日は休む」
「私は大丈夫だから。お隣さんの部屋、行ってきていいよ」
「モデルがこっちにいるんじゃ意味がない」

 私は大きく目をパチパチさせた。
 してしまってから、なんと分かりやすいリアクションだと恥ずかしくなった。

「わたし?」
「他に誰がいる?」
「やらないよ。助手ならやるけど」
「どうして」
「ヌードなんでしょう」

 エドは遠慮なく吹きだした。
 彫りの深い顔が一気に幼くなる。

「そんな決まりはない」
「そうなの?だっていつもモデルさん裸じゃん」
「モデルに必要な力は、どれだけ画家にイメージを与えられるかだ。レイは脱がなくても充分だよ」

 それから芸術家の先生は淡々と、

「それほどメリハリのある身体でもないしな」

 …ご丁寧に付け加えてくださった。

「どうせナイスバディじゃないですよ」
「整ってはないが好みではある」
「え」
「だから、絵に描いて他の奴に見せるなんてとんでもないね」

 あまりにもさらっと言われたので、目をパチパチまたたくことすら今度は忘れた。

「だいたい君の美意識は一辺倒で…レイ?」

 布団を頭のてっぺんまで引き上げた私に気付いて、エドの声に心配そうな色が乗った。

「どうした?具合が悪くなったか?」
「…ううん」

 赤くなった顔で、どういう表情をしたらいいか分からないだけだ。
 こっちは口説かれ慣れてない日本人だっていうのに。


「…そうやってうぶな東洋人を丸め込むんだ。悪いアメリカ人は」
「別に丸め込んだつもりはないが」

 目だけ出して小さく反論すると、エドは私を見て、意味ありげに少し眉を上げた。

「…悪いアメリカ人か」
「うん」
「なら、君を襲っても別に不思議じゃないな?」
「え?…わぁっ!」

 言うなり布団がめくられて、大の男がダイブしてきた。
 昼間からそういうことをする人ではないけれど、昼寝だと言ってスペースを奪いかねない自由人ではあるので抵抗する。

「やめ…!ちょっと!うつるから!」
「おとなしくしろ、東洋人め」
「くすぐったいってヒゲ!あはは!」

 しばらくじゃれあって、エドはようやく撤退した。
 いつもはねている短めの髪がさらにボサボサになっているのを見て、ようやく解放されたとため息をつく。
 が、次の瞬間もう布団の上からホールド。
 身動きが取れない。

「…エド、ギブ。ギブアップ」
「もう終わりか?骨がないな」
「風邪ひいてるんだって…」




 ハンデ戦の末に負けた私は、そのままミノムシ状態で芸術論を聞く羽目になった。

「さっきの続きだが、君の美意識ってのはいかにも一辺倒だな」

 後ろから固定されているので姿は見えないが、今の私と似たり寄ったりなポーズだろう。
 そんな状態でもったいぶって語っているエドを想像するとおかしい。

「メディアに踊らされるのはよくないんだぞ」
「でもみんなが綺麗って思うから、モデルさんみたいな仕事が成り立つんでしょう」
「それは『整っている』だ。『美しい』とはまた違う。美しいっていうのは、自分の心が感じるものが絶対だ。だから」

 エドはそこで一度言葉を止め、それからはっきりと言った。

「だから、君は美しい」
「でも、エド…」

 その時、拘束していた力がゆるんだ。
 エドはこちらを覗きこんだかと思うと、不意に微笑む。
 あまりに無邪気な笑顔を近くでお見舞いされて、私は少し目がくらんだ。

「ほら、そういうものが描きたいのに」
「え?」
「透き通った声」

 私の唇に指が当てられた。

「レイが話すと空気が変わる。それから、ほのかに甘い香り」

 彼の高い鼻が首元に近づいて、静かに息を吸い込む。

「これぐらい近くにこないとわからないけど。そしてその後、ゆっくり、暖かさが伝わってくる」

 また、布団の上から腕が回ってくる。
 今度は「抱きしめられている」という言葉にふさわしい、優しさ。


「…美しいよ、きみは」


 彼は深く深くため息をついた。
 心からそう思っている、そんな風に。


「エド」
「なんだ」

「変人」

 悪口ともとれる言葉を投げかけても、エドは余裕のある微笑しか見せない。

「変人は嫌いかい、美しい人」


 そんなわけがない。
 こんな私を美しいと言ってくれるのは、変わり者のあなただけ。

 ただ、私の口は、そうそう素直に動いてくれない。


「風邪っぴきを寝かせてくれない変人はやだ」

 布団をかぶり直し、私はエドに背を向けた。
 けれど、

「治るまで責任は持つさ。面倒みるのは慣れてる」


 髪の上をすべる指の感触からすると。
 ひねくれ者の言葉の裏側なんてきっと、この人にはすっかり見えている。



End. 

→あとがき


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