すっかり先程の恐ろしい雰囲気を無くしてしまったちかげ様は、いつの間にか現れた時と同じように靄に包まれて消えてしまう。その場に残されたわたし達はとりあえず襖が開いていた部屋に入って、少し休むことにした。
部屋に入った途端、ぐったりとその場に寝そべる荘介。そんな荘介を見て、先程荘介はわたし達のために無理をしていたということを改めて理解する。

「…悪かったな、体が本調子じゃないときに。」
「大丈夫、じゃないよね…ごめんなさい。」
「…全くです。だから今日は俺の側で大人しくしていて下さいって言ったのに。なまえも、知らない場所に一人で行ってはいけないと言ってるでしょう…」

荘介の言葉がずしん、と胸に響く。帝都に残るのも、無理をしない、ということが約束だったのに。わたしはいつもいつも周りに迷惑をかけてばかり…わたしの馬鹿。

「浜路に頼まれたんだよ、お茶に誘って来いって」
「尾崎の坊ちゃんも知っていて止めなかったようですね…信乃、傷は?」

荘介は先程怪我を負った信乃の右腕に視線を落としながら言う。とっくに血は止まった、と言った信乃の言葉どおり、開いていた傷口はもうすっかり塞がっている。この直りの早さは今日は信乃の中で眠っている村雨のおかげだろう。

「俺は腕よりデコが痛ぇ。」

額を押さえながら答えた信乃…た、確かに信乃、荘介にものすごい力で頭を床に押さえつけられてた、もんね。わたしは背中だったから少しはよかったけれど。

「なまえは、怪我はありませんか?」
「わたしは全然…」
「…手首、腫れていますね。」
「あ…でもこれは、わたしのせいで…」

荘介の指摘に、わたしは先程手首を少し捻ってしまったことを思い出す。手首に突き刺さる荘介の視線…確かにわたしには信乃のような治癒能力はないけれどこのくらいの怪我なら大丈夫、だもの。そう思うけれど、わたしは散々荘介に心配をかけているのでなにも言い返せない。
それを見かねた信乃がはあと溜め息をつきながら、荘介の頭を自らの膝に乗せた。

「なまえの怪我は俺が看るから。頼むから大人しく寝ててくれ!」
「……」
「し、信乃…」

信乃は自分の膝の上に荘介の頭を乗せ、両手でがっちりと固定した。それはどこからかぎぎぎぎ…と効果音が聞こえてきそうで、目を閉じた荘介の顔もなんだか苦しそうな気もする。とりあえずは大丈夫だろうと思いその光景を隣で見つめていると、あの…という声とともに控えめに障子が開いた。小さく開いた障子の隙間から覗くのは、先程和館の奥へ走って行ってしまったあやねさん。

「さっきはごめんなさい。怪我したみたいだから…」

部屋に入ろうとした彼女は部屋の様子を見た瞬間、顔を真っ赤にして背を向けてしまう…あ、あれ、なにか誤解させちゃったかな……お邪魔しました!と声を上げて去ろうとするあやねさんを信乃が呼び止める。あやね、と呼ばれたことに驚いたのか、彼女ははっとしてこちらを振り返った。その表情は少し戸惑いもあったけれど他の気持ちもあるように見えて、思わず笑みがこぼれた。
部屋の中に眠ってしまった荘介を残し、とりあえず縁側へと移動したわたし達。
あやねさんはわたしの手首の怪我をとても心配してくれていたようで、わたしの手首は彼女の手で処置してもらうことになった。

「あ…大丈夫、痛くない…?」
「うん。元からそこまで酷くはなかったから…ありがとう。あやね、ちゃん。」
「…!ううん、全然いいの!」

あやねちゃん。名前を呼ぶとぱあっと花が咲いたように表情が明るくなる彼女に、先程まで遠慮していた自分が馬鹿みたい…なんて思った。あやねちゃんの手によってわたしの手首に巻かれた包帯はとても綺麗に巻かれていて、彼女はとても優しい子なんだなあと改めて感じる。今まで女の子の友人、と言えるのは浜路くらいだったわたし…あやねちゃんともっと仲良くなりたい、な。
そんなわたし達二人を微笑ましげ見ていた信乃があ、となにかを思い出したように再び部屋の中へと戻って行った。部屋から戻って来た信乃の手にあったのは、浜路があやねちゃんにと用意したらしい籠に入った花。どうやらこの花は屋敷で信乃とあやねちゃんがぶつかってしまった時に彼女が落としてしまった花、らしい…じゃあわたしとあやねちゃんがぶつかる直前に聞こえた叫び声は、あやねちゃんのものだったのね。

「お花、ありがとう。すごく可愛くしてもらえて…」
「いや、礼なら浜路にな!」
「浜路…さん?」
「俺の幼なじみ。あやねと同い年なんだって。あやねとトモダチになりたいって云ってた。」

浜路と同い年、ということはあやねちゃんは十五歳…わたしと同じように幼い頃から傍にいた同性がわたししかいなかった浜路。同い年で同性の女の子と仲良くなりたい、と思うのは当然である。

「ちょっとワガママだが、浜路と仲良くしてくれると俺は嬉しい。」
「…わたし、も。浜路、しっかり者で優しい子だから。」

浜路はわたし達の大切な大切な妹。わたしはどちらかというと浜路に手を引かれている気もするけれど…たまには、お姉さんらしいこともしたい。
そんなことを考えていたら、あやねちゃんを挟んで座っていた信乃と目が合った。

「…あやね。ついでにコイツ、なまえともトモダチになってやって。」
「え…?」

くすりと笑いながら言う信乃に、隣に座っていたあやねちゃんと顔を見合わせる…確かにわたし、あやねちゃんともっと仲良くなりたいな、とは思った、けれど。

「おっちょこちょいだけど悪いヤツじゃないから。コイツもトモダチあんまいないし。」
「し、信乃…!」

信乃の言っていることが外れているわけではないけれど、目の前で言われると、なんだか恥ずかしい。けれど"トモダチ"なんて今まではあまり縁がなかった言葉…なんだかどきどき、する。

「"トモダチ"……で…でも、私こんなだし。髪はまっしろだし目も変な色だし…き、気持ち悪いかも。」
「こんな?気持ち悪い?本当に気持ち悪いってのはさーきっとコイツみたいなことを言うんだぜ?なー村雨?」

俯きながら言ったあやねちゃんに首を傾げた信乃は、複雑な模様が刻まれた右手をぶらぶらと動かしてみせる。そんな信乃に抗議するかのように、右手の中に眠っている村雨が不気味な声を出して暴れ出した…わたしは大丈夫、だけれど、隣にいたあやねちゃんは顔を隠しながら後ろを向いてしまう。

「…こ…恐くないの…っ?」 
「いやーコレがいなかったら俺、死んでたし。五年前から自分が同じ姿って事実の方がむしろコワイ。」
「…!ずっと…?五年も前から!?」

顔を覆っていた手を離して再び信乃を見つめるあやねちゃん。そんな彼女に信乃はまぁな、と笑って答えてみせる。
…わたしや荘介、浜路は五年前の出来事が起きてからもひとつまたひとつと年を重ねて成長しているけれど、信乃だけはあの日から、まるで時が止まってしまったかのように変わっていない。わたしと信乃は同い年だった筈なのに。背丈もわたしの方が少し小さかった筈なのに、いつの間にかわたしは信乃の背丈を追い越していた。
けれど、このまま時が過ぎても信乃がこのままだったら…信乃、は。

「で…午後のお茶会に誘ってこいって浜路からの指令なんだけど、どお?」
「…行く。」

信乃の瞳をじっと、見つめていたあやねちゃん。彼女はなにかを決意したかのように拳を握っていた。



あやねちゃんを無事浜路のところまで案内したわたしと信乃は、一足先に戻っている荘介を追って部屋へと向かっていた。ふと窓の外を見ると、手を繋いで外へと駆けていく浜路とあやねちゃんの姿が見えて頬が緩む。

「…お前、よかったのか?」
「え?」
「浜路のお茶会、なまえも参加すればよかったのに。」 

窓の外を見つめていたわたしに、隣を歩いていた信乃が口を開く。浜路があやねちゃんを誘ったお茶会。先程浜路の所へ行った時も同じようなことを浜路に言われたけれど、今日は遠慮しておく、と断ったのだ。

「わたしはいいの。だって浜路の初めての友達でしょう?二人きりにしてあげたいし…」
「なんか、珍しく姉っぽいな。」
「わ、わたしも偶には姉さんらしいことしたいの!」

"お姉さんらしくしたい"
わたしのそんな考えは信乃にはとっくにわかっているようで、信乃はわたしの言葉に、まあいいんじゃない?と笑みを浮かべながら返す。お姉さんらしくしたい、いうのも理由の一つだけれど、実はもう一つ理由がある。今日は荘介に心配をかけてしまったり、信乃が五年前から成長していないということを改めて理解させられたり…そんなことがあったからか、なんだか無性に二人の傍にいたい、なんて思ったのだ。
そんなことを考えながら隣を歩く信乃の手をぎゅっと、握ってみた。そういえば信乃からわたしの手を取ることはよくあるけれど、わたしから取ることは…あまりないかもしれない。

「ん?どうした?」
「…ううん。ただ、ちょっと手繋ぎたいな、って思ったの…嫌だった?」
「別に、嫌じゃない。」

ちらりと隣を見るとふい、と顔を逸らされてしまって、信乃の顔は見えない。信乃がこちらを見ていないのをいいことに、わたしは緩む口元を隠さずに前を向いた。信乃の手のひらはいつもあたたかい。体温の問題もあると思うけれど、信乃と手を繋ぐとなぜだかとても安心するのだ。

「…お前、大塚村に来たばっかの時もこうやって俺と手繋いでたよな。」
「そういえば…あと、わたし信乃の後着いて回ってた記憶があるな…」
「ああ、そうそう。なまえは泣き虫で毎日のように泣いててさ。でも、手繋いでやるとすぐ泣き止むんだよな。」

信乃の言うとおり大塚村に引き取られてすぐの時、わたしはとても不安で、怖くてたまらなくって、毎日毎日泣いていた。また置いていかれるかもしれないと考えたら、怖くて。けれど信乃と手を繋ぐと、その手のあたたかさがわたしにも伝わってきて、怖いという気持ちは直ぐに消え去ったのだ。

「まあ、お前の中身は今も対して変わらないけど。」
「うう…そ、そうかな?」
「そうだよ…なまえは変わらない方がいい。」

"変わらない方がいい"…そう言った信乃の横顔はなにかを考え込んでいるかのような表情で、思わず緩んでいた口元が締まる。
そんな昔話をしているうちにいつの間にか目の前にはわたし達の目的地である信乃と荘介の部屋。そういえばわたしは今日、この部屋へ向かおうとして迷って和館まで足を運んだんだっけ。信乃と一緒に来てみれば案外近いこの場所に、わたしの苦労はなんだったんだろうと改めて考えさせられる…あやねちゃんと仲良くなれたから、いいのだけれども。
扉を開いて中に入ると、そこにはもう眠りについている荘介の姿が。荘介の寝顔、なんてなかなか見られることがないので思わずまじまじと見てしまう。なんだかあどけなくて、可愛い。

「…荘介、やっぱり今日はぐっすりだね。」
「そうだな。まあ明日になれば元通りだ。」

信乃が荘介の隣にごろん、と寝転がりながら答える…そう。明日になれば、元通り。荘介はいつもみたいに傍にいて笑ってくれる。いつもと"変わらない"彼になる。
なんだか今日は少し疲れた、かもしれない…わたしが特になにかした訳ではないけれど。うつらうつら、信乃と荘介が横たわるベッドに腕を乗せていたわたしに襲ってくる眠気。目蓋が、重い。

「おいなまえ、ここで寝るなら俺のベッド使えって。」
「ん…」
「あ、ちょっ…」

信乃と荘介がいるベッドにうとうとしながらわたしも横たわると、信乃がはあ、と呆れたような溜め息をついたのが聞こえた。一つのベッドに三人、なんてちょっとキツイ気もするけれど、なんだか昔を思い出して懐かしい気もする。昔はよく、みんなで並んで眠ったもの。

「…おやすみ。」

頭に乗せられたあたたかいてのひらを感じながら、わたしは眠りについた。

***

「…なまえ?」

ぽつり、と誰かに名前を呼ばれた気がして、まだ眠たい目をこすりながら上半身だけ起き上がると、わたしの顔を覗き込んでいるのは荘介。わたしの隣で横になっている信乃はまだ眠っている…眠ってからどのくらい経ったの、かな。

「荘、ごめんね…起こした?」
「いえ、別にそういう訳じゃなくて。なんでこんな所で寝てるんですか。」
「一緒にいたかったの…あと、眠くて。」

荘介と話をしている間にも、まだ眠りたいと頭が訴えてきて、目蓋が落ちそうになる。わたしに問いかけた荘介もまだ眠たいようで、欠伸をしていた。

「はあ…また変な所で迷子になるよりはいいですけど。」
「うん…」

荘介は足元にあった布団をわたしと信乃にかけてくれる。閉じそうになる視界の中で映った荘介の表情はなんだか悩ましげ。なにか嫌な夢でも見たの、かな。

「早く明日になればいいのに…」

わたしも、そう思うなあ…荘介の小さな呟きを耳に入れながら、わたしは再び目蓋を閉じた。

***

「ん…」
「あ、なまえ目覚めたのか?」

目が覚めて、まず声が聞こえた方に視線を移すと、そこには床に座って珍しく新聞を読んでいる信乃の姿。隣ではまだ荘介が眠っている…わたし、何時間寝たんだろう。窓の外を確認してみると外はもうすっかり日が暮れていた。

「今日はいつもに増してよく寝たな…浜路があやねと灯籠祭に行くからなまえも一緒に行きたいってお前を呼びに来たんだけど、お前全然起きねぇんだもん。」
「う…ごめんなさい……」
「浜路も、あやねも残念がってたぞ。」
「そう、なんだ…後で謝らなくっちゃ。それにしても…あやねちゃんもお出かけ、なのね。」

あやねちゃん、彼女は今まで和館からあまり出たことない、と言っていたし…ちかげ様は彼女のお出かけを許したのだろうか。

「尾崎の狐を一匹傍に付ければいいだろ、って提案したらちかげも許してくれてさ。あやね、嬉しそうだった。」
「ふふっ、そっか。」

観月、巳憑き、大蛇。大きな力を持っているちかげ様は、あやねちゃんに着いて移動することは簡単ではないのだろう。あやねちゃんを加護するちかげ様。ちかげ様に護られるあやねちゃん。強い糸で繋がっている二人。あやねちゃんが生きたいと願うかぎり、その糸は絶たれることはないのだろう。
その時、信乃の名前を呼ぶ透き通った声とともに、部屋が雲のような靄に包まれた…この声、は。

「犬塚信乃。」
「うん?ナニ?」

少しずつ晴れていった靄の中から現れたのは少し前までわたし達が話をしていた人物、ちかげ様。彼女の表情は和館で見た時のような厳しい表情ではなく、とても穏やかである。彼女はどうやら信乃にお礼を言いに来たようだ。

「礼を言う。尾崎との橋渡しをしてくれて。」
「俺、大したこと言ってないよ。」
「それから、あやねに"トモダチ"をくれた。」

ちかげ様はその燃えるような瞳で信乃、そしてわたしを見つめた。優しい表情で笑う彼女にわたしも頬が緩む。

「おい。言っとくけど、浜路となまえはモノじゃないんだからな!勝手な扱いしたら許さねーぞ!」
「変なヤツだな、お前は。トモダチは彼女となまえのことだけではあるまい。それに…あやねの友なら私にとっても友だ。取って喰ったりはせぬよ。」

ちかげ様の瞳にはわたし、そして信乃が映っている。"きっかけ"を作った信乃もあやねちゃんの友達。ちかげ様があやねちゃんの友達は自分の友達でもある、と言ってくれるのなら、わたしでも彼女の"トモダチ"でいいのかな…なんだか、くすぐったい、な。

「ちかげ…」
「ちかげとは霊影、わたしの本当の名ではない…友よ。」

ちかげ様がわたし達に微笑みかけると、ちかげ様の足元から白い光が溢れた。その光景は靄と合わさってとても幻想的で、思わず見とれてしまう。

「信乃、これからのお前の旅は長い。お前のその身乃村雨を狙う者もいるだろう。それは私をも殺すことができる代物だからな。」

妖刀村雨。普段は小さな鴉の姿をしているけれど、その力は人の時間を止めてしまうほど…村雨は、信乃の心臓。
彼女は次にわたしに視線を移す。そんな彼女がすっと指をさしたのは、わたしの髪。

「なまえ、お前のその力の込められた銀髪…そういえば前にもどこかで見たことがあると思ったら、アイツと同じ色だ。」
「え…?」
「"鈴彦姫"…私の古い友だ。」

"鈴彦姫"その言葉で思い出したのは、昨晩も夢で聞いたあの不思議な鈴の音…なにか関係があったり、して。ふと、そんなことを考えるけれど、思考はそれ以上広がらない。そんなわたしに対し、ちかげ様はまたくすりと笑ってみせる。

「お前達は敵ではない…友よ。」

ちかげ様の足元に広がっていた光は、少しずつ彼女全身を覆う。ひらりひらり、きらきらしたものがわたし達に降り注ぐ中、再び光から姿を現したちかげ様は大きな大きな白い蛇の姿をしていた。

「我が名は"響"覚えておくといい。」

瞬くきらきらしたもの、を一つ手に取ってみると、それは蛇のウロコ。普通の蛇のウロコと考えるには大きいそれ、は、きらきらと美しい輝きを放っている。そんなウロコが部屋に降り注ぐ光景はどこか見慣れた風景を思い出させた。そう、これはまるで…

「雪、みたい。」
「確かに…言われてみればそうだな。」
「きれい…」

そんな光景を見つめながら、信乃はどんどん人から離れてる気がする、なんて呟く。確かに蛇が友達なんてなかなかないよね。そういえば最近は鬼の知り合いもできたしなあ…けれど、こんな素敵な光景が見られたんだもの。
こんな不思議でのんびりした毎日もいいかな。


まなざしで彩られた安らぎ
prev next
back