「イ・ヤ・ですー!!」

信乃が言った拒否の言葉に、信乃に誘いの言葉をかけた毛野さんは何で!?と驚いたように信乃を見つめる。そんな毛野さんに信乃はふんと顔を背けるけれど、彼には全く効果がないようだ。
こうなったのはわたしと信乃が逃げていた庭に荘介がわたし達の様子を見に訪れて、そんな荘介に着いてきた毛野さんが信乃が見た幽霊を見に女学校へ行こうと言い始めたのが原因である。先程までわたしと信乃と一緒に庭にいた毛野さんのストッパー役の九重さんは、お茶を淹れるために席を立っているため今ここにはいない…つまり、毛野さんを止められる人はここにはいない、訳で。

「面白そうな話だろうが!!ヌイグルミの幽霊なんてさ!!」
「だからって何で俺!?」
「信乃だけを誘ってるんじゃないぞ?今回はなまえもだ。」
「わ、わたしも!?」

まさか、わたしまで誘われるとは思っていなかったので、自分が思っていたよりも大きな声が出る…よ、夜の学校にわざわざ幽霊に会いに行くなんて嫌、だなあ。思わずごくりと唾を飲み込むと、そんなわたしに気がついたのか、毛野さんは面白そうに目を細めた。

「なまえと行ったら、面白いモンが見れそうだからな。」
「お、面白い…?」
「散々叫びまくって顔面から転けるとか…すげえ想像つくんだけど。」
「顔面から転ける……う…」

…なんだかわたしも自分が顔面から転んでいる姿が想像ついてしまった。
返す言葉が見つからないわたしに、今度は信乃が口を開く。

「俺もなまえも絶対行かねえからな!そんなん興味あるならテメエ一人で行きやがれ!!」
「あーそんなこと言っていいのかなー?
そんな不気味なトコにお前らの大事な幼なじみがいるんだろ?不安だろーなー。入ったばっかで友達もなく一人っきり。
そこへ妙なバケモンに取り入られたりしちゃったら…」
「浜路…」

毛野さんの言葉に、毛野さんから顔を背けていたわたし達は思わずぴくり、と反応してしまう。友達もなく一人きりとか、化け物に取り入られるとか、あの浜路に限って絶対ないとは思うけれど、やっぱり可愛い妹のことは心配、である。
毛野さんは反応を示したわたし達に向かって、確かめたくなってきただろう…?と顔を近づけながらそんな言葉を囁く。いつの間にか逃げ道は塞がれていた。思わず顔を見合わせたわたしと信乃。こういう時にわたし達が頼るのは、やっぱり。

「荘介っ!!」

わたし達二人のヘルプを受けた荘介ははぁ、と気が抜けた様子で答えると、なにかを考え込むように腕を組む。

「信乃が危険なら村雨が現れる筈なのに昨日はそうじゃなかったし…別に危ないモノじゃないとは思うんですが。」
「幽霊って危なくないの…?」
「いや、全部が危なくないわけじゃないですけど…かと言って浜路のことは気になりますしね。」

荘介の言葉に毛野さんはじゃ決定、と語尾にハートが着きそうな笑顔で言った。そんな毛野さんとは反対に、わたしと信乃の顔はどんどん青くなる。

「は、浜路の……ため…」
「そうそう大事な幼なじみのためだぞ?」

ごくり。思わずまた唾を飲んでしまった。荘介になまえは待ってますか、と苦笑いで尋ねられたけれど、ぶんぶんと横に首を振った…そう、可愛い可愛い浜路のため、だもん。こういう時こそ姉のわたしが頑張らなくてどうするの。

「なまえも信乃も、面白い反応期待してるからな!」

にやりと笑ってそんなことを言った毛野さんについさっき決意した気持ちが少しだけ揺れた……わたし、本当に大丈夫、かな。


毛野さん、信乃と荘介、そしてわたしの四人は、毛野さんの希望どおり生徒もすっかり寝静まった夜の学校に訪れていた。静かすぎて生温い風がさらさらと草木を揺らす小さな音や、鈴虫の鳴く声もしっかりとわたし達の耳に入ってくる。
大きくて立派な女学校。昼間に来たら見とれてしまいそうだけれど、今は夜なので大きな建物は不気味さを醸し出している。
ノリノリの毛野さんに対し、信乃とわたしはいつ帰れるのかと四白の姿の荘介にべったりとくっついていた。荘介は若干鬱陶しそうだけれど、とりあえず今は我慢してもらうしかない…だって、怖いんだもの。

「別に変わった所はないけどな。やたらと広くてデカイだけで。」
「…じゃ、もーいーじゃん。」
「もう少し面白いと思ったのになー」

周りを見回しながらはあ、と溜め息をついた毛野さん。一方信乃とわたしは思わず二人で安堵の溜め息をついてしまった。いくら信乃の言ううさぎのようなくまのような可愛らしい幽霊だからって…怖いものには会いたく、ない。
しょうがない、と言って学校に背を向けた毛野さんに続いてわたし達も帰ろうとすると、チリンという可愛らしい鈴の音とともに周りが紫色に変わった。突然の出来事にわたし達は周りを見回す。

半分こ 半分こ
おまえとあいつで 半分こ
小さな 体を 半分 こ
仲よく 仲よく 半分ずーつ

聞こえて来るのは可愛らしい鈴の音と不思議な歌。チリンチリン、という音は少しずつこちらへと向かって来て、わたし達の前にゆらりと大きな影が伸びる。暗闇の中で不気味に光る目…まさか、本当に幽霊が出るなんて。
ぱちり。ふと、幽霊と目が合ってしまい、わたしは恐ろしさから四白の毛に顔を埋めながらぎゅっと堅く目を瞑った。

「……えー…と。ウサギ?クマ?」

長い静寂の後、聞こえてきた毛野さんの声に、わたしは瞑っていた目を開けてゆっくりと前を向く。その先にいたのは正に信乃が書いた絵にそっくりな、うさぎのようなくまのような……ぬいぐる、み?

「残念。うさくま、でーす。」
「うさ、くま…?」
「喋ったよ!!」

信乃は肩をびくつかせながらうさくま、に向かって指をさす。わたしはと言うと、思っていた幽霊とは全く違う姿にその"うさくま"をぽかんと見つめることしかできない…まさか幽霊、の正体が本当にこんな可愛らしい姿のぬいぐるみ?だなんて。

「つーか、うさくまってナニ!?」
「あー信乃の絵にそっくりですね。」
「ほんと…そっくり……」

まるで信乃が書いた絵から出てきたみたい、だ。幽霊の正体がうさくまだったことにほっとするわたし達に対し、本当の幽霊を見たがっていた毛野さんはなんだか微妙な顔をしている。

「…いや、まあ、何だ。面白いつっちゃ面白いけど。何かこー…」

アナタのなかに かのじょが ひとつ
コト コト 動く だいじな かのじょ

チリン。鈴の音とともに再び始まった歌に、わたし達は目の前のうさくまを見つめた。この、歌…よく聞くとなんだかひとつひとつの言葉が意味を持っているように聞こえる、ような。

たりないアナタに かのじょがくれた
そして かのじょは 
戻れない

うさくまの歌が終わった瞬間、毛野さんは足下にいた信乃の頭をごち、とグーで殴った。当たり前だけれど、そんなことをされると思っていなかった信乃は殴られた頭を押さえながら毛野さんに怒鳴りつける。

「何すんだよ!?」
「いや、何かアイツ無茶苦茶ハラ立つなと思って…」
「知るか!!」

そんなやり取りを見てから、わたしは毛野さんが腹が立つ、といううさくまをもう一度見つめた…一見普通のぬいぐるみなんだけど、なあ。わたしが首を傾げているとうさくまもそれを真似るように首を傾げた。それとともにまたチリン、と鈴の音が鳴る。

ちりん ちりん おまえの髪には
彼女の想いが こめられた
けれど 彼女はわすれられた まま
おまえも彼女を わすれた まま

彼女は ひとり 消えてゆく

透明感のある美しい声で、先程と同じように歌われた歌。けれどその歌はわたしに、なんとも言えない気持ちを与えた。
歌の中に出てきた"彼女"
どうして忘れられたまま、一人で消えてしまうん、だろう…なんとなく、信乃を殴った毛野さんの気持ちがわかったような気がした。
もどかしい気持ちと、不快感。

「なんか…変な、感じ…」
「ホントな。何でこんな意味不明な奴のために俺が頭を殴られなきゃいけないんだ。」

うさくまを見た後、ちらりと毛野さんを横目で見た信乃…殴られたこと、やっぱりちょっと根に持ってるのね。そんな信乃に毛野さんが言葉を返そうと口を開いた時、ふとうさくまが鞄からごそごそとなにやらノートのようなものを取り出し、読み始めた。

「規則 第三条:二項、外部の者は許可なく敷地内に立ち入ってはならない。四項、異性の立ち入りは親族であっても堅く禁ずる。規則 第四条:一項、就寝時間は夜十時、以降の時間は外出禁止。むろん自室から出ることも許されない。
規則第十条:五項、ペットの飼育、持ち込みは禁止。」
「ペット…」
「以上の規則違反から罰則を与える。」

可愛らしい声で難しいことをぺらぺらと話したうさくまは、そう言って手を上に上げた。それとともにチリン、とまた鈴の音が鳴り響く。
その瞬間、わたし達の間にピシャ、ドン、とそれはそれは大きな音を立てて雷が落下した。雷が落ちた後の地面は黒く焼け焦げている…もし、当たっていたら今頃とんでもないことになっていたかも、しれない。肝試しに来て丸焦げとか笑えない、よね。

「な…何すんだっ、テメー!!」
「まぁまぁ信乃。とりあえず相手の言うことはもっともですし、ここは一応こちらが謝るべきですよ。」
「そうかも、ね。また雷落とされたら怖い、し…」
「はい。万が一当たってしまったら、一瞬で丸焦げですからね。」

眉間に皺を寄せながらうさくまを見る信乃に言うと、信乃は不服そうにはあ!?と声を洩らす。そんな信乃に荘介とわたしで顔を見合わせていると、ついさっきまで一番楽しんでいた毛野さんがはあ、と深い溜め息をついて、うさくまに背を向けた。

「なんっかバカバカしくなってきたな、帰るか。」
「毛野!!テメエ…っ!」

そんな毛野さんに信乃が大体はテメエが言い出したんだから責任をとれ、なんてことを言い出し、それに毛野さんが幼なじみは心配じゃないのか、と言いかえす。すっかり火花が散ってしまった二人は、ぎゃあぎゃあと言い争いを始めた…ここ、夜中の学校なんだけど、なあ。けれどわたしには止められる自信はとてもないので、苦笑いで見ていることしかできない。荘介が二人を止めようと声をかけたけれど、やっぱり二人には全く聞こえていないようだ。

「しょうがない人達ですねぇ…」
「う、うん…なんだかんだであの二人、似た者同士だから、ああなったらお互い一歩も引かなくなる、よね。」
「そうですね。全く…」

言い争いをする二人見て溜め息をついた荘介は、すっかり忘れられているうさくまに向き直るとぺこり、と小さくお辞儀をする。

「すみません、何かいろいろ誤解だったようで。ご迷惑おかけしました。」

そう言って謝罪をする荘介にわたしも隣で小さく頭を下げた。
多分…うさくまは幽霊、などではなくて、ここを守る"番人"のような役割をしているのだと思う。元々無断でここに立ち入ったわたし達が悪いので、うさくまは悪くない、のだ……たとえ罰則として丸焦げにされたとして、も。

「ここは別に浜路にとって危険な所ではないようですし、どうやら俺達の取り越し苦労だったようです。」

そんな荘介にうさくまは再びこてんと首を傾げた…そしてまた、チリンと鈴の音が鳴る。

半分 半分
おまえは半分
犬とおまえで ひとつずつ
けれどおまえは 半分だけ
おまえの魂 半分 だけ

もう半分は どこいった?

ゆらり。紫色の空間の中で、まるで鏡のように荘介と四白の姿の荘介が並ぶ…失礼だけれどもやっぱり、うさくまの歌、なんだか変な感じ。
歌に出てきた"はんぶん"って…?
歌を歌い終わったうさくまはまたチリンと鈴の音を響かせると、わたし達に背を向けて暗闇へと消えて行った。そんなうさくまの姿に荘介とわたしは顔を見合わせる。

「行っちゃっ、た?」
「俺達にはさっき罰則を与えたからもういいんでしょうか…」
「う、うーん、どうなんだろう…でも、うさくまも帰っちゃった、し。わたし達も帰る?」

背後を振り返ると、わたし達がいる場所の少し先のところで未だ言い争いをしている信乃と毛野さんの姿が見えた…あんな言い争いをずっと続けていたら、それこそここに入ったことがここの生徒にバレてしまうかもしれない、し。

「そうしましょう。もうとっくに寝る時間ですし…なまえもそろそろ眠そうですもんね。」
「う…でも今日はだいじょ…ふあ……」

言い返そうとした所でわたしの口から丁度出てきた大きな欠伸。そんなわたしに、荘介はわかりきっていたように笑う。もう…荘介ったら。

「ほら、帰りますよなまえ。信乃と毛野さんの言い争いもなんとかしないと。」
「う、うん…」

荘介の言葉に再び信乃と毛野さんの姿を見ると、なんだかとても止みそうにない言い争いに出そうになっていた欠伸も引っ込んだ…今晩は二人の言い争いの声であんまり眠れなそう、だなあ。
先を歩く荘介に続いて、わたしも夜の学校に背を向けたのだった。

***

翌朝。昨晩のせいでまた寝不足の目を擦りながら、庭で信乃と荘介、毛野さんと一緒に九重さんに昨晩の出来事を話すと、彼女は薄く笑みを浮かべながら"うさくま"の正体について教えてくれた。

「鏡なのよ。」
「かが、み…?」
「そう。そしてあれ、はあの場所の番人で、あの姿は誰かの願いを写しとっただけ。形をとったのは想いの強さ。
信乃、あなたは何かを願わなかった?」

信乃に向かってそう尋ねた九重さん。尋ねられた信乃はというと、俺?と首を傾げながら考え込む。

「…いや、特には。ただ、浜路にはやく友達ができればいーなとか思ったくらいで。」
「寂しがり屋の彼女が寂しくないように?」
「うん。」

浜路、彼女はああ見えてわたしと同じくらい寂しがり屋、だ…ふわふわの髪にひらひらのレース。ふと、浜路の姿と昨日散々わたし達を驚かせたうさくまの姿がぴったりと重なる……あ、れ?
考え込むわたしと、きょとんとしている信乃の隣でふいに荘介がふっと吹き出した。突然のことにわたし達の視線は彼へと移る。

「?何だよ?荘介。」
「どうかした?」
「い…いえ。よく考えたらあのヌイグルミ、浜路によく似てたと思って…」

くす、と笑いながらそう言った荘介に信乃はハア?と顔をしかめたけれど、わたしは自分と同じことを考えていた荘介に、ぶんぶんと首を縦に振った。

「わ、わたしも今、同じこと考えてた…!」
「なまえもかよ?…でも、確かに言われてみれば……」

一見ウサギのような可愛らしい外見で、実は中身は凶暴なクマ。
ふさふさひらひら、レースのうさくま。
考えれば考えるほど似ている点があって、たから怒った時はあんなに怖かったんだと妙に納得してしまった。信乃もどうりで恐ろしかったはず、と青ざめた顔をしている…こんなこと考えていると浜路に知られたら、怒られそう、だけれども。

「じゃ…じゃあナニ!?あれは俺の浜路のイメージってコト!?」
「そ、そうなるの…かな。」
「今の話、浜路には内緒ですね。カワイイからいいと思うんですけど。」

荘介の言葉に信乃とわたしはうんうんと頷く…中身は凶暴なクマ、なんて、知られたら不味いものね。

「とりあえず、あそこには手強い番人もいることだし、週末にでも浜路に会いに行きますか?今度はちゃんと浜路に外出許可をとってもらいましょう。」
「う、うん…もう肝試しはこりごり、です……」
「そうですね…じゃあ、週末は浜路と一緒にお茶でもしましょうか。またお菓子でも作って。」
「お菓子…!」

週末の予定を立てるわたしと荘介に対し、信乃はうさくまか、と昨日の出来事のことをブツブツと呟いている…信乃、浜路には頭が上がらないんだから。

いつでも ずっと 君の傍に。

チリン。可愛らしい鈴の音とともに、どこからかそんな声が聞こえた気がした。


落花にそっとくちづけて
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