▼ ムーンライト・ディライト
「不思議だね、君は」
そう言うと、目の前の少女はきょとんとした顔でわたしを見上げた。
「満点のレポートの抗議に来るだなんて」
「だって、なぜ私が一番なんですか?」
苦労して何十枚もの採点を終え、ようやく一息つける時期に入ったと思ったのに、やれやれ。
教師という仕事がこんなにも大変なものだったとは。
自分も知らぬ間にさぞ苦労をかけたのだろうと、恩師が幾人か頭をよぎった。
「レイ、わたしは公平に採点したつもりだけれど」
「納得いきません。誰よりも詳しく長いレポートを書いたハーマイオニーに満点がついていないのはおかしいです」
公平に採点して1番なのだから、何も問題ないじゃないか。
わたしだったら、例え誤採点でもそのまま言わないでおくけどなあ。
「…ええと」
言葉にならない言葉で場をつなぎつつ、考えをめぐらせる。
個人的な思惑はともかく、彼女に納得してもらわなくてはならない。
「わたしは今回の課題をどういう風に言ったかな」
「『バンシーに襲われた場合、村人はどう対応すればいいか説明せよ』」
「そう。一字一句変えずによく覚えていたね」
「すぐ書きとめていましたから」
うん、きちんとしていて大変よろしい。
教師からすればありがたい生徒だ。
「確かにハーマイオニーのレポートは、実に詳しく書かれていた。
バンシーのことが知りたければ、あれを読みさえすれば大丈夫だと思ったぐらいだ。
一方、君のレポートは『村人が』どうすればいいのか、とても具体的に書いてあったね。
決して高度な魔法は使わず、少し魔法が下手な者でもすぐに追い出せるように工夫してあった。
違いはなんだと思う?」
ここまで説明すれば、察しのいいこの子ならたぶん分かってくれるだろう。
案の定、彼女はハッとした表情で顔を上げた。
「…村人の立場に立っているかどうか?」
「そういうことだ。君の説明がとても上手いと思ったから、わたしは満点をつけた。それだけだよ」
「でも…」
「不安かい?」
彼女は小さくうなずいた。
やっぱりそうか。
真面目な生徒の中には、自分を過小評価する癖のある子がいる。
「今まで満点なんて取ったことなかったから…」
「じゃあ、こう考えてみよう」
彼女が安心できるよう、堂々とした言い方を心がけて言葉にする。
「日頃頑張っていたことが、今回はたまたまうまく結果に出ただけ。だったらそう不自然なことでもないんじゃないかな」
「頑張ってるって言っても…私、防衛術は実技がまるでだめだし、試験も点数がとれなくて」
「君のレポートはいつもクラスで一番丁寧に書かれているよ。そういうのは頑張っているとは言わないかい?」
レポートに時間をかけることで、きっと知識は確実に身につく。
それを積み重ねていけば、ある時期突然に成績が伸びるだろう。そう見ている。
「それにレイ、わたしは君の字が好きだよ。読みやすいのに、整いすぎなくて親しみがある」
「…ありがとうございます」
彼女はちょっと照れたようにそう言った。
意見など受け付けない、というような態度だったのが少し和らいだ。
もう大丈夫だろう。
物はついでだ、実のない冗談でもおまけにつけようじゃないか。
「見習いたいものだね。わたしは元々が下手なうえに、文字整形の呪文も苦手で、まったくどうしようもないんだ。壊滅的だよ。
大事な書類にサインするときだけでも、君の腕を取り外して使わせてもらいたいぐらいだ」
「それ筆跡変わっちゃうから、サインの意味ないじゃないですか」
わたしの自虐に彼女が笑った。
安堵のためかわずかに瞳が潤み、いつもより光を含んで輝いている。
とても美しい、と思った。
自分にも、人にしてやれることがある。
その実感が得られるのだから、教師というのは悪くない仕事だ。
しかもたまにはこうして、笑顔という報酬も返ってくる。
それでわたしは充分に満足していた。
少なくとも、まだこの時は。
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