隣から、誰かかからの視線を感じて、目が覚めた。ぱちり、目を開けると、見慣れない豪華な天蓋。

「あ、起こしてしまいましたか?」
「ん…荘?」

天蓋付きベッドのカーテンが開けられ、ベッドの傍らに立っているのは、荘介。どうやら、視線の正体は荘介だったようである。

「まだ信乃も寝ているので、眠っていても大丈夫ですよ。」
「う、ん…」

わたしの頭を撫でる荘介の手。その心地良い感覚に、ふわふわと覚醒しない頭がさらにぼうっとする。そういえば昨日、わたし達は帝都に来て、ひらりと現れた、里見さんに話は後だとかなんとか言われて、ここの宿に連れて来られたんだっけ。久々の人混みは、わたしにとって結構負担がかかっていたようで、昨日は早く眠った筈なのに、なんだか身体が重たい。

「じゃあ、俺は散歩してくるので、信乃と待っていてくださいね。」
「うん…」

荘介の声が遠くなっていくのを感じながら、再び眠りについた。
 
***

深い深い睡魔に襲われて眠った筈の、わたし。そんなわたしの頭の中で、まるで今までのわたしの記憶をひっくり返したように、色々なことが蘇ってきた。
その中でふと目に止まったのは、あの日、五年前の記憶。
なんだか最近、この日のことの夢をたくさん見るようになった、気がする。
夢で見る昔の記憶は、まるで、思い出せとわたし自身に訴えかけているようで、なんだか不思議な感覚に陥る。

「なまえ。」

村が炎に包まれる光景の中、一人の人間が、倒れている幼い姿のわたしに近づく。この声、は、この間の夢でも聞いたものだ。もやもやと霧がかかっているかのようにその人物の姿は掠れ、その姿を確認することはできない。

「おまえは、生きたいか?」
「……生き、たい。」

その人物、の言葉に、か細い声でそう答えた、わたし。自分自身の記憶の筈なのに、この記憶には、覚えがない。 
五年前のあの日のことについて、わたしが覚えていることは少ないけれど、一つだけはっきりしているのは、あの日、わたしは"選択"をした、ということ。
そして、今もわたしは、あの時の選択を少しも後悔していないということ。

「ならば願え、強く。」

そう言ったその人物、彼。
その言葉とともに、彼の姿にかかっていた霧が晴れる。
肩にかかる、金色の髪。整った顔立ち。
死にかけのわたしが映る、灰色の瞳。
わたしに手を差し伸べている彼、は、先日出会った筈の里見莉芳、であった。

***

すぐ隣から話し声となにかの鳴き声、のようなものが聞こえて、目を擦りながらまだ重い目蓋を開けた。
ベッドを囲む天蓋から顔を出すと、わたしの目に飛び込んできたのは、大きな犬と烏。その光景に寝ぼけていたわたしの頭がはっと覚醒する。

「……え?あ、れ?え!?」
「あ、なまえ、起きたのか。はよ。」

呑気に挨拶をしてくる信乃。そんな信乃と対峙するように、例の"里見莉芳"さんが腕を組んで立っている。

「お、おはようございま…す?え、えと…これは…」

目の前にいる黒い烏、これは、明らかに信乃の村雨だろう。では、里見さんの後ろで唸っている、大きな犬は…なんなのだろう。
妙な緊張が漂う空間で、わたしが一人、びくびくしていると、音を立てて部屋の扉が開いた。扉から入って来たのは、朝食をトレーにのせて、にっこりと微笑んでいる荘介。

「おはようございます。朝っぱらから妖怪絵巻ですか。帝都の三面記事もビックリですね。」

そんな荘介の登場により、すっかり緊張が解けたこの場所。信乃は不満そうにしていたけれど、荘介が朝食を持って来てくれたので、とりあえずわたし達は朝食をとることにした。

***

「し、信乃…着替えないの?」
「別にどうでもいいし。」

寝間着のまま、不機嫌な表情でお茶碗片手にふんぞり返っている信乃…とても行儀が悪い。荘介が注意しても、信乃は改めるつもりはないようだ。

「…里見さんがいるでしょう?」
「俺には何も見えねえな。」
「信乃…」

同じテーブルの向かい側に座る里見さんを見ながら"何も見えない"と強調する信乃に、里見さんは溜息をつく。どうやらわたしと荘介がいない間に、二人の間で色々とあったようだ。

「子供…村雨の呪いは、外見にだけじゃなかったんだな。」
「子供言うな!大体テメーこそ何だよ!?五年前とちっとも外見変わってねーじゃねーか!!」

だん、と机に手を付いて立ち上がりながら反論する信乃。そんな信乃を、わたしと荘介は苦笑いで見つめる…それにしても、"五年前とちっとも変わってない"といい、やっぱり信乃と里見さんは面識があるようだ。先程見た、わたしの五年前の出来事の夢にも、里見さんが出てきたし、なんだか引っかかる。
まあ、わたしの場合は所詮"夢"なのだけれども。

「性格悪ィのも相変わらずだよな!変わってねえのはお互いサマだっつーの!!アンタこそ化け物並… 」

ぶつぶつと里見さんに大変失礼な言葉を浴びせる信乃に、荘介は信乃を押さえて片手で信乃の口を塞いだ。

「すみません、再教育しておきますので。」
「……」
「そ、荘介…」

荘介はにっこりと笑いながらそんな言葉をこぼした…やっぱり、荘介が一番、怖いよね。
信乃は呼吸が苦しくなってきたようで、顔を真っ赤にしてじたばたと暴れる。なんだか見ていて微妙な気持ちになるけれど、どちらかというと信乃が悪いので、なにも言えない。
暫くして、荘介から解放された信乃は、ぜえぜえと呼吸を乱しながら、大人しく椅子に座った。今度は、ふんぞり返らず、お行儀よく座っている…流石、荘介。

「いつもこうなのか?コレ、は?」
「昔っから人の言うことなんか聞きませんからねぇ。」
「コレ言うな!」
「ま、まあまあ、信乃。」

信乃は、むすっとしながらも、再びご飯を食べ始めた。なんだかそんな姿は無邪気で可愛らしく、くすりと笑いがこぼれてしまう。

「笑うな!」
「ご、ごめんごめん。」

そんなわたし達のやり取りを見て荘介も笑みをこぼす。荘介は立ち上がりながら、ああ、と思い出すように言った。

「でも、父親と飼い主の四白だけには絶対に逆らわなくて…」

足元で座っている、里見さんの大きな白い犬を撫で出す荘介。白い犬、は、先程のような威嚇の表情はなく、荘介の手に気持ちよさそうにすり寄っている。
真っ白なふわふわの毛は触れたら明らかに気持ちよさそうで、わたしも思わずその身体に触れた。

「わ…ふかふか…」

そのふわふわの毛に手が埋まる感触は、とても心地よかった。それとともに、わたしの手にすり寄るように身体を動かすその仕草に、心を奪われてしまう。 

「荘介…なまえ…?」
「何です?」
「どうした、の?」

その子、に触れているわたし達を信乃は肩を震わせながら見つめる。

「二人ばっかズリー!!」
「……ハ?何がです!?」
「…え、え?信乃?」

わたし達を指さしながら、声をあげる信乃…わたし達なにか変なこと、しただろうか。二人で顔を見合わせていると、信乃は荘介となまえの馬鹿!と叫びながら席を立ち、駆けて行ってしまった。

「あ、ちょっと信乃…!」

慌てて、飛び出して行った信乃を追いかけようとすると、隣にいた荘介に腕を捕まれた。

「はい、とりあえず落ち着いてくださいなまえ。」
「で…でも、信乃…」
「なまえ一人じゃ迷子になるでしょう?」
「う…」

"方向音痴"という現実が、わたしの胸に突き刺さる…わたしまで迷ったら、元も子もないし、荘介と信乃にまで心配かけてしまうもの、ね。

「いいのか?一人で外に出して。」

わたしが大人しく席に再び席に座ると、呆れたような表情をした里見さんが信乃の出て行った方を見ながら言った。

「一度ヘソを曲げると、何言ってもムリですし。何かあったら村雨が呼びに来ますよ。」

確かに、よく考えたら、信乃にはなにかあったら村雨がいるんだった。まあ、村雨がいるにしても、信乃が心配なのは変わらないけれど。

「ずいぶんと過保護なものだな、荘介。お前がそれでは、信乃も庇護される子供の存在でいるしかあるまい?
それともそれは、お前の中にある四白の意志か?」

里見さんの意味深な言葉に、荘介はさあ?と答える…里見さん、四白のことも知っているのね。

「いや、庇護されているばかりではないか。なまえ、お前の存在を信乃は守護するんだったな。」
「…?」

里見さんは、再び意味深な言葉を発する。確かに、わたしは信乃に守ってもらっているけれ、ど…里見さんの言葉に首を傾げていると、彼はわたしと荘介を見て、顎に手を当てながらうっすらと笑みを浮かべた。なんだか里見さん、不思議な人…だなあ。

***

信乃が出て行ってしまって数時間後。案の定、なにかあったのかわたしと荘介を呼びに来た、村雨。信乃は大丈夫かと聞いても村雨は"マイゴ"としか答えないので、なんだか信乃がとても心配になった…迷子、なんて一人で大丈夫かな。そんなことを考えながら、四白の姿になった荘介と共に村雨の案内で古き良き旧市街を進んで行くと、旧市街の隅の茶屋に辿り着いた。店の席に探していた信乃の姿を見つけ、思わず駆け寄る。

「信乃…!」
「おー悪ィな、なまえ。」
「大丈夫だった?」
「まあ、なんとか。」

駆け寄った先にいた信乃の前にはたくさんの空のお皿、隣には見知らぬ短髪の…不思議な青年。青年はぽかん、と口を開けたまま動かない…なんだかいまいち状況が把握、できない。

「え、と…?」
「ああ、心配すんな。金なら払ってくれるみたいだし。」
「え、え?」
「ほら行くぞ。」

信乃に手を引かれて茶屋から出る。
それにしても、信乃が食べたらしい空のお皿、かなりの量があったけれど、お値段の方は大丈夫…なのだろうか。わたしが払うにしても、わたしも僅かにしかお金を持っていないので、とてもじゃないけれど、払えない。とてつもなく申し訳ない気持ちになったけれど、今回は青年の御厚意に甘えることに、する。

「腹もふくれたこったし帰ろーぜー」
「知らない人にタカっちゃダメですよ。」

そんな会話を交わしながら先を歩く信乃と荘介に続きながら、感謝や謝罪など、色々な意味をこめて青年に小さく御辞儀をした。

***

「さっきの方は一体どなたです?」

人気の少ない旧市街の裏道を歩きながら、荘介がわたし達が一番気になっていたことを信乃に問いかけた。

「知らねえ。いきなり下敷きにされて、気がついたらいた。」
「…じゃああの人はやっぱり、知らない人、になるの?」
「まあ、そうだな。」

食べ物を食べさせてもらっていたくらいだから、てっきりもう少し親しい関係になっといたと思っていたわたしは、信乃の言葉に苦笑いがこぼれる…そんな人に、あんな大量の食べ物のお金払わせちゃった、のね。 
そんな信乃はあー、となにかを思い出したように呟いた。

「何か、鬼がどーとかって言ってたな。」
「……鬼、ですか?」
「おに…」

おに、とはあの鬼、なのだろうか。
鬼、というと、なんだか恐ろしいイメージしか浮かんでこない。

「鬼が出るんだってよ。妖を喰らう鬼。」 
「妖、を…」
「…それはまた。人にとってはいい話なんでしょうね。」

確かに、人に害を与える妖をわざわざ喰らってくれるのだから、人には良い話、かもしれない。

「ところがな、寺の坊主に捕まっちまったんだと。」
「……?妖を喰らう鬼が、ですか?」
「……変だよな。人を喰らう、ってのなら判るけどサ。」
「"鬼"と、人…ね。」

"鬼"は、きっと人々に崇められるだけの存在ではないのだろう。
人、という生き物は、自分らと違う存在に恐怖を抱く、から。けれど、鬼を捕らえる、なんてことをただの坊主ができるものなのだろうか。考え込むわたし達の隣で、ふと、村雨が呟いた。

「鬼はヒト。」
「村雨?」
「ヒトは鬼…」

所詮、人は感情や自我がなくなってしまえば、ヒトではなくなってしまうのかもしれない。

「鬼はヒトが作るもの。
ヒトのココロが作るもの。」

ヒトの闇に巣食うもの
ココロの闇に生まれるもの

夕焼け色に染まる町の片隅に、そんな村雨の言葉が響いた。


揺蕩う焔の残り火
prev next
back