ちりんちりん、優しく響く鈴の音。
"彼女"が響かせる鈴の音はそこにあって、そこにない幻…彼女が護るのは一人だけ。彼女が与えるのは一人だけ。
"彼女"が叶えるのは、寂しがり屋な"あの子"の願いだけ。

***

いつものように屋敷の仕事部屋で書類
整理をしている里見。最近住人が増え、和館から出てこなかったあやねまで顔を出すようになった屋敷は、普段以上に賑やかで里見の仕事部屋にまで賑やかな声が聞こえてきている。相変わらずマイペースに山のような書類に目を通していた里見も、賑やかになったものだと頭の片隅で思った。
そんなことを思っていた里見に、そういえばと唐突に部屋の中央にあるソファーに腰かけていた要が口を開いた。

「利芳、僕この間面白いこと聞いたんだよね。」
「なんだ要。」

里見は仕事をしている自分に対して呑気に座っているだけの要に、眉間に皺を寄せながら口を開く。

「まあまあ。そんな不機嫌そうな顔しないでよ。なまえちゃんのことなんだけどさ。」
「それがどうした?あれがまたドジでも踏んだか?」
「そういうわけじゃなくてーなまえちゃん、この間夢で鈴の音を聞いたって言ってたんだよ。」

"鈴の音"という要の言葉に、里見は眉間の皺をさらに深くした。そんな彼の表情を見て要も笑みを深くする。

「なまえちゃんが聞いた鈴の音って間違いなく"彼女"でしょ?でも"彼女"が宿る鈴って五年前から行方不明な筈だよね?」
「さあ。なまえのことだから、別の音と聞き間違えたんじゃないか?」
「えぇーまたまたぁ。」

要の探るような目にも里見はいつもどおりの無表情を貫き、口を開いたかと思えばその口から出てきたのは溜め息。要は前にもこんなことあったなあと思いながら、書類に目を通している里見を見つめた。ちょうどその時、里見ーと元気な声で部屋に入って来たのは信乃。珍しく一人の彼はまたまた珍しく新聞を片手に持っていた。

「どうした?信乃。」
「しーちゃんが一人なんて珍しいね。」
「まあ、ちょっと聞きたいことあって来た。」

信乃の言葉に里見は書類に向けていた視線を上げる。それを確認した信乃も里見に目を向けて口を開いた。

「"鈴彦姫"って知ってるか?」
「…信乃、お前どこからその名を?」
「この間ちかげに会った時、ちかげがなまえの髪見て"鈴彦姫"も同じような髪色をしてた、って言ってたんだよ。」

信乃の聞きたいこと、がまさか自分と要が先程まで話をしていたことと同じようなことだとは…里見は思わず溜め息をつきたくなった。里見に対し、要は楽しげに笑みを浮かべる。そんな要に少しばかり腹が立った里見だったが、今は信乃の質問に答えることにした。

「…"鈴彦姫"は付喪神の一種でその名の通り鈴に宿る妖怪だ。確かに彼女も銀色の髪を持っていると聞いたことがある…まあ、妖怪である鈴彦姫の姿を見たことがある者など殆どいないらしいが。」
「へえ…その"鈴彦姫"も、なまえの髪と同じように人以外のものを惹きつける力があったのか?」
「さあ…私にはわからないな。」
「…そうか。なら、いい。」

信乃がなぜ"鈴彦姫"のことを里見に尋ねたのか。ちかげの旧友である鈴彦姫が持っている銀色の髪、なまえが持っている人以外のものを惹きつける銀色の髪、この二つに、なにか繋がりがあるのではないか、と疑問を感じたからであった。銀色の髪の持ち主であるなまえも"鈴彦姫"の名前を聞いた時、なにか考え込むような顔をしていた。
なまえの銀色の髪は信乃が村雨を宿す前、五年前以前からその力を宿していた。彼女曰く、妖の存在が見えるようになったのはそれ以降らしいが…考えれば考えるほど絡まる事実に信乃は思わず頭を抱えたくなった。しかし今回は鈴彦姫の件以外にも尋ねたいことがあるので、ひとまず頭をクリアにする。

「用件はそれだけか?」
「あ、あともういっこ。
さーとみ、おこずかいちょうだい。」

先程とは打って変わって、片手を差し出しながらそう言った信乃。それだけで簡単に"里見利芳"からおこずかいが貰えてしまうものかと要は思ったが、案外簡単に里見はああ、と了承した。

「いくらだ?」
「えーと…いっぱい?」
「わかった。」

やはり里見は信乃には弱いのか、要はそんなことを考えながら二人のやりとりを見つめる。

「…それと、これについてここに載ってる以外で知ってる情報があったら教えてくれ。」

そう言って信乃が里見の机の上に置いたのは、片手に持っていた新聞。その新聞記事は"大塚村"や"奇病発生"など、五年前の事件を連想させる言葉が並んでいた。

「こんな記事よく見つけたな。」
「荘介がたまには新聞でも読めっていうからたまたま…」
「まだ調査中だ。詳しいことは私も判らない。ただ、禁忌の山に入った五名が無事に戻ってきた。だが、一週間後に全員死亡した。ここに書かれているのと違うのは…」
「死体が甦ったんじゃなくて、生きながら腐っていったんだろう?」

"五年前の大塚村の人間と同じように"
信乃は続きがわかっているかのように里見の言葉を遮った。五年前の大塚村。奇病の伝染を防ぐため、と言って焼き尽くされた村…そこは全ての始まり。

「…ここの地域は少し変わっていてな。滅多に雨が降らない土地だが地下水を大量にくみ上げて何とか田畑にしときたような場所だ。」

里見の話によると、その場所の背後には"ほまちの山"と言われる山があり、そこだけ豊富に雨が降るのだとか。
しかし、その雨で豊富だった地下水も最近は尽きてきて、里の五人の住人が水を求めて禁忌の山に足を踏み入れたらしい。禁忌の山は"猿神"が住む山。立ち入って戻ってきた者はいない…しかし、五人は無事に帰って来た。

「…名前の通り外持の雨を降らす山なのに、五人が山へと入った時からピタリと雨が止んだ。」

"外持雨"というのは、個人の利得になるような雨のこと。局地的な限られた者だけを潤すような雨のこと…そんな雨が突然止まってしまう、とは、また不思議なことである。

「その五人が言うには、磁石もきかず、獣一匹にすら出会わず、小川すら見つからなかった。もちろん水もなく、飢え死に寸前でさ迷っている彼らの前に、一人の美しい女が現れた。」

"一人の美しい女"その一言に、話を聞いていた信乃はぴくり、と反応した。
綺麗な金髪の髪をなびかせて、死と隣合わせだった村人達に手を差し伸べた美しい女。

あら大変。それなら私が里までの帰り道を教えてあげるわ。

魔法のような言葉とともに彼女が差し出したのは、彼らが探し求めていた"水"

そのまえにこの水を飲むといい。
"生命の水"よ?

***

「…信乃?」

すっかり日も高くなり、時刻は昼。
昼食を作っているであろう荘介を手伝うために台所へ向かおうとすると、村雨を連れて一人外へと出て行く信乃の姿を発見した。片手にはお金が握られており、旧市街にでも行くのかなとも考えたが、それにしては急いでいたような気がする。信乃を追いかけてみようかとも思ったけれどそれだと逆にわたしが迷惑をかけてしまいそうなので、まず荘介に尋ねてみることにした。
最初に向かう筈だった台所へと向かおうと歩いていた時、ふと近くの部屋から聞こえてきたのは話声。この部屋は…里見さんの仕事部屋だ。それに、中から聞こえてくる声もとても聞き覚えのある声。これは荘介と…里見さんと尾崎さんの声だ。

「いや、行くとは思ったんだけどね……」
「たった一人とは…」

"行く" "一人"
そんな言葉を聞き、わたしの頭の中に浮かんだのは先程屋敷を出て行った信乃。話をしている最中に迷惑かと思ったけれど、部屋の扉をノックして中に入った。

「あの…なにかあったんですか?」
「なまえ。」
「ああなまえか。これは丁度良い…荘介、なまえ。二人で今すぐ信乃を追いかけた方がいいな。」
「?何です?」

信乃を追いかける。確かに、信乃は先程屋敷から出て行ってしまった…やっぱり、なにか問題があるのかな。話が全く見えない。けれどそれは先に部屋にいた荘介も同じのようだ。そんなわたし達に、里見さんは頭を抱えながら話す。

「多分話の中で信乃は気がついた筈だ。あれ、は自分の父親を殺した女だと。」

信乃の父親を、殺した女。
里見さんの言葉に真っ先にわたしの頭に浮かんだのは"五年前のあの日"のこと…なんだか妙に胸騒ぎがした。


里見さんから事情を聞いたわたしと荘介は、準備をしてすぐに屋敷を出た。屋敷を出てからの荘介の雰囲気は、それはそれはとても鋭いもので、怒っているというのが隣にいるわたしにもひしひしと伝わってくる…確かに、気持ちはわかるけれども。

「…あんの考えナシの鉄砲玉が!!」
「ま、まあまあ、荘介。信乃も信乃なりになにか考えがあるんじゃないかな…きっと。」
「考え?信乃が?」
「た、多分…!」

信乃はきっと、わたし達を巻き込みたくなかったのだろう。だから信乃はわたし達になにも話さずに行ったのだと、思う。荘介も信乃のそんな思いは気づいている筈だろうけれど…逆ににっこり笑われると怖いよ……荘介。

「俺が怒っているのは信乃だけではありませんよ。なまえもです。」
「う…わ、わたしは…心配かけないようには気をつけるから、大丈夫。」
「本当ですかね…」

疑いの目をこちらに向けてくる荘介。そんな視線に言葉が詰まりそうにもなったけれど、大丈夫と答えて、視線から逃れた。里見さんに言われて今回の件はわたしも同行させてもらったけれど、荘介はわたしの同行をあまり良く思っていないみたい…その証拠に、いちいち笑みが怖いもの。けれど、今回の行き先は"ほまちの山"。今回ばかりはわたしの"人以外のものを惹きつける銀髪"が役に立ちそうだ。里見さんもそのことを理解してわたしを同行させたのだと思う。
信乃が一人向かった先は、猿神が住むという"ほまちの山" その山は一度入ったら出られないと言われている禁忌の山だが、最近村人の五人が山に入り、無事に戻って来たらしい…ここまでは、いい。けれどその五人は一週間後、全員死亡した……ただ死亡した、と言っても"生きながら腐っていった"らしい…五年前の大塚村の人間と同じように。そして、亡くなった五人はほまちの山で迷った際、不思議な女に会い、その女は"生命の水"を彼らに授けたのだとか。
"女"わたしはその言葉にさっきからなにか引っかかっていた…確か、前にも。

「五年前の大塚村にも、女の人、来なかったっけ…?」
「ああ…そういえば。知らない女がふらりと現れたんですよね。皆がああなったのはそれからだ。」

荘介は顎に手を当てながら思い返すように言った…やっぱり、そうだった。大塚村に来た知らない"女の人"…五年前にこの話を聞いた時もなんだか変な感じがしたのだけれど。
大塚村でわたし達四人だけが無事だったのは体調の良くない信乃につき合って、隣の村の診療所にお世話になっていたから。わたし達が大塚村に戻った時にはもう…村は火の海だった。

「わたし達、火に包まれていた村に戻った後…」
「……」
「…荘介?」

なにかを考え込んでいる様子の荘介。わたしの言葉も聞こえてないようだ。名前を呼ぶと、荘介ははっとしたようにわたしの方に視線を戻す。

「すいません。そういえば五年前の事件の日のこと、記憶があやふやだなと思って。」
「それはわたしも…」

五年前のあの日の記憶。わたしも、あの日のことはとても曖昧、だ。何度か夢では見たけれど、夢の記憶が本当か嘘か、なんて自分では判断できない。それにあの日のことでわたしに強く印象に残っているのは、信乃達が倒れている姿と泣いている浜路。そして、わたし達を包む炎。わたし自身も煙を大量に吸っていたようで、それくらいしか印象に残っていないのだ。

「荘介?それになまえ?」

五年前のことで考え込んでいたわたし達に明るく声をかけたのは、小文吾さんと現八さん。

「どーしたよ?おっかない顔して。」
「小文吾さん、現八さん。」
「こんにちは。」

なんだか二人に会うのは少し久々な気もして、少し新鮮だ。"おっかない顔"というのは、きっと荘介のことだろうなあ…そんなことを思っていたら、現八さんがやっぱり信乃か?とわたし達に尋ねてきた。

「見かけたんですか?」
「ついさっき出た汽車に乗ったトコをな。」
「お、遅かったみたい…だね。」

荘介は再び深い溜め息を吐いて頭を抱える。小文吾さんの話によると次の西部行きの汽車はあと二時間も後らしい。まさか二時間も後、だなんて…信乃、大丈夫かな。

「やっぱアイツ一人だったのか。」
「行き先が判っているなら先回りしてそこの駅員か憲兵に保護してもらうように連絡しておくが?」
「それで捕まるようならいいんですが…そんな可愛い気のあるタイプではないので。」

ふ…となにかを悟ったように笑う荘介。"可愛い気のあるタイプではない"という荘介の言葉に、わたしも思わず頷いてしまった。小文吾さんと現八さんもああ…と思い返すように呟く。せっかくの現八さんの提案だったけれど、信乃の前にはきっと無意味に終わってしまう筈…だとしたら、やっぱりわたし達が迎えに行かなくちゃ。

「ま、それもそうだな。おい、小林!!」
「はい、隊長。何でしょう?」
「俺はこのまま直帰する。お前戻ったら俺の有給届けを提出しておいてくれ。」
「ハ?」

そういえば現八さんって、憲兵隊長…なんだっけ。部下の方の反論も許さずに話を丸め込めた現八さんは正に鬼、だ。どれ行くか、と満足げな現八さんを見て、荘介と小文吾さんも苦笑いをこぼしている。現八さんが隊長、なんて心強そうだけど、大変だろうなあ…あれ。でも、なんで突然有給なんてとったんだろう。

「次の汽車まで家帰って着替える時間はありそうだな。」
「あー俺厨房で弁当作ってもらってこよー」
「あのー…現八さん?小文吾さん?」

現八さんに続いて小文吾さんもそんなことを呟きながら歩き始めた…あ、あれ?
状況がいまいち掴めず荘介と顔を見合わせていると、笑みをこぼしながら二人が振り返った。

「どこへ行ったんだか知らないが、お前達を置いて行ったってことはあまりおススメの場所じゃなさそうだ。」
「鬼二匹、連れて歩けば護衛になるぜ?」

彼らの言葉に、わたし達は目を見開く。鬼二匹…かあ。鬼に追いかける側の時はとても恐ろしかったけれど、いざ二匹も味方になるととっても心強い、なあ。

「そういえば今から行くほまちの山は猿神が住んでいると言われています。山に入った人間を喰い殺すようで。二匹の鬼の護衛なんて心強いですね。」
「よろしく、お願いします。」
「え!?ちょっと待って!!また化け物絡み!?」
「さすが信乃だな…」

なんだか、今回もとても賑やかになりそうだ。新しい顔ぶれの背を見て、思わず笑みがこぼれた。


安っぽくてまろやかな奇跡
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