▼ ふたたびあう
七夕のことをふと思い出した。
あれはいいよね。夜空を見つめたり、お願い事なんか書いちゃったりして、なかなかロマンチックなイベントだった。
もっとも、私が日本の七夕を経験していたのはずっと前の話だ。
植物を扱う仕事上なかなか手が離せず、最近ほとんど帰っていない。
ここ、イギリスに来て何年になるだろう。
ホグワーツに入学してからは七夕なんてほとんど思い出さなかった。
7月といえば夏休み。
もう休暇真っ盛り、おまけに始業式までまだ1ヶ月以上もある。今遊び倒さずにいつ遊ぶ。
そんな感じで、間違いなく1年で最高の月だと、学生の私は断言しただろう。
それが今は、1年で最低の月である。
すごい変化だ。
そこで七夕の話題に戻って思うわけだ。
牽牛と織女、彼らは一年ごとに幸せな再会を迎える。
一方私は、一年ごとに苦悩の再会。
この差はなに?
生まれた時代?
それとも世の若者たちに愛と希望を与えた量の差?
そうこうしているうちにドアのノッカーが鳴って、私の心臓は縮み上がった。
なんとか元のサイズに引き伸ばそうと試みつつ玄関に向かう。
さあさあ、来ましたよ試練の日が!
* * *
「ご機嫌よう、ミス・コーリ」
記憶と寸分違わぬ陰湿さで男は言った。
そのねっとりした黒髪が目に入った瞬間にドアを閉めたくなった。
が、なんとかこらえてひとこと言った。
「…お久しぶりで」
「もう少し気の利いたあいさつが欲しいところですな」
出会い頭にバッサリ斬る。侍より非道なセブルス・スネイプ。
毒舌は記憶よりも2割増しで鋭かったようだった。これだから人間の脳なんて信用できない。
「恩師が訪ねるという手紙をよこしたというのに表で待ってすらいないとは、大変『手厚い』歓迎ですな。心から感謝しよう」
「すみません、手が離せなかったものですから」
スネイプは不審そうに室内をちらりと見やる。
「何かの作業の途中か」
「ええ、少し仕事を」
引きつった笑顔で答えると、スネイプの目がギラリと光った。私は慌ててとりなす。
「終わりましたので大丈夫です」
ま、大嘘ですけど。
わざわざこんなことを言ったのは、やりかけの仕事を『手伝って』もらっていたはずが、最後には先生が仕上げてしまった経験があるからだ。
まるで夏休みの工作を手伝って、逆に自分が夢中になってしまった親のごとく。
それ自体はありがたいのだが、休みなく際限なく続く講釈を、その間ずっと聞かされるのだけは苦痛極まりない。
「…それは結構」
何か言いかけたスネイプは一度口を閉じてから、そう言い直した。きっと狙っていたに違いない。
あ、危なかった…あんな地獄二度と御免だ。
「それにしてもこの部屋、散らかりすぎではないかね」
「これでも片付けたほうです」
「ミス・コーリ」
「何です?」
「仕事で忙しくて手が離せなかったのでは?」
しまったあああああああああ!!!!!
口滑った!ジャンプスキーで金メダル取れるぐらいに勢いよく口が滑った!!
「まあいい」
まるで自分は寛大だとでも言いたげにスネイプは眉を上げた。
あんたは寛大じゃない、神経質なんだとはもちろん言わない。言えない。
「このような事態は予測していた。お前に進歩を期待する方が愚かなのだ」
「そこまで言いますか」
「言い返せる立場かね?」
「…返す言葉もございません」
「よろしい」
再会して数分で、既に私の体から力が抜けつつあった。
見透かされることが分かっていて取り繕おうとした自分がバカだったのだ。
この男の勘のよさは嫌というほど知っている。
ただそれほど鋭いならば、それこそが私があなたを苦手とする理由だと言うことにも気づいてはくれまいか、先生。
「では見るも無残な机の上から始めるとしよう」
「…あの先生、自分で片付けますから」
「我輩が落ち着かんのだ。こうも散らかっていては、座る気にもなれんだろう」
「日が落ちるまでかなりある。その間ずっと、我輩を立ちっぱなしにさせておく気かね」
またそんな時間まで粘る気か、あんた。
* * *
「ミス・コーリ」
猫なで声でスネイプがわたしを呼ぶときは要注意である。これは学生時代からずっと変わらない。
「こんなに日光の降り注ぐ机の上に日陰保存必須のツキミソウがある」
「…はい」
「おや、ツノガエルの肝が使わないままに干からびているな」
「…はい」
「この謎の物体はどうやって調合したのかね?我輩にさえ分からんとは、何ともすごい調合技術をお持ちのようだ」
「…すいませんでした」
「いいから鍋を洗いなさい。ただでさえお前は動作が遅いのだぞ」
まるで姑にいびられている嫁状態。
背中から聞こえてくる声に休むことなくちくちくと刺されながら、何ヶ月か前に再起不能にしたままだった鍋を洗っている。
「だいたい、どうやったらそこまで真っ黒に焦がすことができるのかね?我輩が教えている一年生でももう少し上手くやるだろうに」
一年生。なんと懐かしい響き。
学生時代といえば友人や寮の思い出は色々出てくるが、授業に関しては、残念ながらこの先生にいびられた強烈な記憶しかとっさに出てこない。
…他の先生方、ごめんなさい。
「コーリ、思い出に浸るな鍋を洗え。手を休めるな」
「…はい」
十分間必死で磨いた甲斐あって、鍋はなんとか使えるレベルに復活した。
「終わったか」
「…おお、すごいっ」
振り向くと、見事なまでに整理された窓際の材料棚。
あれだけ散らかっていた机の上には、まだ保存処理の途中だったはずの薬草たちが何十もの山に分けられて並んでいた。
この男の几帳面さにはいつもながら感心する。
「調合を扱う者にとっては基本だ」
まったくなんでもないことのようにスネイプは言った。
「我輩としては、むしろここまで雑然とした状況で仕事ができることの方が感心しますがね」
「…いつの間にか散らかるんですよね」
「お前はプロとしての意識が足りん」
不満そうに鼻をフンと鳴らして、
「頼んでおいた薬草はどうした?」
そういえば。
と、ようやく私は彼の本日の目的を思い出す。
私は調合のかたわら、それに必要な薬草を自家栽培している。
品種のセレクトがマニアックなものだから譲ってくれという人が意外といて、今では調合の依頼より薬草注文の手紙のほうが多いぐらいだ。
彼はいわば『お得意様』で、毎年この時期に薬草を受け取りに、訪問してクダサルのである。
その用件だけなら手紙で済むだろうにわざわざ。むしろ手紙の方が…いや何でもない。
「ありますよ」
と言ってから、どこにあったっけ、と記憶を探る。
「……外に」
まだ摘んでなかった。
「そんなことだろうと思っていた。整理していて見当たらなかったからな」
彼はもう玄関の方につかつかと歩きはじめる。
「いつもの籠を持ってこい」
そう言い捨てて、あっという間に姿を消した。
いや、早いよ!まだ私、鍋持ったままだよ!
戸棚を引っ掻き回して薬草用の籠を取り出すと、私は慌てて後を追った。
玄関口から伸びている道は二股に分かれていて、その岐路でスネイプは仁王立ちをして待っていた。
「遅い」
いや、先生が早いだけです。
「先に始めておこうと思ったのだが」
「どうかしました?」
スネイプは左の道を指差す。道の両側が薬草畑なのだ。
「どこにどんな薬草があるのかね。この『草むら』の中で」
「ああ、分かりました。ちょっと待っててください」
畑、というより雑草が多すぎて、育てている自分にも「草むら」にしか見えない繁みに私は足を踏み入れる。
「これが10グラムであそこのが30、あとはええと…これか」
少し離れたところから私を眺めていたスネイプは、理解できないといった様子で言った。
「この滅茶苦茶な中で判別できるのか」
「そりゃ、自分の畑ですから」
摘み取りながら私は答える。ぷちぷちとちぎれる感触が楽しい。
「雑草に養分を奪われるのでは?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと毎日会いに来てますから、負けはしません」
「毎日来てこの荒れ具合か」
「雑草もあった方が、かえってたくましく育つんですよ」
「……」
「いや、言い訳じゃないですよ。こればっかりは」
「…これ『ばかりは』?」
「あー残りは温室の方ですね!行きましょう先生!」
三十六計逃げるが勝ち。…あれ、ことわざ二つ混ざってる気がする。日本離れてる期間長いからな。
温室は育てるのが難しい薬草専用で、さすがにその中だけはちゃんと整列させて植えてある。
「ブラックミントの注文だが、100から200に増やしても構わんだろうな」
「いいですけど、取るのに時間かかりますよ。他のもあるし」
「ここなら我輩にも区別がつく」
言うなり彼は摘み取りを開始した。
許可を出す前だったんだけど…まあいいか。私よりもきっと扱いは上手いだろう。
「まったくもって不思議で仕方がない」
いや私は、ものすごいスピードで作業をしながらも毒舌が止まない先生の方が不思議で仕方がないんですが。
「あのレイ・コーリが、調合を仕事にしているとは」
「ええ、まあ。そこは自分でも不思議です」
「薬草学はともかく、魔法薬学は苦手だったではないか」
「成績は常に最低でしたね」
「それだけではない。お前は今まで我輩が受け持った全ての生徒の中で屈指の失敗率を誇る」
誇りたくないです。
確かに失敗は多かったが、あんたがいびることで失敗した回数は十本の指じゃ数え切れないですよ。覚えてるか覚えてろよこんにゃろう。この恨みはいつか必ず…
「コーリ」
「すいませんでしたごめんなさい」
「なぜ謝る」
復讐は被害者(予定)自らの手によって阻止された。平和である。
「問題ないだろう。品質は相変わらず良いようだ」
摘み取った薬草を隅々までチェックし、スネイプが言った。
「これを取ったらお前からは何も残らんな」
この人にしては褒めている。ものすごく。
さすがにわざわざ来るだけあって、栽培の腕は買ってくれているらしい。
だがしかしだ。
「…先生、調合も残らないんですか」
「いかにも」
いかにも、じゃねぇよ。
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