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 意識が現実に戻ってきた。




 月明かりの中。

 わたしは今、彼女の膝を枕にして寝そべっている。




「具合はいかがですか」

 真上から、夢で聞いたのと同じ声が降ってきた。
 その方向に顔を向けたいが、悪いのは寝起きなのか体調なのか、残念ながら動かない。

「…寮に戻っていないのか、レイ。もうこんな時間なのに」
「そういうお説教はね、ちゃんと動ける人だけが言えるんですよ」

 マダム・ポンフリーに看病の許可は得てます、とレイは恐ろしいことを言った。
 次に会ったとき、マダムに何を言われるか…。

 そうはいっても、己の体が意志に従ってくれそうな気配はまだない。
 仕方なく、夢で振りかえっていた過去の光景に思いを馳せる。


 初めて二人だけで会話したのが、あの時だったはずだ。

 内容は何でもないことだったけれど、レイと話すことは心地よかった。
 だからなんとなく一緒に過ごす時間が増えてゆき、
 …結果、ここまで近づきすぎてしまった。

 彼女には、わたしの秘密はもう話してあった。
 しかし脱狼薬を飲んでいるからといって、安心しきっていい訳はない。
 少しでも具合が悪くなりそうなら決して会わず、体質の片鱗さえ見せずにいた。

 しかし、今回は完全に油断した。
 満月を過ぎたので狼になることはもうないが、脱狼薬の効果はまだ続いていた。
 結果、体力が戻りきっていない状態で会い、目の前で倒れるという醜態をさらしてしまった。

 二度と、こんなことは起こしてはならない。
 彼女のために。


 ――やっぱり早く帰さなくては。

 ようやく説得する気になって、少し力を入れて体の向きを変える。
 まだ起き上がれないのが情けない。

 下の角度から見る彼女は初めてだった。
 月の光で、顔の輪郭がうっすらと光っている。

「君は、怖くないのかい?」
「怖かったですよ」

 レイはこともなげに言った。

「いきなり目の前で倒れられたんですから」
「そういうことじゃなくて…」

 彼女は今日はじめて、わたしの現状に直面したようなものだろう。
 それなのに動揺した様子が見えないのは、なぜだ。

「襲われるんじゃないかとか、変身しないかとか」
「だって、もう大丈夫なんでしょう」
「まあそうなんだが、しかし」
「私これでも人狼のこと結構調べたんですよ。満月が終われば危険はないってどの本にも書いてありました」

 なんて真面目なんだろう。
 それでこそ彼女だが、説得する側にとっては大変厄介だ。

「…でも、寝ている間に帰れと言ったはずだよ」
「先生、あれ、夜だったんです」
「え?」
「覚えてますか。私たちがはじめて二人で話したときのこと」


 いきなりレイが持ち出してきた思い出は、わたしがついさっき夢で見たのと同じものだった。


「忘れもしないよ。満点のレポートの抗議に来たのなんて、後にも先にも君ひとりだ」
「私なぜか、お昼休みの出来事だとずうっと思っていて。でもよく考えてみたら、帰り道に月を見てました」

 わたしも夜の出来事として記憶していた。夕食の後だったから間違いないだろう。

「なぜそんな勘違いをしていたんだろうね」
「感覚で覚えてたんです。明るくて暖かいっていったら、日が出ている時間だと思うじゃないですか。
 それで気付いたんですけど。私、先生と話してると日向ぼっこしてるみたいな気分になるみたい」

 彼女は照れるでもなく、ごく自然なことのようにさらりと口にした。



「今は、雲からお日様が顔を覗かせるのを待っていたい気分、ってだけです。
 だから先生は別に気にする必要ないです」



「……気にするよ…」

 それを言うのが精一杯だった。

 わたしにはレイと居る資格などないのだ。
 不幸に巻き込んでしまうかもしれないのだから。
 ああ、でも。
 意に反して、胸を突き上げるものがあった。



 何年ぶりになるだろう。
 こんな時間に、心許せる人が一緒にいてくれるのは。



「…なんてことだ」

 実感したと同時に喉からこぼれ出た言葉はかすれていた。

「どうかしました?」

 覗きこむ瞳の美しさに、さらに口が滑る。




「わたしは今、幸せだと思ってしまっている…」





 彼女はただ、微笑んだ。
 月の光の下なのに、こんなにも眩しい。


 わたしが太陽だって?
 とんでもない。

 君のほうだろう。



「次は元気なときに、一緒にお昼寝でもしましょうか」
「いや。これが最初で最後だ。こんなこと…」
「先生って頑固ですね。でも残念ながら私も頑固なんです」

 レイはわたしの言葉だけの抵抗を、いとも簡単に蹴散らしていく。



「では、おやすみなさい」






 再びまどろみに落ちてゆくとき。

 わたしは確かに、陽の光の中にいた。








End. 

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