夢 | ナノ
世界の為の佐野万次郎



――2018年3月16日 日本 横浜


 天竺の面々に見守られる中、直人の手を握る。瞬きの後、武道が居たのは薄暗い室内だった。
 今、自分は立っている。着ているのは着心地の良いスーツ。手に持つのは――シャンパングラス? 戦時下の兵士ではなく、砂塵にまみれたレジスタンスの構成員でもない。その事をひとまず確認して、武道はほっと胸を撫でおろした。
 キョロキョロと周囲を見回し、なるべく多くの情報を収集する。照明の落されたそこは広く、多くの人がひしめいていた。目に入る人全員正装に身を包んでいて――パーティー会場、だろうか。知っている顔はどこにも無い。状況が掴めないでいると、パッと会場の一角にスポットライトが当たりマイクの前に立つ男の姿が浮き上がる。

『この度は天竺グループ創立10周年記念パーティーにお集まりいただき――』
「天竺、グループ?」
「武道さん、どうかされましたか?」
「え、あ、いや……」

 司会の言葉に首を傾げていると全く知らない男に親し気に話しかけられ、武道は狼狽えた。にこにこと愛想よく笑みを浮かべる男に何でもない、と一度断って尋ねる。

「稀咲は?」
「ああ。ええと、稀咲さんなら、」
「武道。戻って来たか」
「稀咲!」

 見覚えのある顔にやっと出会い、武道はそちらへ駆け寄った。稀咲は武道の様子にひとつ頷き、傍に立つ男に離席を促す。

「御苦労。すまないが少し席を外してくれないか」
「しかし、自分は武道さんの――」
「パーティーの場ぐらいは休んでおけ。どうせ明日以降忙しくなる」

 稀咲の言葉に男は渋々といった様子で二人から離れて行く。男の素性を尋ねると、武道の側近であるらしい。少し真面目すぎるきらいがあるが優秀だと語る稀咲の言葉に、これからやっていけるかなと武道は弱音をこぼす。

「慣れるさ。仲良くなる時間はたっぷりある」
「って事は、この未来は」

 武道の言葉の途中で稀咲は口元に笑みを浮かべ、いつの間にか明かりの点いていた壇上を指さした。
 不機嫌そうに顔をしかめているイザナに親し気に話しかけるスーツ姿の男。牢屋越しに見た時や画面越しに見た時とは髪形や服装が違っているが、あの顔は間違いない。

「イザナ君、マイキー君……!」
『続きましてご来賓の皆様よりご祝辞をいただきたいと存じます。先ずは国際連合安全保安局長付事務次官、佐野万次郎様より――…』
「え、国際、連合……?」

 思わず司会を見た後、席を立ち壇上を歩く万次郎に視線を移す。
 演壇の前に立つと、彼は会場の端から端までをゆったりと見渡す。その漆黒の瞳と目が合った気がして、武道はごくりと喉を鳴らした。それは他の人々も同じだったようで、気圧されたように皆が口を噤んで、微かにざわめいていた場内にしんと静寂が落ちる。

『本日はこのような目出度き場にお招き頂き――…』

 壇上の佐野万次郎が粛々と祝辞を述べる中、稀咲が潜めた声でこの未来について語る。
 曰く。関東事変と名付けられたあの抗争の後、東京卍會は解散。隊員の大半が不良から足を洗い一部は天竺へと入った。例の如く佐野万次郎はアメリカへと留学し、しかし革命軍を作ることなく飛び級を繰り返し無事卒業。どういうわけか今までのリープでことごとく敵対したはずの国際連合に入り、類稀な功績を上げているらしい。

「世界征服を成し遂げるまでの力を、平和維持に注ぎ込めばどうなるか。……英雄様の誕生だ」

 皮肉気に笑い、稀咲は万次郎の功績を語る。中東で起こっていた――毎度彼が悪化させていた――紛争を収めた事に始まり、世界各地で頻発していたありとあらゆる紛争の調停を成功させ、地球上から戦場は消えた。どんな手を使ったかは分からないが、敵対していたはずの超大国同士は彼の仲介で今、蜜月と評されるほど円満な関係を築き上げているらしい。世界中の国々が核を放棄する日も近いという。

「はは……マイキ―君は、やっぱりすごい人だ」
「お前が変えたんだ、武道。史上最悪のテロリストを、世界の英雄に」

 祝辞を終え、壇上から降りた万次郎は自身を取り囲む人々を無視して真っ直ぐに武道の方に歩き出す。そして目の前で立ち止まると、あの頃のような無邪気な笑みを浮かべた。

「幸福な今、だろう? ……タケミっち」
「――はいっ!」

 その言葉に武道は間髪入れず頷いた。間違いない、今までで――…最高の現在だ。


§





 華やかなパーティー会場を用事があるからと退席する。先ほど会話した花垣やイザナ、天竺の面々の顔を思い返し自然と笑みが零れた。いい現在だ、とても。

 会場の車寄せに待機させていた車に乗り込み、発進させる。滑らかに走り出した車は高速へ入り、都心に取ったホテルへと走り出す。スピーカーから流れるテレビの音声は、芸能人の浮気やスポーツ選手の政界進出などという平和な話題で溢れていた。
 スーツの胸元からスマートフォンを取り出し、SNSを開いてエマから来ていた連絡を確認する。パーティー中に届いていた文面を見て、運転席でハンドルを握る春千夜に問いかけた。

「――明日の予定は?」
「正午に官邸での昼食会が。午後1時から環境大臣との会合、3時から企業連合との会議、5時からテレビ局にて2時間ほど取材予定です」
「昼の予定を夕食時に変更。明日午前中はエマの家に行く」
「調整しておきます」
「ウン、お願い」

 明日は朝から昼食まで邪魔をすると返事を送る。
 送信後、すぐに既読が付いてかわいらしいクマのスタンプと共に幼い子供達の寝顔が返って来た。ケンチンとエマ、どちらの面影も色濃いその寝顔にくすりと笑って画面を落とす。
 ぼんやりと過ぎ去っていく街の明かりを眺めていると、パーティー中春千夜に預けていた仕事用のスマートフォンが鳴る。バックミラー越しに伺うように視線を投げられ、無言で手を差し出した。相手は時差を考える暇がないほど切羽詰まっているのだろう。受け取り画面を見てみると、アフリカ大陸にある小国の大統領からだった。

「こんばんは、大統領」

 今年就任35年を迎える御老公は、やけに腰低く俺の気分を伺った。どうしたのか尋ねると、訥々と御託を並べ始める。要領を得ないその内容をまとめると、今度の選挙戦の為資金援助が欲しいらしい。

「例の法案を国会で通していただけるのであれば、快く力を貸しますよ。資金でも、政策でも、――政権運営でも」

 本来、特定の国家に関わりすぎる事は立場上タブー。だが俺は、世界が望む使命のため罪を犯さずには生きられない。そう作られたイキモノだと、うんざりするほど分かっていた。
 All for better than good future(全てはより良い未来の為に)。真綿で首を絞めるように、ゆっくりと。国連はもはや傀儡と成り果て、俺の下した判断に異を唱えるものは誰もいない。根回しはとっくの昔に済んでいる。まずは一手目、この世は相手の存在しない詰め将棋。それでも慎重に駒を進めていく。

「発展途上国の子どもたちにも、きちんとした高等教育が行き渡るよう。……夫婦1組につき子供は1人。その条件を呑んでいただければ、いくらでも」

 就任年月だけは長い御老公は周辺国に顔が効く。近年留まることを知らず目覚ましい成長をし続ける国を手本とした施策は、すぐに発展途上国に広まる。……俺が、広める。
 そうして施策が十分に広まったら、教育課程の煩雑化と少子化を理由に教育費を少しずつ上げよう。そうする事で、若者は子どもを産むのをいっそう控えるようになる。発展途上国の人口転換を早め、出生率を先進国と同等かそれ以下まで落とし込む。教育内容に少しずつ介入してまずは子どもたちの死生観から刷新し、安楽死を全ての国で出来るよう法整備して、いずれ将来的には――…。
 人を減らすための構想は頭の中にいくらでも溢れ出る。こうしてどんどん、俺は罪を重ねていく。

「――ええ、それでは。くれぐれも、この事はご内密に」

 追加で出した環境保全や大気汚染についての条件も全て呑んだ大統領に多額の資金援助を確約し、通話を終える。画面の消えたスマートフォンを隣の席に放り投げ、どの世界線でもついてくる腹心の名前を呼んだ。

「花垣武道の監視を続けろ。特に黒川イザナ、橘直人との会話は必ず記録して報告を上げるように」

 天竺には元東卍陸番隊所属の隊員を数十人就職させている。その中には花垣の側近の地位を勝ち取った奴もいた。東卍の――中学の頃に叩き込んだ狂信は、今なお変わらない。俺が命じれば笑顔で死に、一緒に地獄に落ちる事を微塵たりともためらわない。そういう連中だ。
 俺が重ねていく罪は花垣に、イザナに、天竺に気付かれないよう細心の注意を払わなければ。愚昧な政治家どもが揃いも揃って後先を考えない愚かな政権運営を行い、その結果起きた惨事だと誤認させなければいけない。だが、もし。もし、背後に俺がいる事を悟ったなら。俺の存在を認識し、そして。

「万が一、手を握り合うような素振りを見せたら――…」

 目を伏せ今までの記憶を思い返す。仲間達の変わり果てた姿、炎に包まれる街、閃光に包まれ廃墟と化す都市、戦場と化した市街地。脳裏に焼き付いたあの光景は、この世界線で絶対に実現しない。俺が自身の全てを使って世界の平和を維持するのだから。この世界線では俺の東京卍會も、花垣の周囲もあたたかな平穏に包まれ続ける。
 幸せだ。これ以上ないほど幸福な今だ。決して、過去に戻ってやり直そうなどと思わない。

 なぁ、そうだろう? ……タケミっち。

「花垣武道、黒川イザナ、橘直人。……即座に全員殺せ」

 了承の返事を聞きながら、そっと胸の古傷に手を当てる。この胸の奥にいつも渦巻いていた衝動は、12年前俺がこの選択を取ろうと決断したその瞬間から収束している。
 ならば、これが。この選択こそが正しい。正しい筈だ。何故なら、

 何故なら俺は。

 ―――佐野万次郎は、この星(世界)を救う為に存在しているのだから。



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