とある音楽家の恋愛事情 / のろいのおんがくか視点


「( あー……、全く曲が思い浮かばない )」

手元の鍵盤に手を添えてはやめての繰り返し。 ここ数日、ずっとそんな調子が続いている。

「( 早く新しい軍歌、作んなきゃいけないのに… )」

対勇者戦に備え『仲間を鼓舞するための新しい軍歌を作ってくれ!』と魔王様から依頼されて、はや数日。 アトリエに篭りピアノと向き合っているのだが、いまだに楽譜は真っ白なまま。 普段であればスラスラと流れるように音符を埋めることが出来るはずなのに、今のオレにはそれが出来ずにいる。
こんな事態に陥った原因は、ハッキリと、明確に分かっていた。 分かっているのなら、その原因を排除すれば良い… そう思うだろうが、むしろ分かっているからこその、この有り様なのである。

「( ほんと、何してくれちゃってんの… あの時のオレ… )」

思い出されるのは、あくましゅうどうし様の部屋で飲み会をした、あの夜のこと。 柄にも無く酔っ払い、醜態を晒した自分を思い出しては、ズーンと落ち込む。 考えないようにしよう… そう思えば思うほど自分の言動を事細かに思い出してしまい、頭を抱えるしかなかった。

「( あんなこと、普段なら絶対言わないのに…! )」

最初はただ楽しく飲んでいただけだった。 彼らに飲むペースが早いなどと釘を刺しておきながら、殊の外、気の良い上司たちと飲むお酒は美味しくて自身の飲むペースも自然と早くなっていたのかもしれない。 気がつけば、随分と酔いが回っていた。
同じように他の皆が程よく酔い始めた頃、オレたちの会話はあくましゅうどうし様の恋人である『おんなドラキュラさん』の話題になった。 そうなれば、あくましゅうどうし様が惚気始めるのは自然の流れで… 普段ならばそのまま聞き流しているようなことも、酔って気が大きくなっていたオレの心には、対抗心という感情が沸々と湧き上がってしまったのだ。

『オレ、おんなドラキュラさんと一緒にお菓子作ったりしてるけど?』
『『のろくん』って呼んでもらってるし』
『バレンタインのクッキーだって、他の皆よりも多めにもらってるから』

今まで誰にも言わないようにしていた彼女との出来事。 それを破ってまで、彼女と仲の良い魔王様たちに張り合うように口にした言葉たちが、オレの頭の中をぐるぐると何度も回っている。 まさか自分の中に、こんなにもくだらない男のプライドが存在しているなんて思っても見なかった。
ハァ、と何度目か分からない深いため息を吐きながら、途方に暮れる。 ただ勢いに任せただけの酔っ払いの戯言だ、と割り切れるのならば、とっくの昔にやっている。 …それが出来ないから、厄介なのだ。

「( …気の迷いであって欲しかったんだけど、そう上手くはいかないか )」

自分の中で燻っていた、彼女への想い。 酔った勢いとはいえ、誰にも言わず秘密にしていた恋心の一端を口にしたことで、それは一気に大きく燃え上がってしまった。

「( …あーあ、絶対叶わない相手じゃん。 なんでそんな相手、好きになっちゃうかなぁ )」

以上が、ここ数日。 オレの頭を大層悩ませてる原因である。 飲み会以来、あくましゅうどうし様にもおんなドラキュラさんにも、会っていない。 あくましゅうどうし様には絶対に目をつけられているだろうし、おんなドラキュラさんには…今の精神状態のまま会うのはさすがにまずいと思う。 もう少し、自分の気持ちに整理をつけてから… そう考えて、すでに何日も経過しているのだが。
…あー、もう、有給使って休んでやろうかな…っ!そんな考えが浮かんだ、その時。

コンコン。 突如響く、ノック音。
この数日間、訪問者は誰ひとりとして来なかった。 …曲作りの催促だろうか? 魔王様には申し訳ないが、曲の出だしも作れていないこの状況では、何も聴かせられるものはない。 正直に進捗状況を話そう… 重い腰を上げて、扉へと向かい、ゆっくりと扉を開いた。

「…すみません、魔王様。 軍歌はまだ出来ていなくて、」
「さ、作業中にごめんね。 のろいのおんがくかくん」
「えっ、あ、あくましゅうどうし様…!?」

扉を開けながら口を開いたオレの耳に飛び込んできたのは、今、最も会いたくないひとの声。 彼特有の物腰柔らかな声に、思わず身構えてしまう。

「… 少し、時間いいかな?」
「あー…、はい。 …何もないですけど、どうぞ」

遠慮がちにこちらを窺う彼の入室を拒むことなんて、今のオレにはとても出来なかった。 『彼の恋人を好きになってしまった』という罪悪感も、少なからず抱いている。 チラリと見たあくましゅうどうし様の横顔は、あまり浮かない表情で、きっとあの夜のことを話しに来たに違いない。 オレは直感的にそう思った。

「あ、あの… このあいだの飲み会でのことなんだけど…」
「っ、」

ほら、来た。 思わず、グッと拳を握る。 そんなオレには気づかずに、彼はそのまま言葉を続けた。

「あの夜に君が言ったことは… 全て、本当なのかい?」

あくましゅうどうし様の言う『君が言ったこと』。 きっとそれは、この数日間ずっとオレの頭の中で繰り返されてきた言葉たち。

「…話した内容は、全部事実。 でもあの日は、少し飲み過ぎた。 オレが、おんなドラキュラさんを好き、みたいな雰囲気になってたけど… あれは周りに合わせてただけだから。 ほんと真に受けないで」

オレは必死で自分の気持ちに蓋をする。 何もふたりの仲を引き裂きたいわけではないのだ。 隠さなければならなかった恋心を一時の気の緩みで露見させてしまった。 そんな自分がとても情けない… これ以上、目の前の彼を困らせるわけにはいかないのである。

「……そんな顔で言われても、説得力が無さすぎるよ」
「えっ…?」

一体、どんな顔をしているというのか。 オレには全く分からなかった。 だけど、先程からズキズキと痛む胸が、彼の言葉を証明している気がして… 必死に取り繕った嘘がバキッと音を立てて崩れ落ちていく。 …残ったのは、剥き出しになった、彼女への想いだけだった。

「そんなこと、アンタに言われてもさ…! こうする以外に方法はないでしょ。 オレに、あの人を好きになる資格なんて…!」
「のろいのおんがくかくん。 …私は、君が本気でなまえちゃんを好きだと言うのなら、その気持ちを止めるつもりはないよ」
「っ、!」
「もちろんライバルが増えるのは不安だし、今でも嫉妬でどうにかなってしまいそうだけど…! でも、それで君がなまえちゃんのことを諦めてしまうのは、何だか違う気がして…」
「……」

真っ直ぐにこちらを見つめながら真剣な表情で話すあくましゅうどうし様。 その予想外の言葉に、オレは驚きを隠せなかった。 魔王様たちには、あれほど牽制をしていたのだ。 『あの子の恋人は私だから、手を引け』と釘を刺されると思っていたのに… まさかの宣戦布告。 本当にこの人は、どれだけお人好しなのか…!!

「もし君が真剣に彼女と向き合うというのなら、私も正々堂々受けて立つから…」
「ほんと、真面目でお人好しだよね。 あくましゅうどうし様って」
「えっ!?」

あまりの不器用さに、呆れを通り越して、もはや心配になるレベルである。 そのくせ、嫉妬心や独占欲は人一倍強いって… 本当、面倒臭いな、この人…っ!!!

「わざわざ敵に塩を送ってどうすんのさ。 …もしオレが手段を選ばず、おんなドラキュラさんに手を出すような男だったら、どうするわけ?」

そんなこと、オレは絶対にしない。 だけどあまりにお人好し過ぎる彼に、忠告のつもりで問い掛ける。 そんなオレを真剣な表情で見つめるあくましゅうどうし様。 彼は一切の迷いなく、次の言葉を口にした。

「でも君は、そんなこと、しないだろう?」
「!」

心の底から信頼しているとでも言うようなその口ぶりに、張り詰めていた空気が和らいだ気がする。 そして、同時に『ああ、オレはこの人には敵わないんだろうな』なんて、思ってしまっている自分に気がついた。

「もちろん、彼女を傷つけるようなことをするつもりなら、私も黙ってはいないけど…」
「…ハァ。 何か悩んでるのが馬鹿らしくなってきた」
「えっ!? な、何か悩んでいたのかい…? 私でよければ話を聞くけれど…」

こんな状況で敵の相談相手になるとまで言い出す始末だ。 …あー、もう。 本当、完敗。 …こんな優し過ぎる人に、勝てるわけないわ。 どれだけ面倒臭くても、最後まで嫌いになれないんだよね… この人のこと。

「人の心配してないで、自分の心配でもすれば? …いつ誰が、あの人に惚れちゃうか分かんないからね。 …オレみたいに」
「説得力ありすぎて怖いんだけどッ!? …というか、それって…っ!」

オレが彼女への気持ちを認めたことに気づいたあくましゅうどうし様は、焦った表情でこちらをジーッと見つめている。 オレはわざわざ手を引くと言ってあげたのだ。 …その上で、宣戦布告をしたのは、そっちだからね。

「これからよろしくお願いしますね、恋敵ライバルさん」
「っ、!?」

何度も言うが、目の前の彼からあの人を奪う気なんてさらさらない。 どうすればこの気持ちにケリをつけられるか… この数日間、ずっとそればかりを考えていた。 けれど、あくましゅうどうし様の言葉で、少し考え方を変えてみようと思う。

「( …もう少しだけ、彼女のことを想う日々を楽しんでみるのも、悪くないかもね )」
「あ、あの…のろいのおんがくかくん? そ、その、さっきは、ああ言ったけど…っ! お、お手柔らかに頼むよ!?」
「えー…どうしようかなぁ。 オレ、あの人のこと、『本気で好き』みたいだし」
「っ!!、ちょっ! や、やっぱり、さっきの私の言葉は無かったことに…」
「それはダメだね。 男に、二言はないでしょ」

オレが本気モードになったことに相当焦っているのか、あくましゅうどうし様はわたわたと慌てふためいている。 そんな彼を見て、ほんの少しだけ沈んでいた気持ちが軽くなった気がした。

「そういえば、あの人のことになると… 魔王様には厳しいよね、あくましゅうどうし様って」
「…魔王様は、こう、何だか… イラッとくるんだよ」
「…あー、うん、まぁ。 何となく分かるかも」

そんな軽口を叩きながら、ピアノの前に座る。 すると、自然と動き出す指。 先程まで全く浮かぶことのなかった曲のイメージがどんどん溢れ出し、鍵盤を軽やかに叩いていく。 『仲間を鼓舞するための曲』その『仲間』の中には、もちろんオレも含まれているはずだ。

「とても、良い曲だね…」
「オレが作るんだから、当たり前でしょ」

演奏に賛辞を送ってくれるあくましゅうどうし様に、オレは自信満々で答えてやる。 そんなオレに彼は穏やかな笑みを浮かべたあと、曲に聴き入るように瞳を閉じた。
今はまだ彼女への気持ちに折り合いをつけることは出来そうにない。 だから、もう少しだけ、このままで居させてほしい。
『たとえ敵わない相手だとしても、立ち向かう勇気を… 』
そんな気持ちを込めて、オレはピアノを弾き続けた。


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