癒やしの薬を飲まされる話


「レオ。 お前さんに、良いものをやろう」

とある日の、勤務終わり。 仕事を終えた私は自室へと向かう途中、ふわぁと欠伸をしながらフラフラと歩く睡魔と出会した。 普段は旧魔王城で過ごす彼が魔王城こちらに来ることは比較的珍しい。 気まぐれにやってきてはなんだかんだと面倒事を起こしているが、話す機会が限られている旧友をスルーするほど、私も冷たい男ではない。 世間話でもしようとこちらから話し掛けたところ、返ってきたのが冒頭の言葉だった。

「良いもの…?」
「癒やしの薬だ」
「…は? 癒やしの薬…?」

なんとも胡散臭い響きに思わず眉をひそめる。 目の前にはニヤニヤと、これまた胡散臭い顔をした睡魔。 そして私の手元には奴曰く『癒やしの薬』だという怪しげな瓶。

「ああ。 最近、お疲れだろう? そんなお前さんにプレゼントだ。 オレも飲んでみたが、中々良かったぞ」
「余計なお世話だよ、全く。 それに『中々良かった』って普通の薬に抱く感想じゃないだろ…」
「本当に癒やされるんだがなぁ。 お前さんもきっと気にいるはずだ」
「癒されるって、こんな薬ひとつでそんなこと出来るわけ…」

やけに勧めてくる睡魔は何とも怪しいが、好奇心には勝てず、手元の瓶をまじまじと見つめてしまう。 瓶の側面には『あなたの癒やしが目の前に広がります』と注意書きが記されていて、私は眉間の皺を更に深くした。

「…胡散臭過ぎるだろう、これ」
「まぁまぁそう言うな。 騙されたと思って、ほれひと口」
「うわっ、ちょ、おい睡魔…っ、んぐっ!?」

私の手から瓶を奪ったかと思えば、流れるように蓋を開けて口元へ近づけてくる。 無理やり瓶の口を充てがわれグイっと傾けられれば、とろりと液体が口内に流れ込んできて咄嗟のことで思わず、ゴクリと、飲み込んでしまった。

「お、まえ…っ、何を……っ、ッ!?!?」
「お? 効き目が出てきたか?」

ぐらり、視界が揺れる。 その不快感に思わず目蓋を閉じた。 …どこが癒やしの薬だ!癒やしどころか気分が悪くなってるじゃないか…!

「レオ、目を開けてみろ? 面白いものが見えるぞ」
「睡魔…っ!からかうのもいいか、げん、に………」

あくまで呑気なことを言う睡魔に、苛立ちが膨れ上がる。 文句を言ってやろうと閉じていた目蓋を開いた瞬間、目の前にはあり得ない光景が広がっていた。

「お前には、何が見える?」
「なっ、ッ!?!?」

口調は確かに睡魔のものなのに、目の前で私に話し掛けているのは『なまえちゃん』そのものだった。 私の反応が面白いのか、目の前の『なまえちゃん』はニヤニヤと笑っている。 …も、もしかして、私の『癒やし』って…まさか…

「くくっ、まぁ、大方予想はついてるが」
「睡魔…っ!なっ、何なんだこの薬はッ!! 一体、どういう…っ、って、ちょ、おまっ、足を広げるなっ!」

睡魔は廊下に設置されているベンチに、あろうことか普段通りに足を広げて腰掛ける。 男であれば何ら問題はないその行為も、『なまえちゃん』の姿なら大問題だ。 いつもは見えない白い太ももが捲れ上がったスカートから惜しみなく曝け出されている。 …こっ、これ以上広げると、しっ、下着が…っ!!

「足を開くと困るようなものが、見えてるのか?」
「っ〜〜!!!お前なあっ!!!」

ニタリと嫌味ったらしく笑いながら、少し足を広げる睡魔。 コイツ…っ!分かっててやってるな…!!
頭では睡魔だと理解しているはずなのに『なまえちゃん』の姿だと、どうしても意識してしまう。 それに、何だか彼女を奴に汚されているようにも思えてきて、沸々と怒りが湧いてきた。

「睡魔、もういい加減に…ッ!!!」
「おっ、あくましゅうどうし!こんなところにいたのか! 明日の会議のことで相談なんだが…」

私が睡魔に怒りをぶつけようとしたその時。 後ろから声を掛けられ、ピタリと動きを止める。 パッと反射的に声のした方へ振り向くと、そこには…

「っッ!?」
「?あくましゅうどうし? どうしたのだ?」

こてん。 と首を傾げる『なまえちゃん』の姿が。 その可愛さに悶えそうになりながらも、何とか堪える。 …落ち着け。 これは、なまえちゃんではない。 そう、喋り方と話の内容から察するに…

「っ、えっ、えっと、あなたは、ま、魔王様!魔王様ですよねっ!?」
「なっ、何を当たり前のことを言っているのだ…?」
「あ、あはは…いや、念のため、確認を…っ」
「いつにも増して、変だぞ、お前…」

じとっと怪しむようにこちらを見つめる魔王様。 しかし、その姿はやはり『なまえちゃん』で。 その冷たい眼差しに、ドクンと胸が痛くなる。

「その顔で、変とか言わないでくださいよっ!!!」
「な、何を訳の分からないことを…!」
「や、やめてください…っ! そんな残念な奴を見るような表情で、私を…っ!」
「…今日のお前、最高に気持ち悪いぞ?」
「うぐっ…ッ!だからっ、その顔でそういうこと言わないでくださいってば…っ!!」
「よ、よく分からんが、お前…ゆっくり休んだほうがいいんじゃないか?」

グサグサと刺さる言葉のナイフ。 状況が全く分かっていない魔王様は私を気味悪がって『何だコイツ…』とサッサと退散していった。 その姿にも思わず、ウッ…!と胸を痛めてしまう。 『なまえちゃんがこんなことを言うはずがない!』と頭では理解しているのに、視覚と聴覚から入ってくる強烈なインパクトが、私の心をグリグリと抉っていった。 というか、この薬、一体いつまで効果が続くんだ…っ!!

「あ。 おーいジジイ! ナスアザラシのことなんだけどよ」
「っ!! ( これは恐らくポセイドンくん…! )

魔王様が去り、一難去ったと思った矢先。 次は、ポセイドンくんが現れる。 …ちょっと、皆タイミング良すぎじゃないだろうか!?

「いつも俺の近くにいるナスアザラシが見当たらねぇんだけど、ジジイ知らね?」
「いっ、いや、私も、心当たりは無いなぁ…っ!」
「ジジイのとこにもいないなら、やっぱ姫のとこか…ハァ、めんどくせぇなー」
「そっ、そうかもしれないね…!様子を見て来たらどうかなっ?」
「おう。 そうするわ… あっ、そういえばさっき、タソガレが、ジジイのこと探してたぞ?」
「あ、う、うん、今さっきここにきたよ…!」
「そうかよ。 なら良かった。 んじゃあな、ジジイ!」

とても機嫌良く手を振り去っていくポセイドンくん。 そんな彼に私も手を振り見送ったが、ぎこちない愛想笑いを浮かべることしかできなかった。 …だって!!!

「( なまえちゃんの顔でジジイはキツいよ…ッ!!!!)」
「くくっ、『気持ち悪い』に『ジジイ』ねぇ。 誰かさんは絶対に言わない言葉だな?」
「っ、おっまえは、また…っ!」

睡魔がからかうように『気持ち悪い』と『ジジイ』を強調する。 完全に確信犯な奴の言葉に、言い返そうと口を開くが…待て。 落ち着け。 落ち着くんだ、レオナール。 ここで私が怒りに身を任せれば、奴の思うツボだ…!それに、今までのダメージが大きすぎる…! 睡魔にお灸を据えようと思ったが、そんなこと言っていられる状況じゃない。 今すぐ自室に帰って、薬の効き目が切れるまでジッとしていよう…!そう決意した私は、くるりと体を反転させた。 のだが…

「あれ、レオ君? まだ部屋に帰ってなかったんですか?」
「ッ!?!?」
「?」

目の前にはまたもや『なまえちゃん』の姿が。 ビクッと驚く私を、不思議そうな表情で見つめている。 …こ、このなまえちゃんは、ほ、本物…?

「君は、なまえちゃん、だよね…?」
「えっ? は、はい。 なまえです」
「本当の本当に、なまえちゃん…?」
「……どうしたの、レオ君? …何か変ですよ?」

何度も確かめるように問い掛ける私に、キョトンと可愛らしい表情から、一変。 なまえちゃんは怪訝そうな面持ちへと変わっていく。 その表情がまた私の心をグサッと貫いた。

「ううッ…っ!!そ、そんな顔しないで…っ!」
「えぇっ!? レオ君!?」

こちらを怪しむかのような表情に耐えられなくて、思わず手で顔を覆ってしまう。 そんな私の行動に驚いた様子のなまえちゃん。 その声色から困惑しているのが分かる。

「ど、どういう状況なんですか、これ…!」
「すまんな、なまえ。 俺が持ってきたこの薬が原因でな」
「薬…?」

このめちゃくちゃな状況を見兼ねた睡魔が、なまえちゃんに事の詳細を説明し始める。 元はと言えば、お前が…!と心の中で悪態を吐きながら、チラリと2人に視線を向ければ、なまえちゃんとなまえちゃんが話しているという異様な光景が視界に飛び込んできて…くらり、と目眩がした。

「 (あああ、もうっ!!…こんなの、全く心が休まらないよ…っ!!早く元に戻ってくれ…っ!) 」

私の願いも虚しく、目の前には先ほどと変わらずふたりのなまえちゃんがいて… 私は頭を抱えるのだった。




「…見るもの全てが自分にとっての『癒やし』になってる、ってことですか?」
「ああ。 俺も使ったことがあるが、本当に『癒やし』そのものだったぞ?」
「…それにしては、レオ君、何だか疲れてません? …大丈夫?レオ君?」

あり得ない状況に疲れ切った私は、ベンチに脱力状態で座り込んでいる。 睡魔から事の経緯を説明されたなまえちゃんは、私の背中を優しく摩りながら心配するようにこちらを覗き込んできた。 大きな瞳には不安が滲んでいて、何だか申し訳ない気持ちが込み上げてくる。

「ご、ごめんね。 なまえちゃん。 取り乱してしまって…もう、大丈夫だから…」
「い、いえ…大丈夫なら良いんですけど、あの、レオ君…」
「ん? どうしたの?なまえちゃん?」
「…レオ君には、何が見えてるの?」
「うぇっ!? あ、あの…っ、えっと、それは…っ」
「薬の効果が切れるまでは何があるか分からないでしょ? 教えてくれたら、何か協力できることもあるかもしれないし…」

ジーッとこちらを見つめる真剣な眼差し。 私を心配しての行動だというのは嬉しい。 嬉しいけども…ッ!!

「 (『君が見えてるんだ!』なんて、とてもじゃないけど、恥ずかしくて言えない…っ!!) 」
「レオ君…?」
「えっ!? あっ、えっと、も、もう、大丈夫だから…!その…っ」
「…私にも、言えないようなものが見えてるの?」
「うぐっ、…!」

私に見えてるものが何か良からぬものだと勘違いしたのか、シュンと落ち込むなまえちゃん。 その姿にギュンッと胸を鷲掴みにされる。 こんな顔をさせてしまうなんて…ッ!ここは恥ずかしがっている場合じゃない!!正直に話さないと…!!私はひとつ深呼吸をすると、なまえちゃんの手をぎゅっと握り、口を開いた。

「………なまえちゃん、です」
「えっ?」
「っ、私には、全てがなまえちゃんに見えてるんだ…っ!」
「へ…?」

なまえちゃんは、口をぽかんと開けてしばしの沈黙。 一方の私は恥ずかしくなり視線を下へと逸らした。 だけど、握りしめた手は離さずに、そのまま想いをぶつけるように力を込める。

「あ、あの、それって、私がレオ君にとっての『癒やし』って、こと?」
「……うん。 なまえちゃんが側にいるだけで、私は幸せだから」
「っ〜〜!!!」

それは今日、改めて実感したことである。 普段の何気ない生活の中で、いかに『なまえちゃん』という存在が私を癒やしてくれているかということ。 偽りの存在では意味が無い。 『なまえちゃん』だからこそ私は幸せを感じられるんだ、って。

「周りがなまえちゃんだらけなのは刺激が強すぎて、全く心が休まらなかったけどね…あはは」
「それは、偽者の私に、ドキドキしたり、ハラハラしたり…したってことですよね…?」
「う、うん…」

「…偽者なんかより、私を見てドキドキしてほしいです。 私ならいつでも癒やしてあげるのに…」
「ッっーーー!?!?」

イジけたように言う彼女の姿に、私の胸にはズキュュュュンと大きな衝撃が走る。 …何だその可愛い表情は…っ!!死ぬ。 可愛すぎて、死ぬ…ッ!!!あまりの可愛らしさに悶え死にそうになるが、何とか踏ん張った。
飲みたくて飲んだわけではないが、なまえちゃんのこんなに可愛い表情を見れるなら、『癒やしの薬』も悪くはないかもしれない…なんて現金なことを考えた、その時。

「結果オーライじゃないか。 良かったな、レオ」
「おっまえは…ッ!!」

後ろからまた呑気な声が聞こえ振り返ると、私の目に映る睡魔はいつもの姿に戻っていた。 どうやら薬の効き目が切れたようでホッとひと安心するけれど、奴の言葉にまた怒りが湧いてくる。 コイツ、全く反省していないな…っ!

「何ならなまえ、お前さんも飲んでみるか?」
「コラッ!!やめろ!!!」

更になまえちゃんにまで薬を勧める始末。 そんな睡魔に私は声を荒げるけれど、なまえちゃんはジーッと瓶を見つめている。 ま、まさかなまえちゃん…興味あるんじゃ!?

「ちょっ、なまえちゃん…! 絶対に飲んじゃダメだよ!!」
「相変わらずお固い奴だなあ、レオは。 なまえ、どうだ?ほれ、ひと口。 」

瓶の口をなまえちゃんに向けて問い掛ける睡魔。 それを見て『うーん』と悩み始めるなまえちゃんに、私は焦りの色を隠せない。 慌てて、彼女を止めようと口を開きかけたが…

「少しだけ興味はありますけど…私はレオ君本人がいれば、それでいいです!」
「なまえちゃん…っ」
「くくっ、そう言うだろうと思った。 まぁ、欲しくなったら言ってくれ。 いつでも分けてやるから」
「いらないよ!!!!!」

なまえちゃんの言葉に感動したのも束の間、いまだに薬を分ける機会を伺っている様子の睡魔に、思わず食い気味に答えてしまった。 そんな私たちのやりとりを、なまえちゃんはふふっと笑いながら見つめていて、ああ、やっぱり本物が一番だ、なんて、心底思ったのだった。



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