伝説の銭湯に入る話


「なまえちゃん、レオくん。 伝説の銭湯、入りに行こう」
「「え…?」」

今日も今日とていつも通り。 教会で仕事をしていた私とレオ君の元に、姫がやって来た。 墓となって運ばれてくることの多い彼女だが今日は珍しく、扉から普通に登場したことに安堵したのも束の間。 飛び出したセリフに戸惑いを隠せない。

「ひ、姫? 今、なんて…?」
「伝説の銭湯。 入りに行こうって」
「で、伝説の、銭湯…?」
「ウン。 この間、タソガレくんとモー太郎くんと一緒に見つけたの」

姫の説明によると…
夢で見たお告げ通りに進んでいくと、魔王城近くの洞窟の下に『伝説の銭湯』なるものがあったそうな。

「そういえば、このあいだの会議中にそんなこと言っていたけど… 本当にあったんだ…」
「ビックリですね…! でも、どうしてそんなところにそんな施設が…?」
「分かんないけど。 ウォータースライダーとかもあって、すごく楽しかったよ。 せっかくだし皆で入ろうかと思って誘いに来たの。 …なまえちゃんたちも来るでしょ?」
「わぁ、皆でっ? すっごく楽しそう! レオ君っ、私たちも行きましょうよ!」
「ふふっ、そうだね。 私も温泉には興味あるし、仕事が終わったら行ってみようか」
「やったぁ〜!」

娯楽の少ない魔王城に、まさかそんなに楽しそうな場所があったなんて…! それに皆で一緒に入るなんて、絶対に楽しいに決まってる! 姫からの素敵なお誘いに、思わず子供みたいにはしゃいでしまったけれど、レオ君は優しく微笑んで、頷いてくれた。

「それじゃあ他の皆にも伝えてくるから、現地に集合ね。…現地に集合だよ? ちゃんと分かってる?」
「? えっ? うん、わかってるよ」
「魔王城近くの洞窟の地下だよね? 道もちゃんと分かるから大丈夫だよ…?」

何故か何度も念を押してくる姫。 不思議に思ったのはレオ君も同じようで、彼も頭にハテナを浮かべている。 そんな私たちを見て、姫はため息をひとつ。 そして呆れた表情で、口を開いた。

「…そうじゃなくて。 あれもこれもやらなきゃ〜ってダラダラと仕事ばっかりしてちゃダメだよって言ってるの!」
「あ、あはは… なんだ、そういうことか」
「き、気をつけます…!」

身に覚えがありすぎて苦笑いを浮かべる私とレオ君。 そんな私たちにもう一度念を押すように 『絶対だからね』 と言って、姫は去って行った。

「…さて、姫にもあれだけ念を押されたことだし。 今日は早めに切り上げるとしようか!」
「ふふっ、そうですね!」

レオ君の言葉を皮切りに、私たちは机の上に散らばった書類を片付け始める。 机周りを軽く掃除し終えると、続けて帰り支度を始めた。 教会の灯りを消して、ふたり揃って扉を出る。 レオ君が鍵を閉め終わるのを隣で待ちながら、私はふと、ある事に気がついた。

「( そういえば、水着とか着替えとか…色々準備しなきゃいけないよね )」
「? なまえちゃん? どうかした?」
「あ、えっと… 伝説の銭湯って、多分スパ的な施設ですよね? それだったら、着替えとか用意しなきゃいけないなぁ、と思って…」
「それもそうか…! それじゃあ、私たちもここで一旦別れて、現地集合ってことにするかい?」
「そうですね… そうしましょうか!」

そうと決まれば急いで準備しないと…! 意気込む私にレオ君はふふっと微笑んで『またあとでね』と優しく囁く。 そんな彼にきゅんっと胸を高鳴らせながら、私も『またあとで』とそっと呟いた。 そして、私たちはその場で別れ、それぞれの自室へと帰ることとなったのだった。




「( 下着に着替え… タオルに、それから… )」

自室に着いた私はすぐに準備に取り掛かる。 必要なものを次々とバッグに詰め込んで、残すところは…

「( さて… 問題はコレだよね。 どっちにしようかな… )」

ベッド上に並ぶ、2種類の水着を交互に見つめる。 ひとつは、私が雑誌を見て一目惚れした、白のビキニ。 もうひとつは、露出が控えめなギンガムチェックのワンピースタイプの水着。 どちらのデザインも可愛くて、見ているだけでワクワクと楽しい気持ちになってくる。

「( 今日はふたりきりじゃないし、ワンピースタイプの方が良いよね )」

思い出されるのは、人間界で水着を試着した時のレオ君の言葉。

『そんなに可愛い姿、誰にも見せたくない…』

そう言って独占欲を丸出しにしてくれた彼の姿を思い浮かべて、思わず頬がニヤついてしまう。 ( 2nd Season / 「人間界に買い物に行く話 (2)」参照 )

「( あの時一緒にいたタソガレくんにまで嫉妬してくれたみたいだし、やっぱり今日はワンピースタイプにしておこう )」

レオ君が嫉妬してくれるのはとっても嬉しいけど、わざわざ心配させるようなことしたくない! 私はワンピースタイプの水着を手に取り、バッグに詰め込んだ。 そして軽く身支度を整えて、そのまま部屋を後にする。

「( よしっ、いざ! 伝説の銭湯へ! )」




「わぁ… すごい…っ!」

ほわほわと立ち昇る白い湯気の向こうには、大きなウォータースライダー。 カポーンと情緒あふれる音が聞こえたと思えば、ザブーンと大きな水飛沫の音や楽しそうな笑い声が聞こえて来て、胸がワクワクと踊り出す。…何これ、すっっっっごく楽しそう…っ!!

「なまえちゃーん」
「あっ、姫〜!!」

浮き輪を腰につけた姫が、手を振りながら私の元へやって来た。 彼女は黒の水着を着ていて、胸元には『貸』と書いてある。

「あれ? 姫はこのあいだ買った水着、着て来なかったの?」
「ウン。 ここの水着をレンタルしたの。 なまえちゃんはそっちの水着にしたんだね。 白のビキニ姿、楽しみにしてたんだけど… まあレオ君があの調子だったし、仕方ないか。 それにこっちの水着もすっごく可愛い!」
「っ〜〜!もう!嬉しい! ありがと、姫!」
「うゎっ、ぷっ…」

瞳をキラキラさせて私を褒めてくれる姫がとっても可愛くて、思わずギューっと抱きしめる。 レオ君に可愛いって言ってもらえるのはもちろん嬉しいけれど、同性の姫に褒めてもらえるのも、すっごく嬉しい…!

「なまえちゃん、くる、しい…」
「わわっ、ご、ごめん…っ!」

パシパシと私の腕を叩き、苦しそうにしている姫の声に、背中に回していた腕の力をすぐに緩める。 ぷはっと、息を吸い込む姫の姿に、慌てて背中を優しく摩った。

「ごめんね…っ、大丈夫っ?」
「ウン…もう大丈夫。それにしてもなまえちゃん…」
「? どうしたの?」

息を整えた姫は私の名前を呼んだ後、黙ったままこちらをジーッと見つめている。 その視線の先を追うと辿り着いたのは… 私の、胸?

「………」
「あ、あの? 姫? 私の胸に何かついて…」
「なまえちゃん、また大きくなったでしょ」
「えっ?」
「それにすごく柔らかいし」
「へえっ!? やっ、やわっ!?」
「ほんと、けしからん身体してるよね。 それを好きに出来るレオくんが羨ましいよ、全く」
「けっ、けしからんって…っ! っていうか、今、レオ君関係ないでしょ…っ!」

一体突然何を言い出すかと思えば…っ! 柔らかいやら、大きくなったやら、けしからんやら…! 何だか恥ずかしくなってきて、意味もなく両腕で胸を隠すような仕草をしてしまう。 誰かに聞かれてはいないかと周りを見渡すと、顔を真っ赤に染めながら温泉に浸かるタソガレくんとポセイドンくんの姿が目に入った。…この反応、ぜっっっったい聞かれてるじゃん…っ!!!

「ひっ、姫っ? この話は、このくらいに…っ」
「むぅ… なまえちゃんばっかり成長してズルい。 ちなみに今、何カップあるの? 前に聞いた時は確か、「わぁー!!!姫っ!!!ストップ!ストップ…ッ!!」

突如、銭湯に響く大きな声。 その直後、私を庇うように目の前に現れた、大きな背中。 私のことを赤裸々に語る姫を、阻止してくれたのは…

「れ、レオ君…っ!!」
「もう。 レオくん、邪魔しないでよ」
「そりゃあ、あんな話が聞こえたら邪魔もするよ!!! 姫っ、そういった話は、なまえちゃんとふたりの時にしようね!?」
「そっ、そうだよ姫! また今度、ふたりでお話しよう…!?」
「も〜… 相変わらず過保護なんだから」
「「 ……… 」」

ふぅ、と呆れたようにため息を吐く姫。 そんな姫の態度に、ガクッと項垂れる私とレオ君。 …ため息を吐きたいのはこっちだよ…っ! そんなツッコミが心の中で炸裂した、その時。 ちょうど良いタイミングで『姫ーっ! ウォータースライダーしようぜ!』と、姫を呼ぶとげちゃんたちの声が聞こえてくる。 『私、とげちゃんたちのところ行ってくるね』 そう言って、彼らの元へ向かう姫の背中を見送りながら、私はそこで初めて安堵のため息を吐き出したのだった。

「レオ君、助かりましたっ! ありがとうございます…!」
「本当に間に合って良かったよ… というか、どうしてあんな話に!?」
「水着を褒めてくれる姫が可愛くて、思わず強く抱きしめちゃったんですけど… その時に姫の顔が私の胸に埋もれちゃって、その流れで…」
「顔が、胸に…?」

私の説明を繰り返すように声に出すレオ君。 彼の視線は、自然と私の胸へと下がっていって…

「っ〜〜!!!」
「っ、! ごっ、ごごごめんっ!!! つい…っ!!」

カアっと体が熱くなる感覚に、咄嗟に両手で胸を隠す。 レオ君もすぐに視線を逸らしてくれて、今は明後日の方向を向いている。 …真っ赤な頬は隠せていないけど。

「( ちゃんと水着姿を見せるのはこれが初めてだし、何だか無性に恥ずかしい…っ!! )」
「っ、…あの、なまえちゃん」
「はっ、はい…っ」

遠慮がちに掛けられる声に、こちらも何だか改まってしまう。 そっと窺うように視線を向ければ、彼もこちらを見つめていて…

「水着、すごく似合ってる… 本当に、可愛いよ」
「っ…!!!」

私の耳元でとんでもなく甘く、優しい声で囁くレオ君。 …そんなことを! そんな風に! こんなタイミングで! 言われてしまっては…!!

「…ど、どうしよう!!」
「? ど、どうしたの?」
「う、嬉しすぎてっ、顔がニヤけちゃう…っ!!」
「っ、はぁ〜〜!! もう…っ!! どうして君はそんなにも可愛いことばかり…!!」

お互いがお互いに参ってしまっているこの状況。 …はぁ、本当に! どうしてこんなにも好きが止まらないの…っ! レオ君への想いは、止まることを知らない。 増えて行く一方である。 …ほんとに好きすぎてどうにかなっちゃいそうだ。

「お前ら… 銭湯に来てまで、いちゃいちゃすんなよ…」
「諦めろ、ポセイドン。 あ奴らに、TPOの概念なんて求めるんじゃない…!」

完全にふたりだけの世界に入っていた私たち。 そんな私たちを現実に引き戻したのは、呆れた様子で文句をつけるポセイドンくんとタソガレくんだった。 …ちょっと待って! 今の言葉は聞き捨てならない!

「タソガレくん、ひどいっ! それじゃあまるで私たちが非常識みたいじゃない…! それくらいの常識は、わきまえてますっ! ねっ、レオ君!!」
「そうだね、なまえちゃん。 …そもそもこのような娯楽施設なんて恋人がイチャつくために存在しているようなモノでしょう? TPOには適していると思いますけどね」
「スパに対する偏見がすごいな!?!?」
「完全に都合の良いように解釈してるぞコイツら…っ!!」

私たちの言い分に納得がいかないのか、ふたりからは盛大なツッコミがはいる。 た、確かに… レオ君の考えは、少し極端過ぎる気がしないでもないけど…! それでも、別に誰かに迷惑をかけてるわけでもないし…! 私が、そう言い返そうとした、その時。

「そんなことよりも。 …魔王様、ポセイドンくん。 あなたたちには聞きたいことがあるんですよ」
「「っ!?!?」」

静かな、だけど、どこか怒りを感じるその声色に、タソガレくんとポセイドンくんはピシッと固まり黙り込む。

「…姫となまえちゃんの会話。 "どこから、どこまで" 聞いていましたか?」
「はぇっ!? い、いやっ、我輩は、何も…!」
「おっ、俺も! 何も知らねえよ!!」
「そっ、そうだぞ! なまえの胸が柔らかいとか、大きくなったとか、けしからんとか、そんな話は何も…」
「おいっ、バカ…っ!タソガレ…っ!!!」
「あっ」

馬鹿正直に話してしまうタソガレくんに、ポセイドンくんはかなり焦っている様子。 そんなふたりをにっこり笑顔で見つめるレオ君。 …真っ暗なオーラは見えてないフリをしておこう!!!

「…魔王様? ここに沈む覚悟は、出来ていますか?」
「しっ、沈む!? 温泉で沈むってどういうことなのだ!?」
「そのままの意味ですよ」
「ちょっ、ま、まて! あくましゅうど、」
「言い訳は無用!! お覚悟ーーーっ!!!」
「ぎゃああああ!!!」
「たっ、タソガレぇーーーーっ!!!!」

ちゅどーんと大きな音が鳴り響くけれど、それもすぐに周りの喧騒に溶け込んでしまう。 一方のポセイドンくんはというと… ぷか〜っと温泉に浮かびあがってきたタソガレくんを横目に、ヒクヒクと口元を震えさせていた。

「…さて。 ポセイドンくん、君には今からお説教だよ。 ほら、そこに正座!!」
「げっ!? マジかよ…っ!!!」
「……やはり我輩にだけ、厳しくないか?」
「まだまだ元気がありそうですね? 魔王様?」
「ひぃっ…!!!」

黙っていれば良いものを、扱いの差に文句を垂れるタソガレくんは、ポセイドンくんと一緒に正座をさせられている。 …本当に、一言多いんだから。

「…まだやってたの?」
「あっ、姫!」
「本当、男の人ってバカだねぇ… 」
「ふふっ、そうだね… でも、」
「…でも?」

言葉を途切れさせる私を不思議そうに見つめる姫。 その表情が可愛くて、思わずくすっと笑顔がこぼれる。 私はうきうきとする心を抑えつつ、彼女のキラキラの瞳を見つめながら、口を開いた。

「あんなになるまでヤキモチ妬いてくれるなんて、本当にすっっっごく可愛いと思わないっ?」
「そういえばなまえちゃんも… 大概、レオ君バカだったね…」
「さすが姫っ! よく分かってる!」

潔く認める私に、呆れた表情を向ける姫は、はぁ、とひとつため息を吐くと 『私、あっちで休んでくるね』と、ビーチチェアが置いてある方へと向かって行った。 …さて! そろそろ私も銭湯を満喫するとしますか!! そう心の中で気合を入れると、タソガレくんたちに助け舟を出す為に、私はいまだガミガミとお説教をしているレオ君の背後に立つ。そして…

「そもそも魔王様は、なまえちゃんと仲が良いことを無意識にーー…「レオくんっ」
「っ、!? …ぁ、えっ、…っ、なまえちゃん…っ!?」

ガバッと彼の逞ましい腕に、体を押し付けるようにして抱きつく。 …ふふん。ここは、女の武器を使わせてもらうとしよう!!

「もうそのくらいにして… せっかく来たんだから、一緒に遊びましょ!! あっ、あそこにジェットバスがありますよ! レオ君の腰にちょうど良い、「ちょ、ちょっと…っ! なまえちゃんっ、む、胸が…っ!!」

先程までネチネチとお小言を言っていたとは思えないほど、慌てふためいているレオ君。 私のことで怒ったり、慌てたり、喜んだり、嫉妬したり… 沢山の感情を抱いてくれることが、とっても嬉しい。 私はふふふと笑みを浮かべて、レオ君の耳元に唇を寄せる。

「ふふっ、わざとですよ?」
「っ、なっ、! 」
「こんなことするの、" レオ君にだけ "ですっ」
「っ〜〜!?!?!?」

みるみる内に真っ赤になるレオ君。そんな彼を見て、してやったりと笑みを深くする私。 『……女って、すげぇな』『…ああ、本当にな』 なんて声が後ろから聞こえたけれど、私は聞こえないフリをしておいた。



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