「ねぇ、ちょっとこっち来てー」

それはやわらかい陽の光が窓辺に差す昼過ぎのこと。のんびりと庭に咲く色とりどりの花と、一際目立つ立派な桜の木を見つめていた少女は、母の声でゆるりとしたまどろみから引き上げられた。まだ少しばかり重たい目をこすりながらキッチンに立っている母の元へと向かうと、母が赤い格子柄の風呂敷を手にして待っていた。

「ちょっとお使い、行ってきてもらっても大丈夫?おばあちゃんへ、いつもの特性おにぎりよ。」
「おばあちゃんちね!わかった!」
「ふふっ…もう一人でお使いもだいぶ慣れたわね。」

少しばかりからかうような母の声にも元気に頷いた少女は、母から風呂敷を受け取ると、元気に玄関へと駆けて行く。その様子を微笑ましく眺めていた母親は少女が出て行ったのを見送ると、まるで誘われるように庭の立派な桜の木へと視線を移した。

「今年もまた、桜の時期がやってきたわね。」

***

少女の祖母の家は、少女が生まれた木の葉隠れの里の外れにある。一度母が今家族が住んでいる家に一緒に住もうと誘ったらしいが、祖母は頑なに首を縦には振らなかったようだ。祖母が住んでいるのは、祖母が若い頃から住んでいた場所にある小さな一軒家。昔はアパートだったらしいが、今ではこんな外れに住む人もいない為、一軒家に改装したようだった。
祖母の家の目印は、この木の葉の里で一番美しいと言っても過言ではない…立派な桜の木だ。少女の家にも母が植えた桜の木があるが、祖母の桜は幹が太く、立派な枝から溢れ落ちそうなほどの薄桃色の花が咲き乱れている。そんな美しい桜に見とれながら玄関の扉を叩こうとした少女だったが、ふと。縁側に座る祖母の姿を見つけ、真っ直ぐに駆けて行く。

「おばあちゃん!おにぎり持ってきたよ!」

祖母はいつものように、少女も血を受け継いでいる一族の象徴とされている水色の着物を纏い、白髪混じりでも美しい透き通るような髪を一つにまとめて、縁側に座っていた。いつもと異なるのは、かつて誰よりも優秀な忍だったという祖母は少女が近づくとすぐに気配に気がつくのに、今日は俯いたまま顔を上げないということ。

「ねえねえ、なまえおばあちゃん?どうしたの?」

不思議に思った少女が祖母の顔を覗き込むと、祖母は透き通るような睫毛に覆われた目蓋をそっと閉じて、けれど口元はゆるりと優しく弧を描いたまま眠っていた。その表情はまるで、とても優しい夢を見ているようだった。
その表情を見た少女は幼いなりに気をきかせて、祖母の傍に風呂敷を置いて再び小さく声をかけた。

「おにぎり、ここに置いておくね。起きたら食べてね。」

祖母の顔を見つめながら優しく囁いた少女が折っていた小さな膝を伸ばして立ち上がると、ふいにあたたかい風が吹き抜けて、背後の桜の木から薄桃色の花びらが舞い上がった。そして花びらと共に、ふわりと一枚の古ぼけた写真が少女の前に落ちてくる。不思議そうに首を傾げながら少女が覗き込む写真には、懐かしい面影を感じさせる二人の男女が写っていた。一人は母によく似た、透き通るような色の長い髪に深い色の瞳を輝かせた美しい女性。そしてもう一人は。長い黒髪に、同じ色の瞳。一見冷たく見える端正な顔立ちは、口元に浮かべられた笑みで彼がとても優しいひとだということを知らしめている。

「なんだかふたりとも…すっごく幸せそう。」

写真を見つめながら嘘偽りのない感想を漏らした少女は、写真を大切に抱きしめながら再び駆けて行く。少女の姿がすっかり見えなくなってしまった頃。再び吹いた春風に耐えきれなくなった縁側に座る薄い体がぐらりと傾いた。しかし、その体は地面に叩きつけられることなく、まるで春風に抱かれるように縁側に横たわる。

「…おかえり、なまえ。」


かげろうに還る

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