「…いたっ。」

いつもとは違い、閉ざされた牢の中で眠っていたわたし…だったけれど、なにか堅いものが頭に落ちてきて目が覚めた。周りは暗く隣にいる信乃と荘介もまだ眠っている。それにしてもなにが落ちてきたんだろう。片手で床を触ってみると、そこにあったのは小さな丸い石。

「石…」

この小さい石でぱっと思いついたのは、ほまちの山で失くしてまった荘介の青い玉。荘介は探さなくてもいい、なんて言っていたけれど…大切なもの、なのに。きっと信乃も、わたしと同じ意見だと思う。どこからか落ちてきた小さな丸い石。荘介の玉もこうやって見つかったら、いいのに。
そんなことを考えながら牢にある窓を見つめていると、ふと窓に見たことのある数匹の小鳥が止まっていることに気がついた…ほまちの山で道案内してくれた小鳥達、だ。

「…どうしたの?」

とりあえず皆が起きないように小鳥達に向かって声をかけてみると、小鳥達は小さく鳴き声をあげながら、わたしに向かって小さいなにかを落とした。次は頭に当たらず、ちょうどわたしの手のひらに落ちる。小鳥達が落とした小さいなにか、を確認してみると、それは先程落ちてきた小さな石と同じような石だった。こちらの石は色が少し青っぽく、荘介が持っていた玉の色に似ている。

「…もしかして、荘介の玉を探してくれてるの?」

わたしが問いかけると、小鳥達は肯定するように再び鳴き声をあげながら今度はわたしの肩に止まった。頬にすり寄ってくる小鳥達はとても可愛らしい。まさか小鳥達が玉を探してくれるなんて思っていなかった。でも、探してくれるのならとてもありがたい。

「ありがとう。」

わたしがそう言うと、小鳥達はわたしの肩から飛び立ち、窓の外へと消えていった。わたしの肩には、まだじんわりと小さな温もりが残っている…もし、わたしが"銀色の髪"を持っていなかったら、こうやって動物達が助けてくれることはないんだろう、なあ。ふとそんなことが頭をよぎる。今更こんなことを考えたってしかたがないのだけれども。
なぜ、わたしの髪は人成らざるものを惹きつける力を持っているのだろう。

***

「ギャアアアアアアッ!!」
「…ん。」
 
すぐ傍で聞こえた凄まじい叫び声とともになにかに腕を力強く引かれて、わたしは目が覚めた。寝起きの頭で隣を確認するとわたしの手を掴み、ある一点を見つめながら荘介の後ろに隠れている信乃の姿。どうやらわたし以外の人達は皆もう起きているようだ…わたし、昨日は遅くに一度目が覚めちゃったからなあ。一足先に起きていた一同も信乃と同じようにある一点を見つめている…どうしたん、だろう。

「なにかあったの…?」
「あ、なまえ。おはようございます。」
「おはよう、ございます…?」
「おい!呑気に挨拶してる場合じゃねぇだろうが!!」
「ん…?」

爽やかな荘介に対し青白い顔で叫ぶ信乃…なにかあるのかな。わたしも信乃が見つめている方向を確認すると、そこには触覚を揺らしながら蠢く虫、が。

「ゴキ…」
「ぎゃーっ!その名を言うな!!つか、何でこんなモンがここにいるんだー!?」
「この時期はどこにだっているよなァ。」

小文吾さんはそんなことをこぼしながらその虫、を見つめる…そういえば、信乃ってこういうの駄目、なんだっけ。びくびくと震えている信乃に現八さんは呆れたような視線を送った。

「……意外だな。化物の類は平気なくせに。」
「妙に潔癖症なところがあって…箱入りで育ったからですかね。」
「なまえは大丈夫そうだな。虫平気なのか?」
「ん…はい。虫は別に、好きなわけではないですけど。」
「あんなのが好きだったら怖いわ!荘!!降ろすなよ!?」

まだ少し眠たい目をこすりながら、荘介によじ登る信乃を見つめる…必死でなんだか可愛いなあ。わたしがこんなことを思っている時は大抵信乃に気づかれてど突かれるけれど、今の信乃は自分のことで精一杯のようだ。
それにしてもあんな虫が出るなんて、ここの牢はあまり綺麗な場所ではないのかもしれない。牢なんて滅多に使わないのだろうけれども。

「……クソ!!こんなトコで一晩過ごしちまったなんて……っ!!」
「すぐ出られますよ。」
「こんなところで悪かったな。」

牢について話していた二人の会話に入ったのは、わたし達を閉じ込めている張本人である斎木さん。彼女はわたし達の前にあるものを見せながら口を開く。

「検査結果に異常は見られなかった。お前ら、ここを出ていいぞ。」

ちゃりん、わたし達の前に見せられたのはこの牢のものであろう鍵。待ち望んでいた言葉に、まず信乃がはやくはやく!と声をあげる。そんな信乃を戒めるように、斎木さんは但し、と言葉を続けた。

「お前達なまだ不確定性要素がありすぎる。教会の部屋を貸してやる。しばらくそこで大人しくしておけ。村をウロついたりするなよ。」
「何だ?ソレ。体のいい監禁じゃんか。」 
「お前らは例の五人の死に様を見ていないからそう言えるんだ。皆恐ろしがってるよ。あれが自分の身に起こったらと思うと……とっとと殺されないだけありがたいと思え!」

信乃は不平をこぼしていたけれど、やっぱり森に入ったわたし達がこうなってしまうのはしょうがないのだろう。森から降りてきた所を数人の村の人達にばっちり見られている、し。それにしても、生きながら腐っていく病気、なんて…村の人達があの"奇病"を恐ろしがる気持ちはわたしにもわかる。

「あっかねちゃーん!」

明るい声とともに少しばかり重たい空気が漂っていたわたし達の前に現れたのは、"後方のラブテロリスト"こと、桜庭さん。彼のおかげで先程までの空気は一気にどこかへ消えてしまった…桜庭さん、今日も元気そう、だなあ。

「もう!何してんの?こんなトコで!お祭り始まっちゃってるわよ!四人とも異常はなかったんでしょう?」
「桜庭監察官…」 

さっきまでの勢いはどこへやら、桜庭さんが来たとたん一気にげっそりとしてしまった斎木さん。そんな斎木さんに対して桜庭さんは現八さんを視界に入れた瞬間、びしっと昨日のように立派な敬礼を見せた。そんな彼は次にまた女性らしくそうそうと思い出したように言って頬に手を当てると、楽しげに話し出した。

「ねえねえ!さっき楽師の女のコがすごくキレーだったのよ。」
「がく、し?」
「音楽を演奏する人達のことですよ。」

荘介の言葉でわたしの頭に浮かんだのは楽器を持って演奏をしている美人な女性達。きっと綺麗な演奏なんだろう…わたしも、見てみたかったな。
桜庭さんは、アタシも綺麗な衣装を着て踊りたいーと言いかけて、なにかに気づいたように斎木さんの方を向いた。

「茜ちゃんっ、危ないっ!!」
「…あ?」

その直後、桜庭さんは胸元から素早く拳銃を取り出すと、斎木さんの後ろの壁に向かって何発か発砲した。その顔はさっきまで楽師の話をしていた桜庭さんと同一人物、なんて思えない顔で…わたし達は黙って固まることしかできない。わたし達と同じく固まっている斎木さんの背後には、先程信乃が叫んでいた原因の虫の残骸が壁に張り付いている。

「まあ、危なかったわね!茜ちゃんっ!!それは乙女の天敵よっ!!」
「……人類の敵の貴様が言うな。」

…ごもっとも、である。そういえば桜庭さんって、小文吾さんと現八さんと同じように三年前の北部戦線に行ったんだから実力のある人、なんだものね…桜庭さん、怒らせないように気をつけなきゃ。

***

教会の部屋と言ってわたしが斎木さんに案内された場所は、変な雰囲気が出ている古い教会。小文吾さんはあからさまに何か出そう、とこぼしている。この教会はどうやら診察所も兼ねているらしいが、それにしても、なんだか本当になにかが出そうな教会だ。信乃も教会を見上げながらこれ大丈夫か、と呟く。

「…信乃、お化け、出たらどうしよっか。」
「ば、馬鹿!そんなこと言うなよ!」
「ふふっ、ごめん。」
「笑うな!」 

信乃は妖とかは全然大丈夫だけれど、幽霊とかは苦手、なんだよね。荘介はなんでも大丈夫そうだけど。そんなことを話していると、とっとと入れ!と斎木さんの声がかかる。

「とにかく、祭りが終わるまで大人しくしててな。後は外から招いた人間が帰るに乗じて村の外に出ればいい。」
「祭りの期間って?」
「今日から三日間、飲めや踊れの大騒ぎ。」

斎木さんはお祭りをやっているらしい方向を指でさしながら呆れ気味に答えた。この様子からすると斎木さんはお祭りには参加しないようだ。それにしても、この間の"奇病"の件があってお祭りも色々大変だろうなあ。
そんなことを考えていると、羽音をたてながら鴉がこちらに向かって飛んで来た。村雨、である。

「信乃ー」
「村雨?」

信乃の腕に止まった村雨。荘介は笑みを浮かべながらなにかを推測するように村雨を見た…そういえば村雨、昨日の夜は姿を見ていなかった、ような。

「一晩姿を見ないと思ったら…まさかまた玉探しなんかやっていたんじゃないでしょうね?」
「玉、探し…」
「ウン、ソー…」
「違うって!散歩だろ?村雨、な!」

口を滑らせそうになる村雨のくちばしを、信乃が片手でぎゅっと掴む。"玉探し"荘介の口から出た言葉に、わたしも思わずどきっとしてしまった…変なこと、言わないようにしないと。荘介はもちろん信乃にも色々言われそう、だし。
苦しそうに羽をばたばたと動かす村雨に、信乃はうるせーよ!!とさらに強く村雨を押さえる。大丈夫、かな…そんな信乃に溜め息を吐いた荘介は、膝を折って信乃と目を合わせた。

「…信乃、判っているとは思いますが、村雨を長時間側から離すのはよくありません。」

目を鋭くして話を続ける荘介。信乃にとって村雨は心臓にも等しいもの。つまりそれは村雨になにかあれば信乃の命にも関わるということ。信乃を見つめる荘介に対し信乃はふい、と荘介から視線を逸らす。

「信乃?」
「……判ったってば。」
「本当に?信…」
「しつこい!!」

大きな声を出して言い放った信乃は、背を向けて反対方向に歩き出す。

「信乃、どこへ!?」
「散歩!!半刻で戻る!」
「信乃、あの…」
「なまえも着いてくんな!行くぞ村雨。」
「あ…」

そのまま村雨を連れて走って行く信乃。わたしはかける言葉がすぐ出てこなくて、その場で信乃の後ろ姿を見つめるしかできなかった。一足先に教会に入っていた小文吾さんと現八さんも信乃の走り去る音でこちらを振り返る。

「あーあ、行っちゃった。」
「難しいな、あの年頃は。」

あの年頃、と言っても信乃の中身の年齢はわたしと同じ、なのだけれども。
荘介の信乃を心配する気持ちはわたしにもとてもよくわかるけれど、信乃言い分もよくわかる。わたしも、信乃と同じように荘介に内緒で玉探しをしている、し。着いてくるなとは言われたけれど、信乃は大丈夫だろうか…やっぱり様子を見に行こう、かな。
信乃に続いて来た道を引き返そうとしたわたしだったが、そんなわたしを荘介が腕を引いて引き留めた。

「なまえ、待ちなさい。」
「荘介…」
「なまえも、信乃と同じように玉探しをしているでしょう?」
「え…」

突然確信を突かれてわたしはつい動揺してしまった。そんなわたしを見て、荘介はやっぱり、と言って先程と同じように溜め息を吐く…まさかもうばれてしまう、なんて。なんだか悔しくって思わず荘介と目が合わないように俯く。なんだかさっきの信乃の気持ちがわかるなあ。

「信乃といいなまえといい…なんでこう無茶ばっかりするんですかね。」
「わたしは無茶じゃない、よ?」
「本当にそうですかね?昨晩は鳥達とこそこそと遅くまでなにかしていたようですが。」
「…もし、無茶だったとしても、大切な人の、荘介の大事なものを見つけるためだったらわたし、無茶してでもやる。」
「…またそんなこと言って。」

わたしの言葉に呆れたように笑った荘介は、俺のために無茶なんかしなくていいんですよ、なんて言って、俯くわたしの頭を撫でる…"またそんなこと言って"はこっちの台詞、だ。
荘介だって、信乃やわたしがピンチの時は無茶ばっかりするのに。この間の笙月院の事件の時だってそう。荘介はまるで当たり前とでも言うようにわたし達を守ってくれるのに、わたし達が守ろうとするとそれを払いのけてしまう…わたしだって、荘介が大切なのに。

「荘介はもっと自分を大事にしなきゃだめ。」
「それはどうでしょう。自分を大事にする前に危なっかしいのが二人もいるので。」
「……荘の馬鹿。」

そう小さく呟いて、わたしは荘介に背を向けて大股で歩き出す。荘介は後ろから迷子は勘弁してくださいよ、なんてわたしに声をかけてくる。荘介ったら、偶にはわたしの言うことを聞いてくれてもいいのに…出て行くついでに信乃のことも探しに行こう。
少し後ろを振り返ったらそこにはいつもどおり呆れ顔の荘介。その顔はわたしは荘介には勝てないということを示しているようで、わたしはただ歩く速度を早めることしかできなかった。

***

「信乃ー?」

信乃が走って行ったであろう道をただ真っ直ぐ進む。真っ直ぐ進んでいるだけだから迷うということはないだろうけれど、できれば複雑な道に入る前に信乃を見つけたい…信乃、まだ遠くへは行っていないとは思うけれど。
そんなことを考えながら進んでいると、木陰で見知らぬ美人さんに右手を取られている信乃を発見した。色素の薄い髪を持った和服の美人さんは信乃の右手、村雨が封じられている方の紋章が入った右手をまじまじと見つめている。

「商売柄、興味あるんだよ。こーゆーの。へぇ、変わった意匠だな。」
「ちょ…っ……!?」
「信乃…!」

わたしが声をかけたと同時に、紋章の目玉の部分がぎょろ、と浮き出た。信乃はそれを片手で叩き、あははと誤魔化すように笑いながらわたしの方を振り返る。

「なまえ、迎えに来たのか!」
「う、うん…」
「……今、何か……?」
「あはははははははっ、何か今日もいー天気だなっ。」

美人さん、を誤魔化すために笑みを浮かべている信乃だったけれども、彼はわたしに声をかけるなり着いてくんなって言っただろ、なんて眉間に皺を寄せながら言った…なんだかなあ。
しかし誤魔化すどころか、美人さんは再び興味深そうにこちらを見つめている…どうすれば、いいんだろう。迷っている間に美人さんは今度はわたしに声をかけてきた。

「お前は…その子供の知り合いか?」
「あ…はい。幼なじみなんです。」
「へえ…」

声をよく聞くと、女の人よりかは幾分か低い声。女性にも見えそうな美人さん、は男性だということがわかった。彼は先程信乃に向けて浮かべていた楽しげな笑みを今度はわたしに向け、話しを続ける。彼が興味深そうに見つめるのはもちろんわたしの"髪"だ。

「お前、珍しい色の髪をしているな。染めたものか?」
「いえ…生まれつき、です。」
「へえ。生まれつきで銀色、ねぇ。」

彼は顎に手を当てながらまじまじとわたしの髪を見つめている…そんなにじっくり見るものでもない、のだけれども。
先程彼にはこの髪は"生まれつき"と答えたけれど、実際わたしは大塚村に住む前の記憶がないので細かいことは曖昧である。この髪がどうしてこんな色でなぜ妖を惹きつけるのか、わたしにもさっぱりわからない。髪の生え際のところに髪を染めた跡がなかったので、多分染めた、ということはないと思うのだけれど。

「おーい、信乃ー!?なまえー!?どこだー!?」
「あ、ヤベ。」

大きな声でわたし達の名前を呼びながらこちらに向かって駆けてきたのは、小文吾さん。わたし達を迎えに来てくれたのだろう。

「半刻で戻るって言ってたんだっけ。」
「じゃあ、そろそろ戻ろっか。」
「ああ。」

こちらに駆けてくる小文吾に手を振って合図をしながら、頭の片隅で思い返すのは荘介と別れた時のこと。
つい勢いで馬鹿、なんて言ってしまったけど…なんだか戻りにくい、なあ。

「皆で教会の方にしばらくいるのか?」
「んーまぁな。一応祭りが終わるまでだけど。」
「そうか、ではまたな。信乃、なまえ。」

わたしと信乃の名前を呼んで、わたし達がいる教会とは反対の方向に駆けて行った彼。そういえば名前、聞くの忘れてしまった。彼と入れ替わりでわたし達に合流した小文吾さんはというと、彼の後ろ姿を見ながら、"美人のねーちゃん"と完全に勘違いをしている…確かに、とても綺麗な人だったけれども。なんだか彼、とは本当にまたどこかで会うような気がした。


わたしの目の前の机の上に並べられているのは、とても豪華な今日の夕食。
この夕食は、わたしが持って来た荷物の整理やらなにやらやっている間に小文吾さん、そして現八さんが手伝って作ったものらしい。この間小文吾さんの所でお世話になった時も豪華でおいしそうな食事が出てきたし…料理が得意なんて羨ましいなあ。

「あの…なにもお手伝いしなくってごめんなさい。片付けはわたしもお手伝いします、ね。」
「いや、それはいいんだけどよ…それよりなまえは荘介に謝ったのか?」
「そ、れは…えと…」

小文吾さんの言葉に、わたしは思わず言葉を詰まらせる。最初に馬鹿、なんて言ってしまったのはわたしだし、わたしから謝るべきなのはわかっているのだけれども……教会に戻ってからも荘介は教会の掃除でこの場にいなかったため、まあいいかとまだ謝っていないのだ。
いつも余裕のある荘介がなんだか悔しくって、ついあんなことを言ってしまったけれど、いつもいつも自分を二の次と考える荘介も少し悪いと思う、の。

「信乃も荘介に謝ってこいって。」
「だから、ヤだって。」

信乃はというと、小文吾さんの声がかかっても、新聞を片手にソファーに座ったまま動こうとしない。そんな信乃とうじうじとしているわたしに、今度は現八さんが呆れたように声をかけた。

「信乃もなまえも、そう言って可愛く拒否してられんのも今のうちだぞ?あいつが寛大に笑ってるうちに謝っとけ。あれは本気で怒るとしつこい性質だ。」
「う…」
「知ってるけど、俺が謝る理由が判らない。」

信乃はそう言っているけれど、現八さんの言葉も正しい…結局、どう考えても謝るべきなのはわたし。いつも、そう。わたしが荘に勝てたことなんて一度だってない。

「わ、たし…荘介に謝ってきます。」
「お、そうかそうか。信乃もなまえを見習ってそろそろ観念したらどうだ?あまり強気でいると、荘介に泣かされるぞ。俺は見てみたいけどな。」
「何だと!?」
「…兄貴、それセクハラ…」
「生憎俺はなまえみたいに馬鹿正直じゃないからな!」

そう言った信乃はふいとそっぽを向いてしまった…馬鹿正直、ってなんなの。頭の隅でそんなことを思ったけれど、今は言い返しても仕方ない。信乃はどうやらまだ謝る気になっていないみたいだし…
とりあえずわたしだけでも謝ってこよう。なんだか、複雑な気持ちだけれども。
思わず溜め息が出そうになるのを押さえながら、わたしは部屋を出た。

***

一人で荘介がいる教会の礼拝堂に向かっていると、どこかからか、がたんと大きな音が聞こえた。
なにかが落ちた音だろうと最初は気にしていなかったけれど、その音はなくなるどころかどんどん激しさを増していく。そして、その音が聞こえて来ているのは、荘介がいるという礼拝堂。
なにかあったのかも、しれない。そう考えたらいても立ってもいられなくて、わたしは礼拝堂まで全力疾走で駆けた。

「…!」

大きな音を立てながら礼拝堂の扉を開けると、そこには荘介と刀を持った昼間の綺麗な"彼"の姿。彼の一つに結ばれた髪がはらはらとわたしの視界に揺れる。

「なまえ!」
「へえ…お前の知り合いだったのか。」

そう言ってにやりと不敵に笑った彼は、わたしの方に気をとられている荘介に向かって持っていた刀を振り下ろす。その刀が向かう先は、荘介の"心臓"

「荘…!」
「駄目ですなまえ!!」

荘介に真っ直ぐ向かっていく刀。そんなものを見て荘介の制止の声など耳に入って来るわけもなく、わたしの足はただ真っ直ぐに荘介の方へ向かう。
荘介が死ぬ、なんて、そんなことは絶対にさせない。いつも自分が二の次の荘介。今も荘介の方へ駆けているわたしを止めようとしている…けれど、わたしも荘介と同じように、荘介を守りたい、の。
振り下ろされた刀は、荘介の前に立ったわたしに向かって落ちていく。刃はわたしの頬を滑り、さらに奥深くへと迫る。
迫る刃に思わずぎゅっと目をつぶった、そのとき。

ちりん。

この場に似合わない綺麗な鈴の音が響いた。その音、に、わたし達に刀を向けていた彼はなにかに弾かれるように後ろによろめく。よろめいた彼とわたし達は、彼とわたしの間に音を立てて落ちた"鈴"に目を奪われた。

「神楽…鈴?」
「これ、は…」

彼に神楽鈴、と呼ばれた鈴。わたしも実物を見るのは初めてだけれども、話は聞いたことがある。この鈴は巫女が神楽舞と呼ばれる舞を舞う時に持つ鈴、だ。刀を持っている彼はこんな鈴を持っている様子もなかったし、荘介のものでもないだろう…それなら一体どこ、から?

「は…"人ではないモノ"の仲間も、同じように"人でないモノ"ということか。」

彼はそう言うと、わたし達の間にある"鈴"を後ろへ蹴り、再びわたし達に刀を向けてきた。再び迫る刃に、荘介は前に立つわたしを突き飛ばす…わたし結局、なにもできてな、い。

「やめて…!」

わたしの声など届くはずもなく、刃は荘介の肩へと突き刺さる。
それと同時に、再び礼拝堂の扉が開かれた。扉の向こうにいたのは、先程はわたしと居間にいた信乃。信乃は血に塗れた礼拝堂、そして荘介を見て目を見開く。

「荘介っ!!」
「信…乃っダメです!こっちに来ては…っ。なまえも…早く俺から離れてください!」

荘介の肩に刃を突き刺している彼は、真っ白な服を返り血で濡らしながら口元に笑みを浮かべた。

「…あれがお前の小さくて生意気な神サマ、か?」
「…っ。」
「本当に役には立たなそうだ。」

そう言って荘介の肩から刃を引き抜いた彼。その隙を見て入り口にいた信乃はこちらに向かって駆けて来る。

「荘介っ!!なまえ!!」
「あとで仕置きです……来るなと言ったでしょう?信乃。」
「アホか!!」
「はあ…なまえもです。大きな怪我じゃなかったから良かったものの…」
「ごめん、なさい。わたし…」

先程ついた頬の切り傷に触れてみると、少しだけ痛みを感じた。わたしなんかよりも荘介の方が比べものにならないくらい重傷、だ。わたしは結局また守ってもらっただけ。足を引っ張ってるだけ。いつもいつも、なにもできない自分に腹が立つ。そんなわたしとは反して、信乃はわたしを心配するように顔を覗き込んできた。

「お前も顔に怪我してんじゃねぇか!!」
「…掠り傷、だし。わたしは全然大丈夫、だから。」
「馬鹿!そういう問題じゃないだろ!!」

荘介も信乃も、昔からそうだ…いつだって二人は優しい。わたしには勿体無いくらいに。
そんなことをしている間にも、ぽたぽたと荘介の服の裾から血が零れ落ちていく。

「何で…こんな…っ。」
「何故?」

信乃の言葉に、彼はそれはこっちの台詞だな、と荘介の顔を見つめながら答えた。

「忘れもしない。その顔その声。たった二年前だ。何故、俺の家族を殺した?」
「…?」

二年前、荘介が彼の家族を殺した…?
今から二年前は、わたし達はもう教会に引き取られていて、森の中の教会でひっそりと暮らしていた…それに、荘介が人を殺す、なんて。
首を傾げているわたし達に彼は再び笑みを浮かべながら刃を振りかざした。

「白々しいな。それとも、殺しすぎて判らないか?」

彼の振りかざした刃はわたし達に下ろされる前に、村雨の不気味な鳴き声とともに放たれた衝撃波で止められる。
ひらひらと落ちる黒い羽根。それと同時に信乃の手に握られたのは妖刀、村雨。突然現れた刀に彼は目を見開く。

「何を勘違いしてるのか知らねえけど。人違いも甚だしいな。」
「…人違い?…ハ。その顔とその声で?大体お前達は人の匂いがしない。」

少し後ろに下がっていた彼だったが、再び刃を大きく振りかざす。その刃を信乃が受け止めるけれど、大人の彼と子どもの体の信乃では、やはり力の差が激しい。それにしてもわたし達がただの人ではないことに気づくなんて…もしかしたら彼もわたし達と同じような異端の存在なの、かも。

「どこで手に入れた?その擬い物の命。お前達はとうに人ではないだろうに!!」

その言葉とともに彼の刃が大きく振り下ろされた。信乃はその一撃に耐えきれず、その場に転倒してしまう。
刀を扱いきれている彼に対し、わたし達は子どもの体の信乃と怪我をしている荘介、そしてなにもできないわたし…完全に不利である。けれど、このままでは信乃が危ない。信乃に駆け寄ろうと立ち上がろうとしたわたしと荘介だったけれど、それを信乃が止めた。

「出てこい!!四白!!」
「し…」

信乃が呼んだのは"荘介"ではなく、荘介の半身である"四白"…視界が、白く染まった。


未満の愛になだれゆく
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